テーマ:ミステリはお好き?(1447)
カテゴリ:日常生活
両親の影響を受けて、子どものときからアガサクリスティーとかエラリー・クイーン(古い!)の推理小説を読んでいました。
おとなになってからも、寝る前とか飛行機や列車で移動中の読書は、もっぱら推理小説。 十年前までは、ルース・レンデル、マーガレット・ミラー、エリザベス・ジョージ、P.D.ジェームス、最近はミレット・ウオルターズにはまり、現在はFred Vergas(フランスの作家ですが、フランス語が読めないのでもっぱらドイツ語訳、日本語訳はまだないみたい)。 こうしてみると、みんな女性ですね。日本の作家も大昔は仁木悦子、その後も夏樹静子とか宮部みゆき、高村薫さんの作品を読みました。 べつに意図的に女性の作品ばかりを選んでいるわけではないのに、自然とそうなってしまいました。ただ、男性作家が書くハードボイルドはあまりに現実味がなくて、好きではありません。 女性の作品は謎解きはもちろん、心理・社会描写的な要素が濃くて、それに惹かれるのかもしれません。 ところが最近は、以前ほどは推理小説を読まなくなりました。 それは、「手に汗にぎり」「終わりまで読まなくては気が済まず」「気がつくと朝になるまで」読んでいたのが、終わった瞬間になんとなくむなしい気持ちにおそわれるからです。 私を今のいままで支配していた緊張感、ついにつきとめられた謎の正体などなど、これらはみんな「作り話」だという現実を、まさに読み終わった瞬間につきつけられるからです。 まるでおもしろい夢を見ていて、とつぜん目を覚ましたときのような気分。 ある人間がつくりあげた「嘘の話」に手に汗にぎった自分がみじめなような気分にすらなります。 もちろん、「嘘の話」をこれほど現実感をこめて構築する、作家たちの腕と技にはただただ尊敬とあこがれを感じるばかりですが。 ふつうの小説にも同じことが言えそうなのですが、ふつうの小説には作者の思い、経験、体験、歴史が間接・直接的に、あるいはいくつものフィルターを通して反映・投影されているので、巧みに書かれている小説からは空虚感はそれほど受けません。 むしろ、自分の意見や思いや体験を、虚構の物語にこめた才能に感心します。 ミステリーにも、作者の意見は投影されているのを感じ取ることがあります。クリスティーのミス・マープルシリーズからは、当時のイギリスの田舎社会の様子をそこはかとなく想像することができますし、ウオルターズの一部の作品にも現在の社会を観察・批判する目が感じられます。 ただ、虚構の物語が巧みでなく描かれていると、話が虚構なだけに、ちっとも面白くありません。 一方、ノンフィクションの強さ、面白さは現実、事実のもつインパクトです。 著名人でもなんでもない、フツーの人の一見なんてことのない人生も、どんな出来事も、たとえそれが芸術的にはたくみに描かれていなくても、文章がこなれていなくても、それが現実に起こった、というだけで、もうおもしろいのです。 最近、森まゆみさんの「断髪のモダンガール」という本を読みました(この本はもちろん巧みに描かれています)。 大正デモクラシーの時代に生きた、42人の女性の人生やつながりを紹介した本です。女性たちの多くは作家とか女優など多少とも有名になった人ですが、無名に近く終わった人もいます。 彼女らは、今の社会から見ても進んでいました。因習にとらわれず、自分の興味や意志や情熱を通し、一方では(まだ洗濯機も冷蔵庫もない時代に)家事・子育て(しかも何人もの子ども)をしながらも仕事をし、場合によっては夫を養いもしと、今では考えられないほどたくさんのことを、短い人生に凝縮させました。 こうした劇的な人生や出来事が小説つまりフィクションではなくて、実際にあったのだ、という点に私は感動してしまいます。 でも、べつに大正時代のモダンガールとか有名人じゃなくったって、一見劇的ではなくたって、ごく平凡に思える人生や日常の出来事だって、それが語られれば、それぞれがおもしろいストーリーになります。 ブログが盛んな理由の一つも、ここにあるのではないでしょうか。 どのブログも面白いでしょう?掃除の話でもおかずの話でも買い物の話でも面白い。そこに、さまざまな人の人の生き方やドラマが見えかくれするから。 そして、こういう小さなことを面白いっと感じられるってことが、また面白いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/10/26 09:21:26 PM
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