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みんなの音楽室

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R&Bにおける90年代重要人物

★R&B 90年代最重要人物★
90年代のR&B史に大きな影響を与えた重要人物を管理人の独断と偏見により紹介します。
尚、ここで紹介した人物以外にも多くの重要人物がいますので、それはまた気ままに更新します。
rkelly.jpg R・Kelly
90年代のR&B界はこの人なしでは語れないと言っても過言じゃないくらい重要人物。
初期の頃から作詞、作曲、編曲、ミックスなど全てセルフプロデュースでやるマルチプレーヤーであり、92’『ボーン・イントゥ・ザ・90'S』でデビュー後、数々のヒットを飛ばす。
プロデューサーとしての手腕も発揮し、アリーヤに始まりマイケルジャクソンに曲を提供するにまでに至る。
Jay-Zとの共作アルバム『ザ・ベスト・オブ・ボース・ワールズ』をリリースするも、当時14歳の少女との性的行為などのスキャンダルに見舞われ低迷期を送る。
その後Jay-Zとの2作目となる共作アルバムは大ヒットを記録したがそのツアーの途中でJay-Zとの仲に亀裂が入り、後に訴訟問題まで発展する。
この事件によってHip-Hop界から嫌忌の目を向けられることになるが、今現在も最前線で活躍する時代を超えたスターである。
mary.jpg Mary J.Blige
92’『ホワッツ・ザ・411?』でデビュー、このアルバムでのスタイル、R&BとHip-Hopとの融合により彼女は『クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル』と称されるようになりそれは今日まで続く。
その後ファーストアルバムのリミックスをリリースし2作目のスタジオアルバム『マイ・ライフ』をリリース。あのアレサ・フランクリンと比較されるほどの評価を得る。このときのシングル『マイ・ライフ』は彼女の最高傑作としてあげる人も多い。
彼女の活動のおかげで今日のR&BとHip-Hopの密接な関係が出来上がったと言っても過言ではないくらい、彼女は両関係を身近なものにした。
tlc.jpg TLC
T-ボズ、レフト・アイ、チリからなる三人組女性ユニット。
92’シングル『エイント・2・プラウド・2・ベッグ』でデビュー。今と違い女性グループが多かった当時、その激戦期を若さと斬新さで常にトップをリードしてきた。
音楽だけでなく、そのファッションなども人気に火をつけ常に世間からの注目を集めていた。
セカンドアルバム『クレイジーセクシークール』も大ヒットを記録し、グラミー賞も受賞する。
更なる活躍が期待されていたが、4枚目のアルバム製作中、02’にメンバーのレフト・アイが車の事故により30歳の若さで他界。この事故の模様はドキュメント番組にもなったが、事故の後残りのメンバーと録音してあったレフト・アイの音源を使ってアルバム『3D』を完成させる。
レフト・アイのドキュメント番組では事故の瞬間の映像が映っており、全米で大きな波紋を呼んだ。。
destiny.jpg Destiny's Child
元々ビヨンセとラターヴィアが90’にグループを結成、その後ケリー・ローランド、ラトーヤと加入し4人組女性グループ『Girl's Tyme』として活動していた。
当時ビヨンセは今ほど目立ってはなく、グループの人気もイマイチだった。
そんな中、ビヨンセの父であるマシュー・ノウルズが彼女達のマネージャーになる。その時にグループ名を聖書からの引用で今の「Destiny's Child」と変える。
デビューアルバム『Destiny's Child』はゴールドアルバムに選ばれる。その後セカンドアルバムも好調だったが、一方でメンバーのラターヴィアとラトーヤがギャラや待遇面でビヨンセを特別扱いするマシューに不満を感じており、それが原因で突如解雇される。しかも本人やファンにも知らせぬまま。
この事件は訴訟問題にも発展し、結果的に200万ドルの慰謝料を受け取った。
その後2000年にミッシェル・ウイリアムズとファラの二人がグループに加入したが、その怠惰な私生活を理由にファラは解雇され、現在の3人メンバーになる。
この頃くらいからビヨンセを全面に押し出すことでその人気は爆発的となる。「世界で最も有名な女性グループ」とまで言われている。
現在はそれぞれがソロ活動で活躍しており、再結成が待ち望まれている。
Destiny's Child関連作品リスト
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