カテゴリ:ひとりごと
今年になっての、私にとって継続していた(つもりの)記事を中断している。
(書きたいことの核心に迫ってくると間を置く、毎度のことではある。 自分が正しいと勘違いしていきそうで嫌になってくるというのも本音である。 正しいことを書いているつもりも、何か主張しようなんて気はない。 それでは、何のために書いているのだろうと、ふっと思う。) その継続しているつもりのことは、今回は子の成長を願う親としての感情からである。 もちろん、ブログタイトル「生きるってこと」も意識している。ただ、“生き方”などという方法論などではなく、“それでも生きる”こと。そして、親である幸せとは、と。関連をもたせている。 “それでも生きる”とは、大きな意味のあることなのだが表現できずにいる。 しかし、“ネタ”に新鮮味を失ってしまう前に少し“メモ”として書き残しておこう。 4/4の新聞に 【「世界に一つだけの花」個性尊重の功罪として、向上心なくす 日本人弱くした】 との特報記事があった。 【SMAP「世界に一つだけの花」発売10年熱い論争再燃「個人尊重して素晴らしい」のか 「現実逃避に結びつく」のか】 というネット記事も目に付いた。 ヒットした一曲の歌の功罪よりも、時代背景は言うまでもなく「ゆとり教育」の始まった時期に一致する。 一方で、勝利至上(ナンバーワン)主義で問題が生じていると報じられる。 言うまでもなく、暴力的体罰。その記事の前日まで開催されていた高校選抜野球で取り上げられた危険行為。 この問題を掘り下げたいと思っているのだが、躊躇っている。 躊躇っていると言えば、「中日新聞を読んで―道徳教育とリア王の教訓―」という記事(3/17)に疑問を感じ、目に付くようデスクシートにスクラップしてある。 【「親孝行の娘に最大のものを譲る」 と言われたリア王の3人の娘。 2人の姉は、口先だけの愛の言葉を述べ、後にリア王を裏切る。 三女は、愛の告白を拒絶するが、それは、口にしたら偽物になってしまうことを理解 していたからとし、その例をひきながら、もし道徳の教科化によって、心のありようが 成績評価の対象とされたら、二人の姉のような人間が増えるのではないか。 道徳の教科化が「環境破壊」。をもたらす】 といった内容である。 これは、“今の教育(評価)システム”では三女のような人間を評価することができないと認めているようなものである。 そして、「環境破壊」は、既に生じているのでは?と思う。 実際の「環境問題」においても、「環境破壊」を「ただの変化」と終わらせることができない。その上で“持続可能な発展”が議論される。 知識者達は、それを修復するよりも、知識を披露する場が必要であるように、教育知識者の多くは、疑問視するだけで解決方法すら提示しない。 ただ誰かの責任にすることで教育が思想的対立や社会形成の道具として利用されている。 そんな、気がしてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 24, 2013 11:36:47 AM
コメント(0) | コメントを書く
[ひとりごと] カテゴリの最新記事
|
|