080343 ランダム
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ソ ラ イ ワ ク モ

ソ ラ イ ワ ク モ

古墳について(ソラ伝より抜粋)

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2004年4月4日(日)
イシカミはクラゲのようにそのまま降りてきて、 クラゲのような触手?で高速に回し、鏡餅を作るように雪だるまのような分身を作ったそうです。

それが、亡くなって横になると前方後円墳の形になった。
すなわち綾部資料館で見た “石冠” の形になったそうで、クロップサークルのマンデルブローの形で、足はたくさん団子虫のようにあったそうです。
それらが親のイシカミの身体から、人間のような形や、ハシゴのように何人も連なったのや、手足だけの巨人を作って仕事をして貰ったそうです。
それらの巨人を “デエダラボッチ” と名づけました。
クロップサークル(NO42)

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2004年3月9日(火)
古墳時代はなぜ短いか?

500年代に小惑星が衝突し、地軸の異常が起こり天地異変が続いたことで、それまで信じられていた巨石、イシカミ信仰が急速に失われました。
それに便乗してプレアデナイに支配された仏教の思想が広まっていき、イシカミを抑えたと思わせるために石を敷き詰めたのです。
仁徳天皇はイシカミを信じ巨石や塚を大切にしていたのと、イスキリから伝えられていた最後の文字であり、 イシカミに似たオーム ( Ω ) の文字を真似たお墓にしたいと言っていたので、仁徳天皇を慕う人により前方後円墳が作られたのです。

仁徳天皇にあやかって後の権力者が自分も崇めてもらおうと、仁徳天皇の真似をしてイシカミが作っておいた塚や小山を自分のお墓としていったが、イシカミが作った塚や小山には限りがあり無くなってしまったので、古墳時代は急速に消えていったのです。
古墳から遺品が出てくるとその時代に作られたと思われていますが、以前にイシカミによって作られていた塚、小山、巨石の古墳を、後の権力者が借用してお墓を作ったのに過ぎないのです。

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2003年10月22日(水)
ホツマツタエ、前方後円墳 

2003年10月22日 真夜中

「仁徳天皇のお墓の中には女性の品物があります。
仁徳天皇陵はヒミコのお墓にしようと作ったお墓で、
そこに仁徳天皇とヒミコを偲んで女性の品物 (櫛?) が入っているのです。
仁徳天皇がお願いしていたのです。
(私が) 亡くなったらイスキリから教えられた Ω (オーム)の形にして欲しいと。
それで仁徳天皇を慕っていた人たちが、あのような形にしたのです。
ヒミコの話は大国主を慕う人 (出雲の人) たちから聞いていたのです。
仁徳天皇は一番良い天皇でした」
(足にサインがあり)

「私はお姫様に可愛いがられた一寸法師と呼ばれた者です。
(以前、一寸法師が仁徳天皇になったと知らされた)
私が知らせたことは真実の事です」



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