|
カテゴリ:カテゴリ未分類
赤ちゃんのHNは「ひよ」と名づけました☆
9月1日 23時 陣痛15分間隔 9月2日 0時 陣痛10分間隔 寝ていると痛みが強いので、ソファに座って本を読むか、PCに向かって気を紛らわせる。 2日 7時 陣痛6~7分間隔 病院に電話 朝食を取ってから来るように言われる。体力をつけておく為にも痛みの合間に少しご飯を食べる。今思うと、まだ余裕があった。 2日 8時半 病院に到着 タクシーの中で少し陣痛が遠のいた感じがあったので、一度帰宅になるかと思われたが、出血がかなりあるので、そのまま入院。 2日 9時半 内診 子宮口はまだ2センチしか開いていない・・・出産は明け方までかかるかもと言われ、少し凹んだが頑張るしかない。 2日 12時 昼食 サラダを少し食べただけで残りは旦那さんに食べてもらう。 2日 17時 新生児室に「ひよ」のベッドが用意されているのを発見。旦那さんのメモには私がそれを見て泣いていたって書いてある(笑) 2日 18時 夕飯は全く食べられない状態。 2日 19時 内診 子宮口はまだ4センチほどしか開いていない。この頃陣痛は5分間隔より短くになっていたが、2回陣痛が来るとその次は10分ほど開いてしまう、というのを繰り返していた。痛みはかなり酷くなっていて、喚いていた気がする。 2日 20時 面会時間が終わりなので、旦那さんは一旦家に帰された。しかし夜勤の看護師さんが先生には内緒で夜中に戻れるよう配慮してくれた。 3日 2時 一人で痛みに耐えていたが、旦那さんが戻ってきてくれたので少しホッとした。 3日 2時半 内診 あまりの痛みにパニック状態。力を入れすぎ、ゆっくり呼吸をするようにと看護師さんに怒られる。赤ちゃんが大きいのも一因だと言われた。(産まれた赤ちゃんは大きくなかったけど)。 陣痛2~3分間隔 激しい陣痛の痛みの合間は睡魔に襲われ記憶がない。 3日 5時 外が段々明るくなってきて、夜明けまでかかると言われたのに、まだまだ産まれそうにない。子宮のあたりに電気が走ったような痛みや骨盤がピキピキと痛む。 もうすっかり気が滅入ってしまう。 3日 8時半 内診 子宮口は6センチほどしか開いていない。どうしても陣痛の間隔が開いてしまうので体力も限界に近づき陣痛促進剤を使うかどうか、外来が始まったら先生に診てもらうことに。 もう帝王切開してでも終わらせたいという気持ちになっていたが,看護師さんにかなり励まされ少し元気になる。 3日 9時半 内診 子宮口8センチ 陣痛促進剤を使うことになった。 3日 10時半 分娩室へ。 3日 10時45分 後15分くらいと言われ、終わりが見えたと思い、最後の力を振り絞る。分娩台の上であぐらをかいて陣痛が来たら力む。旦那さんは腰を押す。少しでも力を抜くと、私が「もっと強く!」と叫ぶ。陣痛の合間は写真を撮ってくれていた。 3日 11時10分 会陰切開 切られた瞬間の痛みは無かったが、陣痛の合間に 痛みを感じて、先生に「切った?痛い!!」と怒鳴る私 ・・・ 3日 11時15分 生暖かいものがヌルリと出る感覚があり、産声が!! 体重:3,002グラム 身長:50センチ 胸囲:32センチ 頭囲:32センチ 分娩所要時間35時間20分 時間が経ってしまったので記憶が曖昧なところもあるが、「ひよ」を産んだ記録をここに残しておこうと思う。 お産は想像以上に大変だった。次の日も自分ではかなり元気だと思っていたが、まだ食事は少ししか食べられない状態だった。二人目を産むのもあり得ないと言う気持ちになっていた。 しかし、退院する頃には皆が言うように、「我が子を見ると痛みって忘れるもの」というのが理解できるようになっている自分に驚いた。さすがに数年は二人目を産むことはないが、 いつか「ひよ」にも姉妹が出きるかな。。。 旦那さんにも感謝の気持ちを書いておこう。 病院に入った頃はいまいちだった旦那さんのサポートも、夜中に再び戻ってからは看護士さんより上手なマッサージと励ましの言葉をずっとかけてくれた。私が陣痛の合間に眠りに落ちても旦那さんはずっと起きていたわけだから、かなり大変だったと思う。でも、一度も手が痛い、しんどいなどの言葉は無かった。「ひよ」が産まれた時は本当に二人で産んだという気持ちになった。 がんばったね!!ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|