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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2016年08月26日
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テーマ:短歌(33)
カテゴリ:駄歌凡歌
アクセス数が1万ごとの区切りに短歌を詠んでいます。
題材として、近況と共に時事を歌い込むことになりますので、今回は”リオ・オリンピック”を中心に。
僕の生まれは1956年で、”第16回メルボルン大会”の年でした。
オリンピックとしては地味な大会で、初の南半球開催(オーストラリア)ということでしたが、季節が逆になるため、夏季オリンピックのくせに11月22日~12月8日までという開催日程でした。

日本は水泳と体操で活躍し、金4銀10銅5を獲得しています。
順位的にはベストテンに名を連ねています。
第二次大戦後の爪痕がまだ残っている時期で、”スエズ動乱”や”ソ連によるハンガリー侵攻”などの事件で不参加の国もあり、アフリカの参加もまだ少ないことからも、「世界平和の祭典」と呼ぶにはまだ少し時間が必要な時期でした。

もちろん僕の記憶には全くなく、次の”ローマ大会”の様子も後から知った情報なので、記憶に刻まれた大会というのは、間違いなく”東京大会”です。
僕は東京・杉並区の下高井戸という、甲州街道沿いの地域で生まれ育ちました。
甲州街道(国道50号)はマラソンのルートだったので、アベベや円谷の雄姿を沿道からリアルで見ることが出来ました。
その他、重量挙げの三宅兄弟やバレーボールの東洋の魔女が話題となっていましたっけ。
本当のところ、まだ小学3年生で、しかもおくての僕には何が起きているのかよく理解できていませんでした。

それから、”メキシコシティ””ミュンヘン””モントリオール”・・・・・と続いて”リオデジャネイロ”でした。
次の”東京”が32回目ですから、僕の生存中に半数のオリンピックが開催されていたことになります。
人生は、歴史の中にあるのです。




頂点を めざし精進 する人の たった一人が 勝者と呼ばれ
泣く人の 涙の訳は それぞれに 感情は走る 理性を越えて
世界には いろんな人が いるものと 知ってはじめて 世界が近づく
見た目には 同じに見える 日中韓 世界に見せる 大きな違い
一人では 勝てない数字も 四人なら 合わせた力が 凌ぐ力に 
地上には 70億の 生きる人 ホモ・サピエンスの DNAを持ち
4年前と 8年前の 区別困難 4年後だったら 少し変わるか
人生の 目標にするな 表彰台 勝った負けたが すべてじゃないぞ
日本の 活躍の理由 若者の ゆとり教育 成果開く
猛暑あり 台風あり 地震あり 防災都市が できるか東京





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最終更新日  2016年08月26日 16時45分34秒
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