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ちょっと前になるけど、
ここの話 生きている意味が圧倒的にわからない http://anond.hatelabo.jp/20090301034255 この話はさておき、コメントがいい。 (以下斜体は、そのコメント) 意味がないって気づいたら、あとは笑顔で楽しむだけですよね。 たしかに!! 座布団30枚・・・ってかんじ(^^;) でも、これ、わかりにくいだろう。。。 さすがに、なんで、そう思ったか、説明したほうがいいか・・・ ■人間が生きるのは、なぜ? まず、「人間はなぜ生きているか」と考えたとき、 そこに、意味があるからではなく、生きるという本能をもっているからだと気づく。 目の前になにか飛んでくれば目をつぶる。 目をつぶることに意味があってやるのではない もちろん、目を保護するという意味はあるんだけど、 それを意識してやっている人は少ないと思う。 本能的にやっている。 (ボクサーは目をつぶらないそうだけど、そこには修練がいる) 同様に、人間は、なにか意味があって生きようとしているのではなく、 生きようとしている本能があるから、生きている。 ■人間が生きるのは本能である なぜ、生きようとする本能があるといえるのか、 背理法で証明しよう。 もし、人間に生きようとする本能がなく、みんな死にたいと考えたとする そうすると、生きる人はいなくなり、人類は絶滅する。 でも、人類は絶滅していない ってことは、人間は、生きようとしているから、生きている。 生きる本能がある。 ■人類が生き残るために、愛がある この生きながらえようとする本能を達成するために、環境に適応する。 どうしても、肉体はぼろぼろになるので、子孫をのこすようにする。 →生物的に、死なないと困る理由がある☆けど、それは別の機会に・・ そのとき、急激な環境変化に対応できるように、 まず、男と女に分けて、 異種の遺伝子を交雑させて、自分にはない、より環境に適した子孫を作り出す。 という方法を(偶然に?)とるにいたった。 つまり、自分が永遠に生きると、☆のところの理由でこまり、そのため、自分の生きた証を残すこととして、子孫を残すわけだが、そのとき、より生きた証を残すことを高めるため、男と女が愛し合い、より環境に適合した子孫を残せるよう「本能に組み込んだ」 っていうことは、自分の存在とは、「先祖が生きる証を残そうとして気づきあげた愛の連鎖」とか、わかったかわかんないかわかんない形でも言える。 人類が生き残るために、愛があるともいえる。 もっと簡単に、「男と女が愛し合うのは本能だ」これは、言えそうだ。 (出川哲郎とか、石田純一あたりが、好きそうな話だ) ■人類が生き残るためにルールがあり、正義をきめた。 さてさて、自分が生き残るためには、他人から殺されないようにしないといけない。 他人から殺されないためには、どうしたらいいか。 自分が殺さなければいい。 えー(@_@!) と思うかもしれないけど、安っぽい自己啓発セミナーみたいなかんじで説明してみましょうか。 すべての人が他人を殺さなければ、 だれも、自分を殺す人がいないから、 自分は、殺されませんよねえ・・・ とはいえ、これをみんなが守るのは至難の業、 そこで、ルールというものを考えた。 つまり、みんなが生き残るために、ルールというものを作り、これにより、自分の生存を確保している。このとき、「みんな」の取り方が問題。Aという国の中では争わないことがいいことになっていても、Aの国の外とかんがえたら、たとえばBという国と争って、資源を分捕ったほうが、A国の安定になる・・・とすると、 A国内では争わないけど、 B国と、争っても(戦争しても)かまわない となってしまう。争わないことが正しいのか、争っていいのか? ルールは時と場合によって変わり、ルールにとって、正しいと思われる正義も、時と場所によって微妙に変わるということになる。 ■科学法則のルールは、 上記のルールは、人と人の間に成立する、法律としてのルールだ。 これ以外にも、物理や化学の自然法則のルールがある。 これには、正しさはあるけど、正義というものはない。 ニュートン力学と、量子力学、どっちが正義か・・・といわれてもねえ(^^;) まあ、時と場合によって、使い分けてくださいとしか、言いようがない。 ただし、あくまでもこれは、その時代の人が、その時代までの科学を使って、正しいと思っているにすぎない。相対性理論がでてくるまではニュートン力学のみが、力学的に正しいと思われていた。時代によって、科学のルールも変わってくる。 見る人の時代背景が違うから。 ■人類が生き残るのによいことに、快楽を感じるように出来ている。 で、人間には本能的に生き残る→子孫を作るようになっているわけだけど、ある事象が起きたとき、それはすべて、生き残ることにつながっているか?とかんがえなくてはいけないかというと、そんなことはない。 普通の人は、人類が生き残るのによいことに快楽を感じるように出来ている。 うっそー(@_@!) と思うかもしれないが、これも、背理法で証明しよう もし、人類が生き残らないことに快楽を感じた人がいたとしよう。 自分が死ぬこと(=生き残らない)に快楽を感じた人は、 自殺して絶滅する。 他人が死ぬ(=生き残らない)に快感を感じる人は、 先ほどのルール (自分を殺さないためには、他人も殺さない、そのためにルールを作る) に違反している。 なので、社会的に抹殺される(死刑とか・・・) 両方合わせて、人類が生き残らないことに快楽を感じた人は絶滅する。 (ただし、一時的にそういう人が抹殺されるまで存在することはある) でも、みなさんは、死んでない ・・・ということは、 普通の人は、人類が生き残るのによいことに快楽を感じるように出来ている。 逆に、人類が絶滅する方向には、不快・苦痛を感じるように出来ている。 (というか、そう感じないと、生き残れない) ■他人が幸せになるようにすることで、自分の生きる希望が見出せる ここで、他者と自分との関係について考えよう。 もし、 Aさんが、Bさんに快楽を感じる(=幸せ感)を与えたとする。 そーすると、Bさんは、Aさんを排除する理由はないので、 Aさんは、危害を与えられない。 一方、 Aさんが、Bさんに苦痛を感じるようにしたとする。 そーすると、Bさんは、Aさんを排除しようと、 Aさんに危害を与える と、 Aさんは、苦痛を感じる。 つまり、 他人(=Bさん)が幸せになるようにすることで、自分(=Aさん)が生き残る可能性をたかめることができる →生きる希望を見出せる。 ■他人に幸せを与えることが、生きがいや、生きる意味といえる。 ここでさらに、 もし、Aさんがなにかしなかったら、Bさんは、絶滅するが、 Aさんが何かしたら、Bさんは、生き残ることができるという状況になったとしよう。 (例:Aさん医者、Bさん重傷者) このとき、Bさんが生き残れるか、絶滅するかは、Aさん次第である。 Aさんがいたら、Bさんは生き残れる。 このとき、Bさんから見ると、Aさんは、生きている意味がある。 Aさんは、生きている甲斐があるといえる。 ってことは、他人(=Bさん)に幸せを与えることが、(Aさんの)生きがいや、生きる意味といえる。 ■「人生の意味」や「生きがい」というものは・・ない。創るものだ。 ここで、AさんとBさんが知り合ったのは・・・ 偶然ですよね(必然と答えられそうな気もするんだけど ^^;) Aさんが、他人の幸せになるようなことを創り出し(医者になる) そして、BさんがAさんのことを知って、 BさんがAさんのところに行くことによって、 Bさんは幸せになり、Aさんの人生の意味が生まれる。 つまり、「Aさんが、他人の幸せになるようなことを創り出」さなかったら、Bさんは救われないし、生きている意味も見出せない。あくまでも創り出すのであって、どこかに落ちてるものを発見するものではない。 だから、「人生の意味」や「生きがい」というものは、どこかに落ちていて、それを探し出すようなモノではない。そういう意味では、「人生の意味」や「生きがい」というものが、どっかにあるものではない。 それは、自分が先祖からもらった才能と環境、それらから他の人の幸せになりそうなものを創り出すものなのである。 ■他人を幸せにするには、自分が幸せにならないと・・・ ということは、 自分の生きがいや人生の意味を見つける =自分がいることによってできる他人への幸せを作り出すことになる。 ところが、他人を幸せにするには、まず、自分が楽しんで幸せにならないと、他人がどんなときに幸せになるのか分からない。 だから、まずはじめに、自分が人生を楽しまないといけない。 ■まとめ ということは、最初と最後をまとめると、 人生に生きる意味がないって気づいたら、あとは笑顔で楽しむだけですよね。 っていうことになるんだけど・・・ 私はこれに気づくのに、生まれてから何十年もかかった (正直、つい2、3年前、いや、もっと最近かなあ、今みたいな形で気づいたのは) うーん、これって、みんな気づいていることなのかなあ(^^;)
Last updated
March 8, 2009 21:04:05
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