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殿上人日記

殿上人日記

東海道「関宿」の、たたずまい


        関宿の町並み1

            「関の山」という言葉を、知っているだろうか?
            「一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい」と
            いう意味であるが、その語源は、東海道に残る
            宿場町「関宿」の、最盛期には16基あったという
            山車(やま)の、きらびやかさからだそうだ


        関宿の町並み4

            東海道五十三次の、47番目にあたる「関宿」は
            鈴鹿峠越えを前にした、重要な宿場であり
            往時の面影を残す、歴史的な町並みとして
            昭和59年に、国の重要伝統的建造物群保存地区に
            選定をされました


        関宿の町並み5

            東追分、西追分の間、約1.8キロメートルにもおよぶ
            関宿の町並みは、約400戸余りの町屋が表通りに
            軒を連ね、保存地区は木崎、中町、新所、北裏であり
            この内の200棟余りが、保存対象になっています


        関宿の町並み3

            平入と呼ばれる、低い二階建ての民家の出格子窓
            二階外壁の窓額縁や、漆喰細工など、細部にわたり
            意匠が凝らせた建物に、当時の繁栄ぶりを感じます

            重要伝統的建造物群保存地区に、選定をされる前の
            タイルだったり、大正・昭和を感じるレトロな建物も
            残され、郷愁をさそいます。このあたりが、妻籠とは
            違うのかな。生活をしている。素顔の宿場町のようで
            ほのぼのとします


        関宿の町並み6
                      郵便局や、銀行も町並みに溶け込む建物

            古くから交通の要衝であり、古代には越前の愛発(あらち)
            美濃の不破とともに、古代三関の一つ「伊勢鈴鹿の関]が
            置かれており、宿場の名も、この鈴鹿の関に由来をします

            天智天皇の死後、大友皇子と、大海人皇子(後の天武天皇)が
            皇位を争った壬申の乱で、大海人皇子が、鈴鹿・不破の関を
            固めたのが、歴史に登場をした最初の記述とか・・・


         関宿の町並み7

            江戸時代から、関宿の名物菓子として、旅人にも
            愛された「白玉」を復刻した、前田屋製菓の
            「志ら玉」は、あっさりとした上品なこし餡を
            上新粉で包んだもので、宿場のすぐそばの道の駅で
            購入をしました。素朴な美味しさです


        関宿の町並み2

            こんな素敵な町並みが、日本には沢山残されています
            「関宿」を知ってました? 行った事がありますか?
            行ってみたいと思いませんか?


            交通 三重県 名阪国道「桑名」インター下車
                      関西本線「関宿」駅下車


            2005年5月21日撮影。奈良旅行の途中で
            立ち寄りました (3回目の来訪)
   


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