テーマ:海外生活(7784)
カテゴリ:日常生活
昨日は、フライブルクに三十年以上も前から暮らしていらっしゃる、K子さんのお宅にお呼ばれして、焼き鳥丼とお吸い物、お漬物のランチをご馳走になりました。
ご主人と長年かけて収集された、数々のアンティーク家具や道具に囲まれ、シックにセッティングされたテーブルで、美しい食器に入れて出されたお食事もまた上品。 ウーン、わが家とは雲泥の差でした。 K子さんは、ドイツでお付き合いのある数少ない日本人の方のお一人です。 二十年以上前から、道ではお見かけしていて、上品でおしゃれなレディーだなあと思っていましたが、知り合う機会はありませんでした。 ところが、十五年くらい前のこと。 あるアジアショップでぶらぶらしていると、とつぜん、彼女が 「私、あなたと同じ学校の出身よ」とおっしゃるではありませんか。 とっさのことに、わたしは何のことだかわかりませんでした。 「あなたxx学院のご出身でしょう?わたしもそうなのよ。でも、わたしの方がずっと年長だけど」 K子さんは、わたしが個人的なことも書いた本を読んでくださって、同窓であることを知ったそうです。 っということは、この方、それより前から、私の名前を知っていたということ??? わたし自身はフライブルクに住んでいる日本人のお名前を数人しか知らないのですが、ほかのみなさんはかなりお互いに知っているということがわかりました。 それよりも驚いたのは、パリでもベルリンでもない、こんな人口20万人の、日本に有名でもなかった町に、同じ中・高の同窓の方が住んでいらしたということです。 K子さんは、七年先輩なので、彼女が高校を卒業したあとに、私が中学に入ったのですが、それでも習った先生方の多くが同じです。 それで、昨日のランチでは、先生方の噂話に花が咲きました。 ミッションスクールでしたから、先生は、後に宗教の先生をのぞいては、すべて女性、しかも当時はその多くが、神に一生をささげ、男性にはささげなかった、けなげなクリスチャンの熟女が多かったのです。 こうした先生たちはかなり厳しくて、まいりました。 先生方の中には、母と私の二代でお世話になった古株も何人かいらっしゃったので、家で母といっしょに、先生の噂話をしたものです。 (学校では、先生から「あんたのお母さんはよくできたのに、あなたはどうなさったんですか?」などと皮肉られました) でも、本気ですごいと思うのは、こうした先生方の多くが、退職後、高齢になられてもまだ社会奉仕を積極的になさっていることです。 あの、神に一生をささげた女性たちは、口先のお説教だけでなく、生き方に筋が入っていたということに、今頃になって気がつきました。 話がそれました。 もう一つ、世界は狭いを感じたことがあります。 K子さん2も、フライブルクに私よりも前から暮らしていらっしゃいます。 昔のことですが、あるとき、K子さん2に「どこのご出身?」と聞きました。 すると彼女は、 「田舎の小さい町だから、あなたは知らないわよ」とおっしゃいました。 「知ってるかも知れないから、教えて?どこ?」としつこく聞くと(いやな性格ですね、私)、 「O町よ」との答え。 「その町ならよーく知っているわよ。昔、家族でムササビ観察によく行ったから。 あの町にはxxxっていうおいしい鰻屋さんがあるのよね。」と言うと、 「ええええー?私、そこの娘だったのよ」とおっしゃるではありませんか。 これにはびっくり。O町で私が知っている店といえば、この鰻屋さんだけなのでした。よりによって、そこのお嬢さんだった方がフライブルクにいらっしゃるなんて! このK子さん2は、さすが料理屋の娘さんだっただけあって、お料理がおとくい。 こちらの、カルチャーセンターのような成人学校で、日本料理の講座を開いていらっしゃいます。 日本とドイツはこんなに離れていても、いろんなところでヒョンな出会いがあるので、人生っておもしろい。 藤の花、フライブルク posted by (C)solar08 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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