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カテゴリ:政治あるいは自由論
前原は頭がおかしい。いずれ「挙国一致」とか言い出すに違いない。奴はもしかすると平成の松岡洋右になりたいのかもしれない。
ところで松岡洋右が、対米強行路線を閣内で主張しながら、開戦に至ると「僕一生の不覚」と周囲に漏らしたというのは興味深い。 これが意味するのは、本人は自分の外交手腕を信じた駆け引きのつもりだったのだろうが、松岡の頭では、それが実際にどのような力学関係に巻き込まれて現実を動かしてしまうのかまで計算できなかったということだろう。つまり、頭が悪かったわけだ。 俺が前原を心配する最大の理由はここだ。奴も頭がよろしくない。 小泉がセグウェイに乗る。あれをおかしいと思うのは「普通」の感覚だと思う。校長先生が朝礼でセグウェイに乗って出てくることに対して、違和感を覚えない人だけが、あれを微笑ましく見ることが許される。しかも、ブッシュからの贈られ物っていうのが、今の改革の中身を眺めてる人間にとっては洒落に映らなかったろう。まあ、俺はこの地がアメリカの属領でも構わんけどね。その代わり、政治制度の方も本国に統一してや。傀儡政権ってのはやめてな。 しかし、こうした自分の意思を何ものかに従属させるような人間を見ると、やっぱ近衛文麿かなと。挙国一致の翼賛内閣は近いのかもな。 以上、前置き。 ■本題――立川反戦ビラ事件について さて、民主主義をわかっていない人たちがいるらしいことに気付いた。 民主主義は、民主主義であるがゆえに、それなりの倫理を必要とする。民主主義は言説による政治であるがゆえに、表現の自由に最大限の尊重を払う。そのダイナミズムをして正統性のある統治ということになる。そうであれば、我々は聞き難い言にも耳を傾けなければならないわけだ。あのアホな選挙カーが許される理由はここにしかない。 アメリカにおける最も保守的な「表現の自由」抑制論理だって、政治的発言のみは認めるという論理構成になる。 しかしこの国では、政治的見解であるがゆえに、不寛容な住民の訴えが、伝家の宝刀「住居侵入罪」の構成に役立つ。その「侵入」にどれだけの差し迫った危機があったというのか? 団地に適用しようとする時点で、非常に曖昧で官憲によってどうにでもなる法律に変えられていないか? 明らかに、その法律が保護するものが何であるのか忘れられている。怖い国になったものだ。 だが、もっとしょうがないのは、この国が曲がりなりにも民主主義国であることをわかっておらず、単純なる統治の原理として刑法を振りかざす人たちがいることだ。どうも彼らは「いじめ側にいればいじめられない」という愚かな知性を持つ小学生に近いようだ。卑怯で醜い。 昨日あげたテッサ・モーリス=スズキの引用ではないが、現代の病理の表れとみることができよう。悲しいかな。 首相がおかしく、野党党首がおかしく、民衆の側でも翼賛政治のオルガナイザーが現れつつある。マスコミは死んでいて、政治的主張は政治的主張であるがゆえに迫害される。 ああ、リビングデッドたちよ。君たちはまたしても、サイパン島の崖からバンザイをしながら飛び降りていくのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.17 19:29:52
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