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昨日、NHKクローズアップ現代で、アルファブロガーの特集をやっていました。タイトルには、「影響力を増す超人気ブログ」とあります。
いま、読んでいる森健氏の本「グーグル・アマゾン化する社会」には、「多様化が生み出す一極集中現象」との指摘があります。 * 「ブログの終わりの始まり」と嘯かれる昨今、アルファブロガーこそ、ブログ界の一極集中という弊害・時代のあだ花であり、ブログの不毛を象徴する存在であると、考えています。 NHKは、「影響力を増す超人気ブログ」とありますが、ブログ人口が800万を越えたならば、シェアから見て、影響力を増す超人気ブログという表現は適当ではなく、孤立化を増すアルファブロガーたちと表現すべきではないでしょうか。 彼らのブログで、お互いの気づきを生むような対話が一切成立していないことを見れば、それは明らかです。 つまり、アルファブロガーたちのブログは、もはやブログではなく、更新タームの短いホームページに過ぎない。 * 東京財団の対談では、対立してしまった感のある森氏ですが、光文社新書に書かれていることは、納得することばかり、現状認識もほとんど私と同じ、そして、憂慮されていることも殆ど同じだと感じています。 森氏が、Web2.0の特徴を、ユーザー参加型というよりも、ユーザー依存型と明記していることも、私が、CGMはメディアがユーザーに君臨しており、今後は、ユーザー主導のメディアが誕生してくるに違いないという言論と等価ではないか。 ☆ アルファブロガーの選出のアルゴリズムは以下のよう…。
つまり、いままでの人気投票に加えて、各種の数的勘案を加えた。 選出方法については、さまざまな議論があるようだ。 ある分析 結局のところ、量的な勘案で質的な勘案を代行している。 そんな印象を受ける。 ☆ 先のエントリーのコメント欄で気づかされたことだが、何故、「アルゴリズムの時代」というテーマを提出するかといえば、それは、民主主義の最大の欠点・「衆愚」が、「多様なアルゴリズムの並存」により、回避されるからである。 衆愚の名において肯定されてきたマキャベリズムが、「多様なアルゴリズムの並存」により、否定されるのである。 小泉首相も、ボピュリズム(人気取り・劇場型政治)と批判されたが、「多様なアルゴリズムの並存」という概念を世の中の人々が持つことができるならば、そのような批判から無縁でいられるかれしれぬ。 実際、永田町主導というアルゴリズムに、自民党県連の意見の集積というアルゴリズムが勝利したのが、森首相の降板であった。 * 「多様化が生み出す一極集中」と、森健氏は指摘している。 まさにその通りである。 フラットな社会になれば、出る杭は打たれる状況になり、出すぎた杭は打たれない…。つまり、一点突破した者だけが勝利する。 ![]() インターネットにより情報格差がなくなり、フラット化することは、グローバリズムと等価である。 情報公開はある意味、ローカルコミュニティーを根絶やしにすることである。 ローカルな王者は、グローバルな王者に太刀打ちできない。 たとえば、地元の草野球チームが、アメリカのMLBのチームと戦えば勝てるはずもない。だが、観客にとって、必ずしも、MLBの試合を見ることが幸福であるとは思えない。 いかに素晴らしい技術を持ったチームでも、見知らぬ外国人の野球を見て感動するのは、野球おたくでしかない。 * 私は東京に住んでいるから普段は感じないが、仕事などで地方都市に行ったとき、東京発のニュースを見ていて違和感を感じることがある。この地方の人たちにとって、東京発のニュースを本当に見たいのか・必要なのか。 東京から発信されるニュースは、東京というローカルをグローバルであるかのように詐称して発信されている情報ではないのか…。 勿論、東京は日本一の人口密集地帯であり、そこで行なわれる情報収集が、グローバルを仮称することは、是認されるのかもしれない。 しかし、メディアが多チャネル化・分散し、CGMによってユーザー意見の抽出が可能になるならば、そういう所作も変化していかなければならぬだろう。 * 結局のところ、東京・地上波テレビが、一極集中の最たるものである。 その存在を社会悪とみるか、ビジネスチャンスとみるか、必要悪とみるか…。 それによって、世の中の見え方も大きく変わってくるし、その見え方で、その人のステークホルダーも明らかになる。 ☆ 私はいままで、ネットにおいても、ステークホルダー(自己利益を目論む)の当事者発信が横溢していると憂いてきた。 そして、ネットにおけるインテグレートシステム(民意抽出システム)の不在を指摘してきた。
☆ アクセス数で勘案することが質を保証しないという意見もある。ならば、アルファブロガーは、特定アルゴリズムの専横の結果でしかない。
ならば、今回紹介されたアルファブロガーのほとんどは、かつてはブロガーだったかもしれぬが、いまはブロガーではない。 そのような人たちの営みが寡占的な地上波テレビを牛耳るテレビ人にとって、オーソライズされ、テレビ番組として紹介される。これもまた、特定アルゴリズムの専横である。 ☆ インターネットが永遠のベータ版であり、情報のオーソライズは、コンテンツメーカーがするのではなく、無名な受け手たちのコミュニティーによってなされる。 その無名な受け手たちのコミュニティーの神経経路ともいえるのが、「多様なアルゴリズムの並存」である。 神経系・リンパ系・脊髄反射系・思考系…。さまざまな経路があり、それらが時を得て結論(オーソライズ)を出す。 「多様なアルゴリズムが並存」した暁には、すべてのメディアのオーソライズ機能は無力化する。 そのような時が近づいているに違いない。 実は、その危機感を多くのメディア人も感じていて、だからこそ、自虐的な言論を繰り返す。 その言論構図は、ギター侍の、悪態をついた後の切腹のセリフにも似て…。 ![]() 補足: アルゴリズムとは、集団を代表するものを決めるシステムです。 スポーツでいえば、リーグ戦方式、カップ戦方式、ワイルドカード方式、勝ち抜き方式…。 議論でいえば、多数決方式、委員会方式、談合方式…。 ![]() * サッカーでは、リーグ戦の王者がカップ戦の王者とは限らない。 ならば、それぞれに利点があり、欠点があり、どちらが真の王者を決定しているのかは、覚束ない。 ならば、それらを並存させることこそ、真の王者を決めることになる。 * それが、私が指摘する「多様なアルゴリズムの並存」であり、それがインターネットの時代ならば、実現できるのです。
Last updated
2007年05月15日 09時29分58秒
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