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2005年09月14日
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カテゴリ:日中関係
前回コメントしてくれたshanhuangさんが、中国がだけれども機械翻訳を使ってでもこの記事を読んでくれと言うものですから、エキサイトの機械翻訳サービスを使ってみました。大意は把握できるのでアップしてみます。

日本での一般的な見方とはかなりギャップがありますが、こう書かれています。

「“たとえ原子爆弾を投げないとしても、たとえロシアは参戦しないとしても、たとえ進撃する計画を制定しないとしても、日本も投降することができ(ありえ)たのだ。”」

なるほどこういう認識であれば、wchao37さんの言う、

「最も苦しみながら日本人を打ち負かし、最終的な勝利に最も貢献した戦勝国として、」

であるとか、

「私が思うには、日本人はなぜあの戦争に負けたのかを反省しているのであって、戦争犯罪を反省しているのではない。最近の彼らの行動を手がかりとすれば、日本人は次の対中国戦争において、同じ間違いを繰り返さないことを熟慮していることは間違いない。」

の意味がわかります。

中国語原文はこちらから。

◆ ◆ ◆


世界は反ファシストをする戦争の中国戦場

軍事科学院の軍史の部の研究員 《第2次世界大戦の史》編集委員 柳茂坤

今日、世界が反ファシストをするの戦争のヨーロッパ戦場成功裡に60周年の記念日だ。

  徳意の日ファッショの発動の第2次世界大戦、84の国家と地区をすべて巻き込んで、軍民の死傷が1億人以上に達することをもたらして、人類社会と世界の文明に前例のない大災害をもたらす。

  中国はアジア戦場のとして主に反ファシストをして国家、1931年の「九一八」事変の後で、第1は挙げ始めて反ファシストをする侵略の正義の旗。1937年の大戦は東方の爆発の後で、また第1は世界の大規模なことを切り開いて反ファシストをする戦場。

  それ以後、中国人民の第1個は広範なことを作り上げて反ファシストをして侵略の民族の統一戦線、大挙して進撃する日本のファッショと展開して2年多い生死が取っ組み合って、作戦区域の面積は160万平方キロメートルに達して、戦争の規模と地域の大きさ、持続時間の長さ、すべてそれからヨーロッパで爆発する徳波の戦争、徳英の戦争と徳法の戦争を上回った。

  中国人民の力の限りを尽くす抗日戦争、日本軍に死傷するのがきわめて大きくならせて、どうしても戦略的対峙の段階に移動しなければならなくて、徹底的にファッショの国家の“速攻で勝敗を決する”の戦略を粉砕して、日本のファッショを持久戦の泥沼に陥らせて、徹底的に日独のファッショの全世界の戦略的計画を打ち破った。

  世界と反ファシストをしてそれぞれ主に日に対して参加して戦国比較して、中国の抗日戦争の持続時間が最も長い、日本軍に抵抗して反撃を加える数量が最大だ、日本軍人数を殲滅するのが最も多い、払う代価が最もきわめて大きい。中国人民は世界を勝ち取るために反ファシストをして戦争の勝利巨大な民族の犠牲を払って、消すことができない歴史の貢献を作り出した。

  日独のファッショの全世界の戦略的計画を打ち破る 強力にソ米などの同盟国に支援して協力して戦う

  1938年5月、毛沢東は、日本“南のために東南アジア群島を攻略して、北はシベリア研究して、中間の突破の方針をとって、先に中国を打つ”とかつて指摘した。中国戦場はそのつきあった特殊な地理(学)の位置のため、世界が反ファシストをする戦争中でその他の戦場の取って代わることができない作用を果たすことができた。

  作用の1つ、中国の抗日戦争は日本の“北が進む”と“南進”の世界の戦略的計画を混乱させた。

  中国の長い間続く抗日戦争は日本の“北が進む”の計画を阻止して、ソ連に日本のファッショの攻撃を受けることを免れさせる。1939年ドイツがポーランドに侵入する前に、日本世界の戦略の重点は“北が進む”で、ドイツのはさみ打ちにするソ連と企む。日本の全面的な中国侵略戦争を始める1つの重要な目的は解除するためにソ連の後顧の憂いに侵入する。中国の粘り強い抗日戦争のため、日本にどうしても“北が進む”の陸軍の兵力に用いても中国戦場に入るつもりでなければならないように強制する。

  1938年7月と1939年5月~8月、日本軍相前後して2度中国の東北で国境、ソ連に対して張鼓峰事件と承諾する敷居事件を引き起こして、すべて蘇軍に遭って惨敗に痛撃を与える。検討して江蘇の失敗の原因を研究する時、日本関東軍の副参謀長の石原はにっこりとかつて語るに落ちる言った:“日本は辱めてソ連者に屈することを我慢して、日本で中国に対してだから戦争をする。”

  ドイツはソ連の前後で侵入して、日本はかつて3回の北のソ連に入る機会があった:1つは蘇徳の戦争が爆発する前夜、ヒトラーは、“日本が満州からシベリアを打ち込む”を望む;2が蘇徳の戦争が爆発したのになった後に、客はドイツの外長の中で特に洛河の甫のニュースは駐日大使のオットーを示して、彼に日本を説得させて、“最も速く蘇作戦に対して参加する”;3はモスクワ城の下ので時徳軍の兵で、ヒトラーは再度日本の“北が進む”を呼びかけて、共同でソ連を打ち負かすと出している。日本はなぜ破棄してドイツの約束を援助するのか、みすみすすべての“好機”に逃させて、日本軍の参謀総長のスギの山元の話でだ:“今、日本は強力な軍勢を中国に用いて、(北がソ連に入る)実際にはできない。”

  中国の長い間続く抗日戦争が引っ張って日本軍の主力に居住したため、やっと蘇軍に相前後して極東から54.2万に達する兵力、5000数門の大砲と3300数台の戦車を選び出して派遣させて、独に対して西の線戦う力を強化した。

  中国の長い間続く抗日戦争は同様に日本の“南進”の時間を遅らせて、強力に米英の太平洋での戦うことを支援した。日本の内閣は1936年で“南進”の東南アジアを国策にとするが、しかし日本軍の主力が中国の泥沼に深くはまり込むため、“南進”がずっと持って日程に上がら(多く)ないことに至る。 1939年9月にドイツはポーランドを電撃攻撃して、英仏米は東顧だ、日本の“南進”のために条件を創造した。その年12月、日本政府は“を作り出して欧州大戦に介入しないが、北を停止して進んで、南進の”の決定を用意して、しかし依然として中国の問題を解決することを“南進”の前提条件にする。1940 年5月~6月、ドイツは西欧を奇襲して、法荷は敗けて下がって、イギリスは緊急で、日本の“南進”のために英仏オランダを奪い取って東南アジア植民地で最優秀機会を提供した。中国の問題が解決していないため、日本ついて行くドイツの戦争の足並み。だから、日本が独特使の境内寿の1人の将軍を訪ねてドイツに答えて出兵して協力することを求める時言うことを釈明する:“中日の戦争は終わらないで、南進はできないのだ。”

  1941年12月、日本はついに太平洋の戦争を始めて、しかし中国戦場の重い負担を背負って“南進”の道に足を踏み入れて、この必然は“南進”の失敗を招く。太平洋の戦争の初め、日本はかつてのさばる于一時だ、しかしよいことは長続きしないで、ミッドウェー諸島とガダルカナル島の戦役を経って、日本は制空権と制海権を喪失して、敗ける相畢は現す。日本の内閣の成員は、中国戦場が致すところなのだと失敗の原因を分析する時一致して思っている。中国侵略日本軍の総司令官髑優れた6は率直に言う:“中国の問題は解決しないで、大きい東アジアの戦争は解決することができない。”太平洋に至る戦争は終わって、日本はずっと在中の兵力を減らす勇気がなくて、中国の長い間続く抗日戦争が米英に対して太平洋戦場で戦うことに起きた重要な作用わかる。1945年1月、アメリカ大統領のルーズベルトは深く感銘を受けて言う:“私達も中国人民を忘れられないで7年余り中にどのように日本人の野蛮な進撃を載せられてとアジア大陸で広大な地区が牽制して大量の敵軍に居住する。”

  作用の2、中国の抗日戦争は日独の伊ファッショの相互の“結託する”と“協力する”の行動を牽制した。

  中国人民の勇敢な抗日戦争、縛って日本の侵略者の動作に居住して、それに欧州大戦の爆発の前に軍事の同盟を結ばせにくい;軍事の同盟を結んだ後に、また互いに侵略の行動を協力して調整しにくい。

  1936年11月、徳意は日初歩的な政治の同盟を結んだ。侵略戦争の拡大とバージョンアップに従って、日独の双方はすべていっそう経済、政治と軍事の全面的協力を強化する必要があることと感じる。そこで、1938年から、双方は各自の戦略の利益から出発して、行うことを始めて軍事の同盟の交渉を締結する。ドイツの主張はすぐひとつ締結してソ連に対してまた広範に第三国の軍事の同盟に対応する;日本は軍事の同盟がソ連に対応することしかできないと主張して、英米を含むことができない。日本はなぜこの主張を持つのか、締約して米英法に中国に対する援助を強化させることができ(ありえ)ることを恐れるので、そしてソ連の巻き込まれることをもたらすかもしれなくて、それによって中国の問題の解決を遅らせる。意見の相違のため、軍事の同盟は放置されて下りてくることを交渉する。


  1940年9月に至って、日本はドイツの支持に助けを借りるため、迅速に中国の問題を解決して、それによって手を放す南進、主導的な立場はドイツに交渉を回復することを出している;ドイツはグレートブリテンの戦いが妨げられた後で、東が江蘇に進撃することを用意して、積極的に支持をも求める。両者はたちまち同調して、交渉に順調に回復させる。通って駆け引きをして、徳意の日三国はついに軍事の同盟を締結して合意に達する。

  9月27日、徳意の日三国は正式に軍事の多国間条約を締結する。日本と徳意は侵略グループを結んだけれども、しかしそれらは互いに調整して協力する上にそれぞれ後ろ暗い。1つの重要な原因は日本は中国戦場の牽制を受ける。1941年末、日本はパールハーバーの成功を奇襲して、1度西太平洋戦場の上で勢いを得て、そしてひとつ制定して5つの師団でオーストラリア、すずの蘭(今スリランカ)を攻撃して、徳軍とインド洋で合流する計画。1942年3月、日本の海軍の西進のインド洋、イギリスの艦隊と空軍を打ち破って、インド洋を制御した。客は洛河はドイツの外長の中で特にやっと何度も日本にすずの蘭を占領するように促して、そしてマダガスカルで基地を得て、それによって同徳の軍は北アフリカとソ連南部の進撃で互いに協力する。1942年4月15日、イギリスの首相のチャーチルは情勢の重大性を見て、かつてルーズベルトに驚いて叫んで、もし日本は西のインド洋に進軍するならば、同盟軍の石油を断ち切って線を供給して、“必然的に当方が中東の全ての陣地で崩壊することを招くことができ(ありえ)る”。しかし、チャーチルの心配した恐ろしい局面はそして現れていないで、原因は中国戦場が日本に居住した動作を縛ることにあって、それに兵力と海軍に足りて協力を抜き出させることができなくて、その海軍は功労なしで帰ってくるほかない。日独はインド洋の計画で合流して、日本の陸軍が断固として反対するもとに若死にする。

  作用の3、中国の長い間続く抗日戦争は同盟国に対してアジアで“先欧の後でアジアの”の戦略の方針を実施して支える作用を発揮した。





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最終更新日  2005年09月14日 19時04分03秒
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