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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2018年09月26日
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カテゴリ:駄歌凡歌
アクセス数1万ごとに歌を詠んでますと、いつもは書いていたのですが、67万からさぼってしまいました。

忙しいのと、行き詰っているのとで、つい遠ざかっています。

でも、70万の節目ですので、老骨(?)に鞭打ちキーを叩きます。


テーマは、少し前の話にはなりますが、「オウム真理教事件」の死刑囚13人が、7月に執行されたことから、オウム事件を総括的に考えてみたいと思います。


過去にこのテーマで書いたブログがあります。

村上春樹著 『約束された場所で』

村上春樹の著書の引用から、僕のオウム事件の捉え方に触れています。

この記事を書いてから8年。

事件から数えるともう30年近くを経てしまいました。

なのに、いまだに結論のような形は見えていません。

彼らの行ったことが、悪いことだということは、どんな屁理屈を使っても揺るぎませんが、どうしてこんなことが起きたのかという、原因を突き詰めていくと膨大な広がりを見てしまいます。

”悪い奴”を天に変わって成敗するという考え方は、「勧善懲悪」の論法であり、万国に共通する昔からの思いです。

”悪い奴”を認定したのが”とんでも教祖”だったせいで、犯罪になったわけです。

しかし考え方は誰にでもある、普通の思いです。

現代の日本という法治国家で行われたことゆえ犯罪となり、死刑がくだされたわけですが、サティアンという隔離された世界の中で、別の法が支配していた場所で、絶対権力者の命に背くことはこの狭い世界の中ではできません。

仕組みとしては、やくざ社会の”鉄砲玉”のようなものだったのですが、社会から排除された落ちこぼれ集団の話ではなく、高学歴者が起こしたというところが不可解で怖いところなのです。



しかし、いま改めてオウムのことを書いても、8年前以上のことが書ける気がしない。

本当はもっといろいろ調べて、深く追求する意気込みだったのですが、次々と襲う事件(「9.11アメリカ同時テロ」とか「3.11東日本大震災・福島原発事故」だとか)にまぎれて、あの大事件が薄れていったのは事実です。

だとしても「オウム真理教事件」は自分に決着をつけるためにも追わなければならない事件であることは変わりません。

今回は全く不完全な形で心情を述べるにとどまりますが、何とかいつかは納得のいく意見を述べたいものです。


IMG_0924.JPG


とりあえず書棚にあるオウムに関する本を並べました。

恥ずかしながら、すべてを読んでいるわけではありません。

でも、時間を作って読む気はあります。

これを読んでさらに適切な資料も集めて、いつか改めて総括するつもりです。



話は変わりますが、今回のオウム死刑囚13人死刑執行については、「死刑の是非」が多く論ぜられました。

「袴田事件」をはじめとする、冤罪死刑囚も多数存在する日本の裁判において、死刑の是非は大きなテーマではあります。

しかしながら、今回の死刑廃止論者の言は、死刑廃止が世界の潮流だからという趣旨が多く見受けられました。

先進国で死刑を容認しているのは日本だけ、というような。

僕はこういう論法は嫌いです。

死刑を廃止した国は、それぞれの理由でそうしたのです。

”先進国”だからというわけではありません。

欧米の多くはキリスト教国で「復讐するは我にあり」という、死刑が許されるのは神のみという考え方です。

信仰する宗教による文化の違いというべきでしょう。

また、政治犯として時の権力者が政敵を次々死刑にした経験を持つ国は、その反省から死刑を廃止にしました。

世界の人口だけで見ると、死刑制度を持つ国の人口のほうが多い(中国やインドという巨大人口を抱える国が含まれていることもありますが)。

日本だけ遅れているという論は間違っています。

僕は死刑廃止論者ではないのですが、冤罪も含め、日本の裁判に信頼を置いていないので、慎重派という感じでしょうか。

人の生死は神が決める、という論は同意します。

被害者の報復感情を満たす、という論には賛成しません。

犯罪抑止効果、という論にはそうだろうなあと思います。

数字的には抑止効果はないという見解もありますが、絶対悪の象徴として死刑の存在は大いに認識されていると思います。

死刑を望んで殺人をするという輩は論外とします。

結局突き詰めて考えると、「生きるとは何か、死ぬとは何か」というステージで考えなければ結論は出ないと考えます。



どうしてと 思う事件の 闇深く ありふれた人が 鬼畜の所業

洗脳が 優しき人を 悪魔と化す 加害者なれど 悪魔のいけにえ

被害者を 思えば彼らは 許すまじ 命さしだし 罪はぬぐえず 

命令を されればするか 人殺し 思考が止まる 似非神の罠

こんな風に 育てた覚えは ないはずが とめる機会を のがす後悔

金儲けの 手段としての 神格化 鬼に飲まれて 心廃れる

我が子には 決して行かせぬ インチキ教 何を捨てても これだけは誓う

信仰の 名にかくれての 殺人者 戦争しかり 革命しかり

世界あまた 多くの神が 仰がれど 人を殺せと いう神はなし

いにしえの 民が学びし 信託も 無残に壊す 人の性かな





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最終更新日  2018年10月03日 11時06分21秒
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