テーマ:短歌(33)
カテゴリ:駄歌凡歌
ブログのアクセス数1万の区切りごとに、短歌を詠んでいます。 短歌を詠み始めたのが、10年前の2007年10月で、あれから数えて今回で500首に達します。 当時の記事を読むと、目標は1000首となっていますから、ちょうど折り返し地点を迎えるわけです。
当初は1000首など遠い先の話だと考えていましたが、アクセス数に連座して詠むようにしたところ、ペースが速まってあっという間に半分達成という感じです。 短歌については誰に師事したわけでもなく、講習会に行ったでもなく、ほぼ5・7・5・7・7のルール以外は知らないまま詠んできました。 学校で”枕詞”や”掛詞”のことは学びましたが、それを活用する意味が解らず、ほとんどノーテクニックで今日まで来ました。 学ぶ気があれば入門書なども世にあるので出来るのですが、何にも縛られない素材感丸出しの味も捨てがたいとも思います。 はっきり言って、どんな歌がいい歌か悪い歌かわかりません。 だから恥ずかしげもなく続けられるのかな。 ただ、最近行き詰まりを感じてはいるので、そろそろ勉強してみてもいいかなとも思っています。
始めたころの歌を読み返してみて、技術が上がっていないこともさることながら、内容もそれほど変わっていないことに驚いていながらも、ぶれていないことの嬉しさも。 たぶん20年前なら違った考え方をしていたでしょう。 でも、10年前は現在の考え方にたどり着いていました。 だからこの10年は心穏やかに、幸せを感じられました。 といっても相変わらず、ニュースを見て腹が立ったり、苛立ったり、不愉快な人間に対しカッとしたりはします。 つい攻撃的になったりするのは、ドーパミンのせいだから仕方ない。 それはそれで”受け流せ”ば、特に問題はありません。 日常生活や家族のことで不安や心配もありますが、悩んでも仕方ないことは”棚上げ”して、成り行きを傍観する技も得ました。 負の出来事は”受け流し””棚上げし”、心身にダメージを与えないようにします。 それが”健康長寿”の秘訣。 「鹿島アントラーズ」の勝敗には、一喜一憂してしまいますが。
拙きを 恥じることなく 詠み続け 気がついた時 折り返し地点 10年で どれだけ人は 変わるのか 振り返り知る 変わらぬ心 人生の 表の景色は 変われども たどり着きたる しあわせの宿 辛かった 過去が未来の 糧となり 今しみじみと 感謝の喜び 成功を 夢見てあがく 壮年期 老いてこそ知る 成長の意味 うまくいく 時は必ず 落とし穴 誰が仕組むか 順風の罠 解決の 手段があれば すればいい なければしばらく ほうっておけ 新しい ことを追っても 古くなり 古いことこそ 見える光が これからの 10年先を 見据えれば 変わらないかも 歳をとるだけ 健康で 長生きをする ことだけを 心ひそかに 最後の望み
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最終更新日
2017年06月06日 18時17分17秒
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