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日本新聞労働組合連合会のイベントが近づいている。
そのサイトから、私のブログに来る人も少なからず存在するはずだ。 その方々にとって、アルゴリズムという言葉に興味を感じないのかもしれぬ。だが、アルゴリズムという概念が、これからのコミュニティーでのコミュニケーションを語るについて、外すことのできない概念であることを確信している…。 ☆ 東京財団の「それから」研究会は、日本の新聞の未来を探るものだった。 私は、「メディアがある限り言論統制・言論弾圧から免れない」という言論を提出し、2ちゃんねるが存亡の危機を迎えていることを危惧するとともに、既存メディアも同様の危険を孕んでいると指摘した。 私のネット上の知人であるマスコミ者は、自分達に都合の悪いことがあると、同僚たちは、「言論の自由」を持ち出すと嘆いていた。 巷間、メディアが喧伝する「言論の自由」に反する事例の多くが、メディア人たちのルサンチマン(怨念)の現出ではないか。と、私は感じている。 その理由は、メディア人たちが、自らのステークホルダー(自己の利益を守る・損害を避ける)のために、軽々と「言論の自由」の理想の旗を降ろしているからである。 そのことを、インターネットは如実に現してしまう…。 ☆ la causetteさんのブログに、「diggにおける反乱」というエントリーがアップされた。 Diggとは、英語圏ではユーザーの多いソーシャルニュースサイトである。 その体裁は、私が理想としている市民参加型ジャーナリズムの形に近い。 まずトップページがあり、次に、個別の記事に飛ぶ。個別の記事は、diggのサイトであり、そこではコメントによるコミュニケーションが図られる。 記事は、外部のサイトとリンクしている。外部サイトでは、diggとアイコンがあり、ニュースサイトとのリンクを明示している。 これは、ブログにおけるトラックバックなどが果してしまう、情報の上流・下流をイメージさせない。とても、フラットなリンク関係を明確に示している。
この精神が、日本のインターネット市民記者メディアには欠落している。 * 仔細は、la causetteさんのエントリーに行っていただければ分かるのだが、私が要約すると次のよう…。
この状況こそが、「表現の自由」の名のもとに、メディアが崩壊する事例である。 そして、そのことは、既存のメディアたちがなぜ、存続できてきたかを暗示する。 そもそも、既存のメディアは、「表現の自由」とは無縁なのである。 ☆ そのように、メディアが存在することが、著しく「表現の自由」「言論の自由」と乖離さぜるを得ないと悟ったとき、メディア者たちの存在を唯一肯定できるものは何かといえば、それは、ユーザーにとって納得できる「表現の自由」の制限であり、「言論の自由」の制限である。 奇しくも、運営者は、「いままでも、ポルノや暴力・憎悪に関する言論については言論を制限してきた」と明かしている。 それは、そのような制限を肯定してきたユーザーが、こと「表現・言論の自由」に対して、拘泥する論理矛盾の指摘かもしれぬ。 ☆
あるべきは、集団的合意をもとに管理・運営をなすことである。 その合意がないから、メディアは終末を強いられる。 * ならば、フラットなユーザーコミュニティーのアルゴリズムを変革しなければならない。 ツリー状。または、ヒエラルキルなアルゴリズムの並存によって、ユーザーの集団的合意を形成させなければ、diggは消滅してしまうに違いない。 * diggのビジネスモデルは、現時点で考えうる理想のニュースサイトの形態である。 だが、それが問題を孕んでいることが、今回明らかになった。 これは、単にニュースサイトの問題ではなく、CGM全般についての問題であることは言うまでもないだろう。 ![]()
Last updated
2007年05月11日 10時38分12秒
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