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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2018年05月17日
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カテゴリ:駄歌凡歌
アクセス数1万ごとに短歌を詠んでいます。

短歌を千首詠むと、願いが叶うという”願”をかけて、強制的に作詩に自分を追い込む口実にしています。

今回は、ほかのテーマを考えていたのですが、突然舞い込んだ訃報に内容を変更します。


昼休みに同僚がスマホを見ながら「西城秀樹が亡くなったって」と教えてくれました。

2度目の脳梗塞以来リハビリを続けていたことは知っていましたが、まさか亡くなるとは・・・。

僕とヒデキは同学年で、『ワイルドな17歳』として彼がデビューしてからずっと、45年間いっしょに人生を歩んできました。

とにかくテレビをつければ彼が映っているのですから、自分の成長の記憶には彼の影が無意識にも刷り込まれているのです。

ヒデキのデビューした1972年は高度経済成長期で、日本全体が華やかに浮かれていました。

音楽シーンではグループサウンズブームが去り、フォークソングブームも分散化してしまいましたが、歌謡界は様々な新しいスタイルで爆発し始めたころです。

ちなみに日本レコード大賞は、ちあきなおみ『喝采』。

他には、小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、天地真理『ひとりじゃないの』、南沙織『ともだち』、沢田研二『許されない愛』、吉田拓郎『結婚しようよ』、山本リンダ『どうにもとまらない』、和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』、ガロ『学生街の喫茶店』、上条恒彦『誰かが風の中で』、ぴんからトリオ「女の道』、アグネス・チャン『ひなげしの花』、麻丘めぐみ『芽ばえ』、森昌子『せんせい』、郷ひろみ『男の子女の子』、野口五郎『めぐり合う青春』・・・。

森進一も五木ひろしも尾崎紀世彦も健在で、歌謡シーンには欠かせない名曲が豊富で、とにかく絢爛豪華で時期でした。


”新御三家”と呼ばれた野口五郎、郷ひろみとも同学年で、僕の中では3人は青春の苦楽を共に生きてきた親友です。

本来の僕の嗜好はフォークソングでしたが、”明星”の付録で歌を覚えていたため、フォーク以外の曲も同時に覚えて歌っていました。

(明星のグラビアの麻丘めぐみやアグネス・チャンの写真を部屋に貼っていましたっけ。)

新御三家の歌も、よく歌いました。

でも、五郎やひろみの歌に対し、ヒデキの歌は歌いにくかったです。

あの熱唱スタイルが恥ずかしく、内気な高校生にはちょっと苦手でした。

(それがなんと、大人になって恥じらいを捨てた今では、カラオケの一番ソングは断然ヒデキです。)


本当はこの項は5月2日に亡くなった井上堯之さんを偲んで、彼の功績と同時代の青春を懐かしむ記事にしようと思っていました。

井上堯之さんも大切な人で書きたいエピソードもたくさんありましたが、ヒデキはもっと重要な存在でした。

なんせ同級生が死んでしまったのです。

ショックです。

喪失感。

一報を聞いた日、仕事をする気になれませんでした。


親友と言いながらも、会ったことは1度きりです。

それも昨年の夏に、近くの某すし店で偶然隣り合わせただけなのですが。

家族連れでいらしていました。

初めはよく似た人だなあ、ほくろの位置まで一緒だ、と思っていたぐらいでしたが、帰ってからネットで見ると家族の写真があり本物だとわかりました。

ヒデキはあまりしゃべってはいませんでしたが、子どもたちは普通にはしゃいでい注文をしていました。

見るからに普通の、どこにでもいる普通に幸せそうな家族でした。

訃報を聞いた時、真っ先にあの子たちの顔が浮かび胸が詰まりました。






数あるヒデキのヒット曲の中で、僕が一番好きなのは、『ブルースカイブルー』。

『情熱の嵐』『ちぎれた愛』『傷だらけのローラ』もカラオケでよく歌いますが、『ブルースカイブルー』はとっておきです。

1978年、23歳、僕の失恋の記憶にもリンクしています。


♪あの人の指に絡んでいた ゴールドの指輪を引き抜き 
 この僕と歩いてと 無茶を言ったあの日
 恐れなど感じないで 激しさが愛と信じた 
 立ち止まることを許さずに 傷をつけたあの日
 振り向けば あの時の 目に染みる空の 青さを思う
 悲しみの 旅立ちに まぶしすぎた空 思い出した


ヒデキの歌は激唱スタイルが表に立ちすぎて、深みに欠けるところが難点でしたが、次第に作品に厚みが加わるようになっていきます。

1976年『君よ抱かれて熱くなれ』以降の、作詞家が”阿久悠”にかわった時代です。

歌詞に、人生のしたざさえになる哲学が刻まれるようになりました。


♪愛は人の前を流れていく川だよ 思い悩む前に裸になり跳ぶのさ(君よ抱かれて熱くなれ)

♪君が死んだら俺は死ぬ でも俺が死んでも君は死ぬな 君一人でも愛は生きる 俺一人では愛は死ぬ(ジャガー)

♪太陽に向かい 歩いている限り 影を踏むことはない そう信じて生きている
 あなたにもそれを わからせたいけど 今は何も告げず ただほほえみのこすだけ(若き獅子たち)

歌詞の中に、がむしゃらな若者から大人の男へ成長していく姿が投影されていきます。

ヒデキも20代に成長し、1978年『ブルースカイブルー』にたどり着きます。

♪少しだけ時がゆき もう過去と呼べる恋の日々を
 青空が連れてきた もう会えぬあの人だろう(ブルースカイブルー)

僕とヒデキは大人の世界の壁にぶつかり、挫折を味うのでした。


『ブルースカイブルー』も含めて、ヒデキの歌には年上の女性との恋が描かれていました。

『ラストシーン』『ブーメランストリート』『ブーツを脱いで朝食を』『ボタンを外せ』・・・。

でも実際に結婚したのは、17歳年下の女性でした。

その時ヒデキ42歳、妻の美紀さん28歳。

年の差カップルでも親子ほど離れているわけではなく、40歳超えたら実年齢に価値はありません。

実際に去年お見かけした時も、年齢差は感じませんでした(ヒデキ61歳、妻44歳)。

以前30歳で『徹子の部屋』に招かれたとき、「アイドルは恋愛が難しくなかなか結婚までいけないのですが、自分は子供が好きなので婚期を逸しても若い女性と結婚して子供を持ちたい」と言っていました。

その通りになったわけです。

その後、1女2男に恵まれました。


訃報を受けて放送された特番で、リハビリに励むヒデキの姿が映し出されていました。

僕は長く、ヒデキに対しては羨望とやっかみが半ばする印象で付き合っていました。

しかし病魔に倒れてから以降必死に戦うヒデキの姿をみて、今は尊敬以外の感情はありません。

結果は彼の望み通りにはなりませんでしたが、最後の数年はとても美しい人生だったと感じます。

心からご冥福をお祈りします。




君が生きる 姿を熱く 受け止めて 人生を知る 美しきかな

アイドルが ファンに伝える メッセージ 飾らぬ言葉 プロの信念

楽しさと 厳しさ背負う 旅立ち前夜 未来への道 あの日始まる

言われても 今では遅いと 恋の道 熱き心は 明日を見ずに

恐れなど 感じず激しく 愛を信じ 無茶を言ってた 傷つけあった

青春の 恋に障壁 現実の壁 未熟な性と 金なき悲哀

人生に 連れ添う人が 夢世界 年輪のごとく 記憶に描かれ


ともどもに ヒデキ還暦 乗り越えて それでもヤング 貫く友よ

六十年 上り続けて 見る景色 恥ずかしき事 街の灯のごとく

今日はもう ヒデキを歌い 酔いつぶれ 青春思う 感謝を込めて






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最終更新日  2018年07月16日 20時52分54秒
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