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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)
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2007年05月14日 楽天プロフィール Add to Google XML

アルゴリズムの時代07:インターネットは民主主義の現状を告発する。
[ アルゴリズムの時代 ]    


トーマス・フリードマンは「フラット化する世界」という書物をなした。

私は、それがアメリカニズムの上に載った言論に過ぎぬと指摘している

だが、アメリカ的な考えはともかくとして、さまざまな問題を孕みつつも、日本が民主主義な制度の上で、存在していて、フラットな社会だと考えている人が多いのかもしれぬ。

確かに、フランスのように新大統領が当選後、自家用ジェットで地中海クルーズにバカンスで出かけるような国とは違う。
だが、日本の諸制度がフラットであると考えるのは浅薄である。

言語を司ることのできぬ乳児に参政権を与えることはできぬのは合理である。だから、どの年齢から参政権を与えるかについて、議論が起こるのは仕方のないこと。人間は教育によって、社会的責任を果すようななるのだとするならば、教育を終えた人間に選挙権を限定して与えるのは当然のことだろう。

だが、それだけではないことに気づかねばならぬ…。



インターネットならば、365日24時間、誰でも参加できる議論が可能だし、いつでも採決ができる。

このような素晴らしいシステムを何故、既存の民主主義の機関たちが使わないか、その理由を考えた人がいるだろうか。

すこし考えれば、答えは明らかである。

既存の合議システム・選挙システムは、民意を抽出するシステムとして、多くの欠点を持っている。

そのことをインターネットは、明らかにしてしまうのだ。




たとえば選挙である。

原稿の選挙制度は、「誰でも立候補できる」制度などと考えてはいけない。

選挙には、供託金制度があり、金銭的な余裕がない人は、選挙に立候補することはできない。

その反証として、選挙民が望まぬのに、夕張市の市長選には私財200億円の羽柴秀吉が立候補するし、東京都知事選にはドクター中松が立候補する。

そして、得票数が第一位になれば、首長になれるのかといえばそうでもない。九州の寒村は、オウム真理教の教祖が首長になることを阻止するため、住民票の受け入れを阻止した。


このようなことを想起すれば、選挙は平等の精神を理想とするが、それは、ひとつの方法に過ぎず、それが平等に近いものであるにしても、それが理想を実現しているのではない…。



制度は民意を追っており、民意が変われば、如何なる制度も是認されぬ。それが日本である。

*

日本のような異質性の低いコミュニティーでは、その共同幻想は高いが、アメリカではそうではない。

J.F.Kennedyが最初の選挙のとき、財界を牛耳っていた彼の父親は、対立候補と同姓同名の人間を立候補させ、相手候補に打撃を与えたという。
もし、同じことを日本でしたなら、そのような悪巧みをする人間に投票はできぬ。との批判が沸き起こり落選は必至だろう。だが、アメリカでは違う。

アメリカは、異質性が高いから、平等の概念よりも、機会均等を尊ぶ。
どんな奇手を使おうとも勝利者は勝利者である。敗者が、モラルをして勝者を批判しようと、それは負け犬の遠吠えに過ぎない。

日本にいる私には、ハリウッド映画のアカデミー賞の裏側などを知る由もないが、その世界が、かつて批判された日本のレコード大賞の裏側以上に、エスカレートされたものであることは想像に難くない。



そういえば、昨年、YouTubeでは、Lonely girl 15という投稿が話題になった。
話題になったのは、自らの心理状態をビデオでネットに披露することだった。キュートな彼女の容姿もあり、YouTubeのアクセス数は激増した。

だが、1カ月を待たずして、そのすべてが、「やらせ」であることが分かった。
リアルで女学生を知る人物からの投稿があり、話題が話題を呼び、アクセス数も増えた。そして、テレビ番組で、当該女学生が「やらせ」の事実を告白するに至った。

投稿をしくんだのは、制作集団であり、そのチームに女優として雇われた女学生が演じていたのである。

…だが、Youtubeでは嘘をついてはいけない。などというルールがあるわけではない。


数日前のサンケイエクスプレスによれば、YouTubeは、アクセス数に貢献した投稿者に対価を支払うことを表明した。という。

アクセス数に寄与することは、YouTubeの広告収入増収に貢献することである。

その報酬支払リストにLonely Girl 15があるという。

日本であれば、「あるある…」事件のように批判が集まったに違いない。まるでドキュメントであるかのように、ドラマを見せられたのだから、視聴者からの反発は必至である。

だが、アメリカ手は、そのようなモラル違反も、アクセス数の激増という事実の前では、捨象される。

*

同様に、莫大な資金をつかって活動を続けるアメリカの大統領選挙を、ボピュリズムだと批判するアメリカ人がいるだろうか…。



同じ民主主義でも、日本とアメリカでは、その現実はあまりに違うのである。

そして、私が指摘したいのは、アメリカ人のように「民主主義がひとつの形式でしかない」と、冷めている人たちよりも、民主主義を信じている日本人のほうが危うく、そして、不幸なのである。



日本の民主主義では、「誰でも立候補できる」というのは幻想である。
現実的には、選挙費用や、落選したときの供託金がなければ、立候補はできない。

日本の選挙では、選挙カーによる名前の連呼という、候補者の言論と乖離したボピュリズムが批判されることはない。

そして、選挙で当選し議員になったとしても、自由に言論できるのでもない。
確固たる信念と言論があったとしても、それが敵視されれば、女性関係や経済行為、身内の不始末など、言論と無関係なことを糾弾され、言論発信の機会を奪われる。

それが社会の民主主義の現実であり、インターネットでの365日24時間会議・永遠に続く採決とは、大いに異なる。

*

インターネットがなければ、既存の民主主義のシステムの不都合は、民主主義本来の持つ欠点として、けっして糾弾されない。

だが、インターネットがあれば、それは、just既存システムの不備であって、民主主義そのものの欠点ではないことが露呈する。



そのことを既存のエスタブリッシュメントたちは勘付いているから、インターネットを自らから遠ざけようとする…。



「世の中がフラット化する」などと嘯くのは、世の中を見ることを辞めた人のセリフである。

インターネットの登場で見えてくるのは、フラット化ではなく多様化(ダイバージョン)なのだ。

ブラウン管が白く映っていても、それは、光の三原色・赤緑青が合わさったものに過ぎぬ。
フラットなどという幻想に騙されてはならぬ。画像をフラットにしている原因は、対象との距離に他ならぬ。
対象との距離をつめれば、白くはない。

最近、英語ブログを作った。

英語圏で生活したことのない日本人がつくった低レベルな英語だが、英語にしてみると、考えが整理されてくることもある…。
私の長い日本語に嫌気がさしている人は、覗いてくれると嬉しい。

そこに、"Flat lead us equality"と書いてみた。

もちろん、それは幻想であるとして…。である。


07sponta


Last updated  2007年05月14日 11時32分35秒






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