カテゴリ:料理・パン焼き・菓子・食材
マジパンとアーモンドクリーム入りシュトレン posted by (C)solar08 家にいると、時間がたつのがとても速いと思います。 旅に出ていると、一日の中身が濃いためか、一日がとっても長いように思えるのに、自宅で日常生活をこなしていると、一週間、一ヶ月が一瞬で過ぎ去っていきます。「主観的相対性理論」とでも呼びたくなります。 というわけで、またしてもクリスマスが目の前に迫っています。 フライブルクの町の真ん中では、もうクリスマスマルクトが始まりました。 通りかかっても、見て回ることもなくなったほど、日常化したマルクトですが、年ごとに大きく広がっているのは町にとっては喜ばしいことでしょう。フランス語やスイスドイツ語が飛び交います(どちらもここから近いから)。 で、「もう焼かない」と決めたはずの(去年もそう言っていたと、だるまや。さんが教えてくれた)シュトレンを、どういうわけか6個も焼き(バターとフルーツ少なめにしたら、パサパサ目になった模様)、翌日にはフルーツブレッド(ベラベッカとかフッツェルブロートとも呼べるような代物) ドライフルーツブレッド posted by (C)solar08 を作るために、大量のドライフルーツ洋酒漬けと少量の生地を無理矢理こねているところに、ブザーが鳴って、小包が届き、作業を中断して小包を開けたら、 だるまや。さんから頂いたシュトレンと焼き菓子 posted by (C)solar08 あらあら、おいしそうなお菓子。 自分のフルーツブレッドはわきにどけて、立ったまま、いただいたフィナンシェを一つパクリといただいてしまいました(お行儀悪いけど、誰も見てないからい、いいの)。 バターの香りとしっとりした食感、幸せ。 だるまや。さんのシュトレン(中身はだるまや。さんのブログでご覧ください)は濃厚で豪華で上品なお味。バターがすばらしく効いています。太りそうなので、一回に一切れが限界です。 わたしのパサパサシュトレンとでは、同じお菓子とは思えないほど外見も中身もちがいますが、色々なレシピで色々な味を生み出されるというのも、いいですね。 というわけで、わたしのクリスマス作業はこれでおしまい。 クリスマスクッキーはドイツ人にまかせます。多くの家庭では、この時期になん種類ものの手のかかるクッキーを作る習慣があります。 娘夫のお義父義母さんやその友人などが作るさまざまなクリスマスクッキーは味といい、外見といい、プロ並み。 売っている高いクッキーよりもおいしいのです。 久しぶりに子ども時代のクリスマスを思い出しました。 日が近づくと、母と一緒に根津の町に出かけて、花屋さんで鉢植えの小さなモミ(今から思うとドイツトウヒだったかも)買ってきて、ささやかに飾り付けたものです。当時の私の目には、ラメの飾りがとてつもなくきらびやかに見えました。脱脂綿を雪代わりにしたなんて、今から思えば、なんと質素だったことか。いくつかのガラス玉だけが、華やかに輝いていました。 イヴにはちょっとお祈りもして(母がクリスチャンだった、その他の家族は無宗教)、みんなで賛美歌を唄って(音痴の父も声高らかに音をはずして唄った)から、ローストチキンではなくてブイヤベースとサフランンライス(サフランは漢方の薬局で買ってきていた)のごちそう(?)で質素に祝うのが習慣でした。 そして、イヴの晩はなかなか眠りつけなかったものです。 だって、夜中のいつかに、母がこっそりと枕元に贈り物をおいてくれることを知っていたから。 「いつ、置いてくれるのかな」とドキドキしながら、眠ったふりをして待っていました。 何をもらったかはまったく忘れてしまいましたが、本が中心だったような、、、。 子ども時代には、その時その時に体験する行事やできごとの一瞬一瞬を楽しんだり、悲しんだりしたものです。 未来のことなど案じることもなく、考えることもなく。 永遠に続くものなど、世の中にはない、という事実を知ることもなく。 その呑気さが、子どもの特権なのかもしれません。あーあ、子どもに戻りたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[料理・パン焼き・菓子・食材] カテゴリの最新記事
|
|