カテゴリ:ドラマ
第1話で有名なショーケンによる"傷だらけの天使”のOPをモロに引用し、最終話で松田勇作"探偵物語”のクライマックスを見事になぞってみせた、この作品。 しかもお題は、よりによってあのピープロ作品~"ライオン丸”である。 なるほどね~ 今作でスタッフのやりたかった事が、実に小気味良く伝わってくるぜ。 ヒントはおそらく監督・脚本の大根仁が、1968年生まれってとこだ。 ぶっちゃけオレよりもチョイ年下であり、そういった視点で観ていくと実に、何と言うか…いろんなディティールの意味あいが見えてくるんである。 まぁ何といっても監督の高校時代が、尾崎豊の全盛期なんだよな(笑) 監督の尾崎豊への待望と変身願望こそが、今作で描かれる"夜学の先生”であり、だからこそ最終話では獅子丸や錠之介とは何の関係も無いのに(笑)、豪山忍者に殺されなきゃイカンかったのだ。 それはやはり尾崎の非業の死を彷彿させるモノであり、それと同時に――今この時代における事実上の"尾崎イズムの死”でもあるのだろう。 もしくは"自分の中の尾崎”を殺してしまいたかった、とも取れる。 そして悪役すら、己の指針を見失う時代だということか? 遠藤憲一演じる豪山ジュニアはヤクザの親分でありながらも、常日頃よりこれからの身の振り方を、コスプレという形で試行錯誤していく。 とりあえず、ただの変態オヤジにしか見えんのだがね(笑) つか、まっとうにイイ歳したオッサンが、いまだ自分自身を確立させる事が出来ないでいるのだ。 結局このジュニアは単に肉親の愛情を求めていたのであり、錠之介のように自分も変身できれば"パパ”に可愛がってもらえる、と思い込んでいたにすぎなかった。 真っ当に悪を成す事すら出来ない悪役なんざ、ある意味カオティックな現代の象徴ともいえるのかも。 それとこれはおそらく、一番のキモになると思うんだが―― たぶん獅子丸は、旧作の舞台となった"戦国の世”から転生してきたんじゃないのよ。 おそらくは、昭和という時代のブラウン管の中から転生してきたのだ(OP映像を観れば、その事は一目瞭然) もしくは"ライオン丸”や"探偵物語”などといった「当時のテレビヒーローに熱中していた少年たち(監督を含む)」の転生であるのかもしれない。 だからこそ現代において獅子丸(=監督や多数の視聴者でもあるだろうオトナたち)は"本来の自分”を見失い、享楽に身を委ねバカばかりをやっていたのだ。 つか、豪山の語るところである「獅子丸は世俗の垢にまみれすぎ」という台詞が何ともヘヴィ。 んで、獅子丸や錠之介みたいに変身したくても変身できないジュニアは、昭和的なバックボーン(人格形成)を持たない、リアル現代人としての一つの型なのだろうね。 歌舞伎町という"大人の街”が舞台となっているのも、以上のような解釈をしていけばスッキリと納得できる。 結局このライオン丸Gは、現代の子供たち為に紡がれたヒーロー物語じゃないんだよ(深夜番組だから、当然といえばその通りなのだが) だからこそテーマソングは昔と同じでなければならなかった。 白と黒は互いに引き寄せられ、激しく交錯し、そして一つになる運命だったのか。 結果、キンサチとギンサチの両の刀は、豪山(ゴースン)ではなく、獅子丸が手に入れた。 ゴースンの望んでいたモノ(おそらくは強大な"力”そのもの)を、 己が半身(もちろんタイガージョー)を失った敗者~ライオン丸が手に入れる、という構図―― こう捉えると、なにやら感慨深いモノがあるねぇ…… やがてコスKは、自らが見守ってきた一連の出来事を一冊の本にする。 何故なら――このひどく物哀しい"ライオン丸”の物語は、既にキッチリと完結してしまったからな。 物書きをしているコスKとしては、この時点でまとめておきたかったんだろうし、自分たち以外の"誰か”に獅子丸たちの物語を伝えたかったのだろうさ(笑) んで、これから先は当然、獅子丸の変身するであろうライオンタイガーによる物語となる。 アイツは今もきっとキンサチ・ギンサチというオリハルコンの短剣(笑)を携えて、キンタマを掻きながらも、歌舞伎町の薄汚れた街角て、1人斜に構えて佇んでいるに違いないのだ―― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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