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落語には、落語でしか表現できないネタという物が存在する。その一番代表例が「犬の目」だ。目が見えないから目をくりぬいて干す。そうすると、その干した目をいぬが食べてしまったので、その目を食べた犬の目をくりぬいてもとにもどすというものだが、実際にあったら大変なことだ。あれは、想像の世界だからおもしろい のだろう。 「愛宕山」もそうである。傘を使ってパラシュートをする、竹のしなやかさをバネにして山のしたから山に上がる、どのように考えても無理だと思う。この「猫の忠信」もそういうフィクションの世界の噺である。(けれど、昔話レベルなら似たような話はあるかもしれないが・・・。) この「猫の忠信」は、米朝さん本人も言っていたが文楽の演目「狐の忠信」のパロディーだそうだ。(もっとも、ぼくは「狐の忠信」をみたことがないのでどの辺が一緒で、どのあたりが違うとかは言えないが) パロディーとはいえ、ストーリーはサスペンス的な物ではじめてきくときは結構楽しめるネタである。(2回目以 降も、楽しめるけれども・・。) とはいえ、オチが弱かったのは残念だと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.12.17 01:56:15
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