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2006年08月15日
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終戦記念日ですね。
戦争被害に遭われた方々のご冥福と、今もなお苦しまれている方々へ癒しが行われることを祈ります。

これは、以前に書いた日記ですが本日、多少の加筆しアップしてみました。


ある日のことです。自己催眠状態から前世を見ようと思いました。
当時は前世を見ることに凝っていたのです。
(前世を体験するには催眠療法を使います。)

すると映像、イメージがでてきました・・・・。
男性が長崎に(海岸が見えたのでそう思ったのですが)に原爆を落とした。

ただし彼は自分が直接
「原爆を落としたわけでも、操縦していたわけでもないと」
言います。

ただ、自分のしたことに非常に苦しんでいました。
晩年、自宅で過ごしている彼は窓際のソファに座り、後悔に苦しんでいます。
こめかみに手を当て、うつむきがちな姿が見えました。
服装は白っぽいポロシャツに、ラインが入っているものを着ていました。
名前はロバートと聞こえました。

そのあと、浴衣姿の少女が坂道を降りていくところが見えました。
晴れていました。
彼女は上空の飛行機に気が付き見上げました。
彼女の名前は「さよ」
原爆でなくなったようです。

以上が私が見た(感じた)ことです。
長崎と広島との違いがありますが、これはイメージを見た私の主観です。
地名の声は聞こえてきませんでした。

私の過去性なのー?って感じでしたが、なんだか気になってロバートと原爆などでネット調べてみたら、ロバートは実在していました。

彼は投下ボタンも押していないし、操縦もしていなかったのです。
予定では操縦することになっていたし、実際試験飛行などのときはロバートが操縦していたようです。

そして、彼は後悔していて、そのため晩年は催眠療法をしていたようです。
もちろん、私は、この原爆投下についての知識は持っていませんでした。

けれど彼が伝えたかったことは、わかる気がします。


現在の私は前世にさほど惹かれることなく日々を過ごしています。
いくつかの前世体験を通して、結局は現在が大切なんだと思えたからです。

そして、このとき催眠という形で前世に思いをはせたのは、もしかしたらロバートと出会うためだったのかもと思うようになりました。

確かに原爆投下で亡くなった方や後遺症に悩む方々が被害者なのですが
1兵士として、任務を遂行しなければならなかった乗組員もまた被害者なのだと思います。

生きながら、生かされながら長い長い後悔と自責の念にかられ、精神を病んでいく。

彼もまた被害者なんだと私は思いました。
その後悔と戦争という化け物の恐ろしさを、伝えたかったのかもしれません。
もしかしたら、私と前世で縁があったのかも知れませんね。

戦争を仕掛けることも、戦争に加わることもない地球であるように
ロバートが私にそう言っている気がします。

今日、私はあらゆる戦争の被害に遭われた方々と
ずっと後悔し続けていたロバートが安らかな気持ちで神様と
ともにいられることを祈りたいと思います。
そして、現在平和な日々を与えられたことに感謝します。

戦争は人間が作り出したもの。
自然災害ではないから、防ごうとすれば防げるんじゃないかなって思う。
私のできること。
今の地球に愛を送り続けること。
空と海を愛するように、この地球に愛を送り続けようと思う。


上記の文はあくまでも私が見たビジョンであり、催眠状態で受け取った情報を元に
私、個人の意見を書いたものです。事実に基づいたものではないことをご理解の上
お読みくださいね。



※参考資料1※

広島機の副操縦士だった、故ロバート・ルイス氏は投下直後に「マイゴッド(おおっ)!」と叫んだ。後に続く言葉が何だったか、記憶は隊員によって違う。「見ろ、やったぞ」という説。「われわれは何ということをしでかしたのか」と悔悟の言葉だったという説。
 真相は確かめられない。戦後、ルイス氏は「自分は戦争を終結させた英雄か、史上最悪の破壊に手を染めた嫌われ者か」と悩み、70年代に催眠療法を受けるようになり、83年に世を去った。

そのとき、彼は「マイ・ゴッド!」と叫んだそうだ。
 広島に原爆投下をした直後の米爆撃機「エノラ・ゲイ」の機中でのことだ。
 「やったぞ」という「快哉(かいさい)」だったのか
 「何ということをしてしまったのか」という悔悟の言葉だったのか。
 仲間の間では解釈が分かれたという。

※参考資料2※

 「エノラ・ゲイ」の副機長だった彼、R・ルイス氏の手記が
 27日ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられ、
 35万ドルで落札された。機中でつづられた手書きのメモで、米紙の依頼だったという。

 45年8月6日未明の出撃から時間を追ってつづる。
 原爆投下直後のことは「私たちは一体何人を殺したのか? 
 正直いって、語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか」。 
 手記から見る限り、快哉の叫びではなかった。ルイス氏は、その後も悩み続けたらしい。
 
 しかし皆が彼のようではなかった。
 「眠れない夜などなかった」と語る当時の機長P・ティベッツ氏は
 「やるべきことをやった」と主張し続ける。
 その彼も、米コラムニストのボブ・グリーン氏には、少し違う顔を見せたことがある。
 広島の犠牲者の話を聞かされたとき「だれが間違っているのか、何が正しくないのか、
 わたしにはわからない。自分が正しいのかどうかもわからないのだ」(『DUTY』光文社)と。

 機中の手記で「100年生きたとしても、この数分のできごとを
 心から消し去ることはできないだろう」と書いたルイス氏は、
 キノコ雲から血か涙のようなものが滴る彫刻を残して83年に亡くなったという。

参考資料3
1945年8月6日午前8時15分、8ヶ月の赤ん坊であった紘子さんは、お母様に抱かれながら、爆心地から1.1kmの所で被爆されました。

 「母は一生懸命、助けてくれと叫んだのです。でも、勿論誰も助けには来てくれませんでした。そのうち母の腕の中で、私はぴたりと泣き止んだそうです。その時、これが母の愛というものなのでしょうか、ハッと気づき、これではいけない、と思い、手も動かせないのをやっとのことで体を少しずつ動かして、右手をどうにか動かせるようにして、天井にある瓦や木を取り除いて、少しずつ出口の穴をあけていったようです...。」

 そして、周りは、助けて、助けてという人々の声があふれる、地獄のような焼け野原。

 人類が決して忘れてはならない「ヒロシマ」の悲しみと苦しみを紘子さんは伝えてくれます。

 原爆が投下されてから10年目、紘子さんはヒロシマに原爆を投下した飛行機エノラ・ゲイの操縦士、キャプテン・ルイスにアメリカで会うことになります。当時10歳の紘子さんは彼のことをにらみつけていました。「こいつだ。」という気持ちをいっぱいにして。

 それはテレビ番組の収録で、番組の司会者はキャプテン・ルイスに次のように尋ねました。

 「原爆を落としたとき、あなたはどう思いましたか?」

 キャプテン・ルイスはこう答えました。

 「広島で原爆を投下し、いったん去った後、再び広島上空に戻り下を見たとき、広島が消えていた。『My God, what we have done!(なんということをしてしまったのだろう)』と思い、そのことを飛行日誌に書きました。」

 紘子さんはキャプテン・ルイスをにらみ続けていました。そして、紘子さんは、キャプテン・ルイスの目から涙が一粒二粒と流れるのを見るのです。その涙が、10歳の紘子さんに強烈な印象を与えました。

 「戦争というものは、人を憎むのではなく、戦争を起こす人々の心の中の憎しみの気持ちを憎まないといけないのだ。この人を憎むのは間違っている。」

 10歳の紘子さんはキャプテン・ルイスのそばに行き、そっと彼の手を握りました。キャプテン・ルイスはその手をしっかりと握り返すのでした。

 キャプテン・ルイスは晩年を精神病院で過ごします。彼が病院で作った彫刻は、きのこ雲と涙一滴の形をしていました...。

参考資料4
「快く思うわけがない。でも職務を忠実に果たしたのだ。後悔しているかって? その質問に答えるべき立場なのは、大統領だったトルーマンだ」
「私は、確かに原爆を落とすか持ち帰るか、決断する立場にいた。だが燃料がなかった。長崎に落とさなければ、重たいファット・マンを抱えて沖縄に緊急着陸することもできなかった」
「私が一つの都市に死をもたらし、破壊したことに、いくらかの責任があることについてだが......。私は、苦悩で寝付けないとは言えない立場をとり続けなければならない。悩むわけにはいかない。私の人生が、それを許さないのだ。はたして、答えになっているだろうか」(1945年8月9日、長崎原爆の投下指揮官としてB29爆撃機「ボックス・カー」に乗り込んだ、フレデリック・アシュワース(87))


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自閉症の男性が自殺■障害者雇用枠なのに職場の理解がなく■



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作詞:シエン太  作曲、演奏:人力車
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最終更新日  2006年08月16日 23時20分17秒
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