(再)■多数の専制解題■
■説明岩波の底力を思わせる企画の岩波講座『憲法』の第一巻「まえがき」において井上達夫は、戦後の護憲運動は、国家(右派)に対して憲法を護ることに感けて、民主主義(左派)に対して憲法(立憲主義)を護るということに鈍感だった、みたいなことを書いている(いつものごとくえらい曖昧な記憶です)。お上にへへぃ的メンタリティを持つある国の人たちは、ある時、民主主義が新たな原理として与えられたときに、それを「民主」の原理としてではなく、「多数」の原理として受け取った。なぜなら、「民主」を理解するには自分を構成しているお上にへへぃ的メンタリティを抜本から捨てなければならないのだが、そんなこと簡単ではなかったからだ。だから、新たな「お上」として「多数」を据えた。そういう点で、左翼と右翼という区別自体が、その国では可笑しいくらい成立していない。そうした状況への処方をいろんな人たちが考えてきたし、いまなお活発に議論されているが、俺などはかなりシニカルで、『国家』においてグラウコンが言ったようにこう言いたい。「あなたが語りかけている人たち自身に対しては、不可能でしょう。しかし、彼らの息子たちや、その次の世代の人たちや、さらにその後に生まれる人たちには、信じさせることができるでしょう」まあ、政治上において、教育が重要課題になる理由は、ここにある。教育が政治を求めているからではなくて、政治が教育を求めているからだ。ということは、<正しい>政治なくして、<正しい>教育はない(そこにきて、はじめて<教育=政治>という地平が開かれるように思う)。いずれにしても、今後の政治において、教育という舞台は重要なissueとして避けられないところに来ている。それをただ政府に任すのでもなく、民主主義に任すのでもなく、しっかりした基盤を持ったものにすること。俺の<政治=教育>への関心ははじまったばかりです。(なんだ、この長い説明は。)■多数の専制解題■君主の物理的強制力は、行為に対して発動するが、意思にまでは及びえない。しかし、多数は物理的であるとともに精神的な力を身にまとっており、それによって行為と同様に意思に対しても影響を及ぼし、作為と同時に作為の欲望も禁圧されるのである。・・・絶対君主制は専制を不名誉にした。民主的共和政がそれを復権させ、少数の人々にはこれを重い負担とする一方、大多数の眼には、その忌むべき堕落の様相をおおいかくす。そんなことにならぬよう注意しよう。――フランシス・ド・トクヴィル『アメリカにおけるデモクラシー』19世紀にトクヴィルがアメリカの民主政から学ぼうとしたものはたくさんあるが、上に挙げた危険もその一つだった。この章(第7章)のトクヴィルは面白い。「アメリカほど、自主独立の精神と真の言論の自由の少ない国を私は知らない」とまで述べている。その理由が、上の「多数による意思への影響」であることは言うまでもない。この民主政への警句は現代なお輝き続けていないか?ところで、先日の「多数の専制」において問題だったのは、最後の多数決への強権的誘導よりも、それ以前にフィクシャスな共同体ができてしまっていたことではなかろうか。あの場面ですでに、登場人物のDは、そう簡単には拒否できない状況にまで追い込まれていたはずだ。君には自由があるという言葉の裏に、権力者に従うならばという条件節が紛れ込んでいる事実は、学校生活を過ごしたことのある人間なら誰でも知っていよう。その権力者が多数であるときが本当の厄介だということは容易に想像できるのじゃなかろうか。権力が見えなくされている社会は怖い。俺は、(これ以上語るのは、蛇足もいいところだが)それゆえにこそ、立憲主義の精神が絶対的に肝要なように考えている。司法過程は、統治の一機関によるものであることは間違いない。だが、権力側だからといってこれを忌避するのはおかしい。というのは、権力分立が説かれる本当の理由は、権力が必要だからに他ならないからだ。権力が無い状態で、友愛に頼ろうなどという言は、それこそアメリカのネオコンには馬鹿にされるだけだろう。俺は権力の必要性を認め、その上で、その危険に意識的に臨もうという意志こそ、立憲主義の本義だと考える。司法の場における<解釈>行為の保障こそが、「多数の専制」へのカウンターになりうる装置なわけだ。民主主義という政治過程だけに自浄作用を求めようとするのは、自分が権力側に立つ可能性があるということを知らない蒙昧な意見に過ぎないように思う。