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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2 初めての海外旅行

 初めての海外旅行

 何時も知らないうちに「カッパタヌキ」が憑依して、好き放題書いているようですが、今回は「杉の花粉」が書かせてもらいます。ですから、もちろん師匠は現れません。

【初めての旅行のきっかけ】
 「杉の花粉」は貧乏です。お金の管理が出来ません。でもここまで貯金がないのには理由があります。
 それは、もう15年ほど前に遡りますか、時間の流れは速いものです。
その時、未だ「杉の花粉」は26歳で、人並みにボーナスを全部酒に突っ込む普通の生活をしていました。
 それが、その時努めていた事務所に不思議な人がいました。
 彼(仮に出川氏としておきます)は、収入の殆どを旅行に充てていたのです。
 そんな、出川氏の前で、何を思ったか「オーロラが見たい」と少女のように口走ってしまいました。丁度、11年に一度巡ってくる太陽の黒点が活発な年で、オーロラが出現しやすいという話を読んでいたからなんでしょうが。
 「そんなん簡単やで!」と眼を輝かせる出川氏。彼はその正月休みを利用して「アフリカ」への旅行を企んでいたのです。

 当時は、オーロラをワザワザ日本から見に行くツアーなど全くなく、ましてや合理的なヨーロッパでは、出現するのが不確定なオーロラを見るツアーなど有り得ない状況で、「オーロラを見に行くのはちょっと難しい」と断る口実を口にした途端、「個人で行けばええやん!」。
 “しまった!”と思った時には、既に遅く、出川氏の言うままに、いつの間にか「杉の花粉」は、独りノルウェーの北極圏部分に旅行する既成事実が作られていってしまったのです。

 初めての海外旅行が「オーロラを見に独りでノルウェーの北極圏部分へ行く」ことになった「杉の花粉」の語学能力は現役中学生以下。
 それに、弟が二人いるものの、一応「杉の花粉」は長男で、親の面倒を見る必要がありましたので、父親をどうやって説得したら良いか考えると頭が痛くなります。

【父親の説得】
 父親に怖る怖る切り出すと、案の定「何を考えてるのや。そんな危ないこと!」
 オーロラが何で危ないのか良く判りませんでしたが、取り敢えず説得しなければなりません。
 「死亡したら5000万円払われる保険に入ってるし、何かあったら、その金で迎えに来てもらえれば・・・」と話した途端。口ごもる父親。怒鳴られるものと覚悟していると「俺はよう迎えにいかん。そやけどお前がそんなに行きたいんやったらしょうがないなあ。」
 アッサリ許されてしまいました。「そやけど、俺は金が欲しいんやないぞ。」と付け加えてはくれましたが。

【旅行の準備】
 それからが、大変です。ノルウェーの在日大使館に資料を請求して、オーロラが見える北極圏内の都市「トロムソ」を見つけ出し、「オスロ」-「トロムソ」間の飛行状況の確認。 
 次いで海を挟んだ隣国、英国にも寄ってくることにして「オスロ」-「ロンドン」間の航空券の予約など時間と戦いながら『地球の歩き方』を基に「旅行計画」が作られて行きます。
 そして、下宿に帰ると人から借りた『イングリッシュアドベンチャー:追跡』のテープをかけっぱなしにして、ヒアリングの訓練。
 えっホテルの予約が抜けてるって?当時はインターネットなんて洒落たものはなく、「現地に行ってツーリスト・インフォメーションに行けば予約してくれるから」という出川氏の言葉を信じて、ホテルの予約は一切なし。
 また、さすがに「東京」-「オスロ」間往復のディスカウントチケットは129,000円にてHIS(当時は「秀インターナショナルサービス」と呼んでいましたが)で購入したものの、「ノーマル航空券は日本で買うと高いから」と「オスロ」-「ロンドン」間の航空券は予約だけして現地で発券することになりました。

【出発(成田空港)】
 出発当日は防寒着にディパック1つというあたかも浮浪者然とした格好で、成田空港に出かけ、空港内で出川氏と待ち合わせです。
 二人とも最も安いソビエト航空のチケットを購入していましたから、アフリカに行く出川氏も、「杉の花粉」同様、モスクワで1泊して乗り換える必要がありましたので、モスクワまで同行してくれることになっていました。

【搭乗中の出来事】
 飛行機に乗り込み最初の食事は「ビーフステーキ」と書けば贅沢に聞こえますが、その硬いこと硬いこと!ステーキのあたかもゴムぞうりを噛んでいる様な食感や何か酸っぱい黒パンにもめげず、全部平らげた「杉の花粉」。
 さすがに喉が渇いたため、キャビン・アテンダント(当時はスチュワーデス)に「そふとどりんく。ぷりーず!」と頼んだところ、ヒグマを思わせる彼女の答えは「WAIT!」。
 いくら語学に自信がない「杉の花粉」でも、こういう場合は、「じゃすと・もーめんと・ぷりーず」ではないのかと思います。
 でも、旧ソビエトでは、飛行機の搭乗員にもKGBが配属されているという噂が流れていましたから、おとなしく待って、砂糖の味しかしない色つき炭酸水を貰ったのでした。

 地球の自転に逆らって飛行しているため、窓の外は中々沈まない遠く赤い小さな太陽が雲海を染め、初めは紅く、そして徐々に薄く。暗褐色が雲海全体に広がったかと思うと、太陽は、ようやく自分の役割を果たし、満足そうに眠りにつきます。
 その人智を超えた色彩の変化が、何もすることのない時間を慰めてくれました。
 「出川さん。この窓は、ガラスが二枚になっていますね。」
 「外と室内の気圧の差が大きいから、安全のために飛行機全部そうしてある。」
 「だったら、何故ガラスとガラスの間に水滴が浮かんでるんでしょう。」
 「・・・」。

 「出川さん。飛行機の主翼は丈夫に作ってあって折れたりしませんよね?」
 「いや、飛行機を軽くするために出来るだけ硬い金属で薄く作ってあるはずだ。だから、整備でも人が上がれない場所には、“NO STEP”と表示してあるだろう。」
 「そしたら、その“NO STEP”の所にあるあの足跡は、何なんでしょうか?」
 「・・・」
 そういった会話を楽しんでいると下のほうから段々と冷たくなってくる。 膝の辺りまで冷気が漂って来た時、急に電灯が点滅する。
 軍用輸送機を改造したとしか思えないソビエト製大型旅客機は色々と楽しませてくれます。

【モスクワ空港へ到着】
 搭乗時間9時間の間に何回も出される全く同じ食事にいい加減うんざりしていると、雪に埋もれたモスクワ空港に到着です。
 「杉の花粉」はソビエト入国のビザがないトランジット客でしたから、市内の決められた所に無料で宿泊はできますが、自由に外出は許されません。
 そこで、蛍光灯が間引きしてある薄暗い空港の一角に集められて、パスポートを提出し『預り証』を受け取り、宿泊場所へ向かう専用バスで移動することになります。

【モスクワでの宿泊】
 二人一室で割り振られたため出川氏と同室になり、宿泊場所がどうもオリンピック選手村の一部だったらしく、食堂と宿泊場所は少し歩かなければなりません。
 途中、ロシア人の子供がしきりに話しかけてきます。何ていってるのか出川氏に聞くと「小銭をコレクションしているので、お前の小銭もくれないかといっている。
 まあ、性質がいい強請りみたいなもんだ。放っといても問題はない」とのことでしたので、「杉の花粉」は、安心しました。

【忠告】
 でも出川氏は続けてこう言います「お前、英語もできないでこれから大丈夫か?」
 勿論、大丈夫じゃない!でもそういう忠告は、出来れば計画している時に、いや遅くても日本国を出発する前に言ってくれたほうが。モスクワで言われたところで、どう対処できるというの!

【親切】
 今にも泣きそうな顔をする「杉の花粉」を見て、「これ貸したる」と簡単な「旅行英会話集」を貸してくれました。本当に親切な人です。

【モスクワ】
 翌朝、眼が覚めると、乗り継ぐ飛行機の出発時間が異なるため、出川氏は既に出発しており、「杉の花粉」は朝の支度を済ませて、空港へ向かう専用バスに乗り込みました。
 窓からみえるモスクワの町並みは雪に埋もれながら古い石造りの家が立ち並び、異国情緒をそそります。が、当時はそんなことに構っていられなく、これからどうしようという不安に胸が締め付けられていたのを今でもハッキリ覚えています。

【再びモスクワ空港へ】
 専用バスから降りるとブロンドの綺麗な女性が待っていました。前の日に貰った『預り証』とパスポートを交換するためです。
 初めは、名前を呼んでいたのですが、搭乗客が大勢いるため誰のことか聞き取れません。十人位の名前を呼んでも、誰も出て行きません。
 するとブロンドの彼女は、何を思ったのか目の前のテーブルに持っていた「パスポート」を全部投げ出し、勝手に取っていけという素振りを見せます。
 慌てて「杉の花粉」も揉みくちゃになりながら自分のパスポートを確保しました。
 ただ1つ気になったのは、「前の日に貰った『預り証』には通し番号があったはずだ」ということです。何故、通し番号順にパスポートと交換しないのか。今のやり方なら、あの番号は何だったんだ!ということです。まあ些細なことですけれど。

【空港にて出川氏と遭遇】
 パスポートを腹巻にいれ、タバコを一服してから、空港のラウンジに向かうと、出川氏がいます。何故と聞くと雪道でバスがうまく動かず、出発時間に遅れてしまったというのです。
 我々が持っているディスカウントチケットには、「払いの戻し不可」「ルート変更不可」「他の飛行機への搭乗不可」の3つのNOが書かれています。放っておいたら、アフリカへの飛行機に乗れません。加えて、ルート中の搭乗が1度でもキャンセルされたら、残りの行程は全てキャンセルされてしまうため、アフリカへ行くどころか日本国へ帰ることもできません。

【素晴らしき交渉術】
 そこで、出川氏は、高校時代に柔道で鍛えたゴツイ身体とゴツイ顔?をフルに活用して、怒鳴り散らしながら「てめえんとこのミスで乗り遅れたんやろ。何でもええからアフリカへ行く飛行機にエンドースしろ!」とやさしく交渉してきたというのです。
 後で聞いた話ですが、出川氏はキャンセル待ちしてもその日のうちには飛行機に乗ることが出来ず、結局、翌朝モスクワからアフリカへと旅立ったということでした。

【女神の微笑み】
 でも、「杉の花粉」はそれどころではありません。不安で青ざめた顔をしながら、薄暗い空港の中を歩き廻って、ようやく自分の乗る飛行機の搭乗口を見つけ、無事搭乗することができました。
 そして、その飛行機は極わずかな日本人を含めた大勢の乗客を乗せ、無事オスロへと飛び立ったのです。
 これも、後から出川氏に聞いた話ですが、私同様オスロに向かう日本人は、かなりいたというのです。しかしながら、ソビエト側の発券ミスで殆どが搭乗できなかったということです。
 最初に女神は、「杉の花粉」に微笑んでくれたようです。

【オスロ空港に到着】
 雪の埋もれたモスクワ空港から3時間ほどでノルウェーのオスロ空港に到着しました。
 朝の寒々とした通路をとおり、イミグレーションへ。いよいよ「杉の花粉」一人旅の始まりです。
 入国審査を終え、空港の到着ロビーに着くと周りは外国人だらけで日本人は一人も見当たりません。考えてみれば「外国人」は「杉の花粉」の方で、何の不思議もない光景だったのですが、すごいカルチャーショックを受けたのを覚えています。
 しなければならないことは判っているのですが動けない。しばらくボーっと突っ立って時間だけが何事もないように過ぎていきます。

【航空券の発券】
 ようやく自分を取り戻し、帰りの飛行機のリコンファーム(予約再確認)をしようと、ソビエト航空のカウンターを目指したのですが、発券カウンターには誰もいなくて電気も消えている。
 まあ、出発の72時間前までにすればいいかと、次に向かったのが英国航空の発券カウンターです。
 今日は西暦1990年12月23日。12月29日オスロ発ロンドン行きの航空券を発券してもらうためです。
 日本から予約を入れていたため、「杉の花粉」の語学力でもスムースに発券完了です。

 次は、24日のオスロ発トロムソ着及び27日のトロムソ発オスロ着の航空券の購入です。
 国内線になるためスカンジナビア航空の国内線用発券カウンターを何とか探しだし、トロムソまでの往復航空券を頼んだところ、何でこの時期にそんな寒いところにいくんだと言われ「あい・わな・しい・ざ・のーざんらいつ」と答えると「Northernlights?」と反対に尋ね返されてしまいました。
 「杉の花粉」の語学力では、心もとないのですが、その後「何でそんなものが見たいんだ」と言われたような気がします。
 国内線のため日本から航空券の予約が出来ず、乗れるかどうか心配でしたが、問題なく往復の航空券を発券してもらい「寒いから身体に気をつけて行ってらっしゃい」と微笑んで労ってくれました。

 ここまでで、3時間。今なら半時間ですむ事にすごく時間を取られてしまいました。それでも、何とか当初の目的通りことが運び「杉の花粉」は思わずニコニコしていました。

【宿泊の予約】
 航空券が確保できたことで、何とか旅の骨格は固まりましたので、次は今日泊まるホテルの確保です。空港からセントラルパークまでバスに乗り、ツーリストインフォメーションに向かいます。
 どうやら閉まる直前に何とか滑り込んむことができました。
 その頃は『地球の歩き方』を信じていましたので、1日中開いているはずなのにと不審に思ったのですが、ユールタイト(クリスマス休暇)に入る直前だったようです。
 この後、何回も経験しますが、本当にこの本を信じていると酷い目に遭います。
 料金の目安と宿泊する人数(もちろん「杉の花粉」一人ですが)を告げると直ぐにホテルと連絡をとってくれ、宿泊料金を支払うとバウチャー(宿泊券)と地図が渡されました。
 どうやってそのホテルに行けばいいか丁寧に説明してくれたのですが、余り良く判らない「杉の花粉」の様子を見て、バスのナンバーを告げ、地図に丸印をつけて、これを運転手に見せなさいと教えてくれました。とても親切です。
 言われた通りのナンバーのバスを探し、運転手に地図を見せると頷いてくれます。それでも心配で運転手の後ろの席に座り、地図とにらめっこしていると、スカンジナビアの地名(単語)は非常に難しく、5分もすると今、バスが地図のどこを走っているのか全く判らなくなります。
 不安は募るばかり、それでもしばらく我慢していると運転手が振り向き、手でドアを指し示してくれます。そこで下車。
 初めは運転手にお願いするのは恥ずかしいと思いましたが、目的地を告げていなかったらどこで降りていいか全く判りません。非常にありがたいシステムです。

【最初のホテル】
 直ぐにホテルにチェックイン。
 外観は、どこか鄙びた中規模のホテルでしたが、ロビーから廊下全体に絨毯がひかれ、所々に油彩の絵画が飾ってあります。
 部屋は、水彩の絵が左右に1枚ずつ飾られ、1泊8千円くらいだったと記憶していますが、同額の日本のホテルとは比べ物にならない落ち着いた雰囲気に包まれていました。今、このホテルの名前が判らなくなっており非常に残念です。(もちろん『地球の歩き方』には掲載されていないホテルです)
 すっかり満足してぐっすり眠り、翌朝は宿泊料金にふくまれている朝食を腹一杯に詰め込み、空港へと向かいます。

【トロムソへ】
 国内線出発ロビーから小型の航空機に搭乗し、トロムソへ向かいます。
 直ぐに窓の外は雲海に遮られ、暫らく景色は楽しめません。それが、トロムソに近づくと景色が広がります。
 この時期、一日中太陽が昇らない街「トロムソ」は、各戸、各建物に電灯が灯され、おとぎの国のように綺麗です。シャッターを切っているとキャビン・アテンダントから注意されました。

 北欧のような安全な国にも軍事施設はあります。隣のスウェーデンは永世中立国ですが、永世中立国と宣言したらどの国も攻めてこないかと言うと、そんな保障はどこにもありません。
 どの国とも同盟しないし、どの国の敵にもならないと宣言するだけで、攻められたら協力してくれる同盟国がありませんから、自国だけで交戦し排除しなければなりません。
 そのため、優秀な軍事力を保持することが絶対の条件となります。
 これは日本国以外どこでも同じですが、空港、駅、港湾、架橋は軍事施設と見なされ無闇に写真を撮ると注意されます。
 かつて、ポーランドが共産主義だった時代に、港湾で写真を撮っていていた日本人がスパイ容疑で逮捕されたと聞いたことがあります。
 現地の言葉に不自由しなかったおかげで、直ぐに釈放されたそうですが、「スパイ容疑」は、明確な証拠がなくても簡単に適用される怖い罪で、良くて国外退去、下手をすれば「死刑」になることもあるそうです。

 ですから、飛行機の中で写真を撮るなんて明らかに御法度で、「杉の花粉」は思わず恥ずかしくなりました。

【トロムソ市内へ】
 到着したのが、夕刻に近い時間で、(1日中太陽は昇りませんが、昼間は少しですが白々と明るくなります)早速、ホテルを探さなければなりません。 そこで、高そうなホテルに飛び込み、宿泊したいと申し出ました。
 「どぅ・ゆあ・ほてる・はぶ・あ・るーむ?」フロントは少し驚いたようですが、OKと答えてくれ3泊することになりました。

 その時は、全然気がつかなかったのですが、良く考えると、部屋があるからホテルなんです。聞かなければならないのは、その部屋が空いているかどうかということです。
 ですから、宿泊したいのなら、かなりブロークンですが「I’m looking for a single loom tonight. Can I stay here?」(私はシングルルームを探しています。泊めてもらえますか)とでも言うべきであったと、今、思い出しても赤面してしまいます。

 チェックインの後は市内観光です。1時間もあれば一回りできるくらい小さな町ですが、薄暗がりに白一面の中、戸々の電灯が薄っすら灯る非常に幻想的な町です。
 「杉の花粉」は方向音痴で何処にいても方角が全くわかりませんが、北と南が真っ白な山脈に挟まれており、どちらかは間違いなく北極であると思うと目頭が熱くなりました。

【オーロラ?】
 夜中の1時を過ぎると外へ出て、オーロラの出現を待ちます。
 ホテルのフロントに「のーざんらいと!」と伝えると怪訝な顔をされましたが、日本人のすることは訳がわからないと割り切ったらしく、別に咎められることもありませんでした。
 1日目は少し気温が高かったのか、2時間くらい粘りましたが、結局オーロラには出会えませんでした。
 そして、翌日。昼間は市内をブラついて、タバコやチョコレート、飲料水を買い込み、夜を待ちます。1時を過ぎて外出しようとしてもフロントは何も言いません。

 しばらく待つと、真っ白い山々の上に、細い緑色の光線が見えたり消えたりを繰り返し、遂に、その細い緑の光線が下に溶け出したのです。
 ほんの短い間でしたが、薄っすらとした緑のカーテンが出現しました。靡いてはくれませんでしたが、紛れもなくオーロラです。
 「杉の花粉」は言葉を失いながら、もう消えてしまった漆黒の空を眺め続けていました。

 3日目は昼から吹雪いてしまって、余りの寒さにホテルから出ることもできず、オーロラを見たのは1度きりとなりましたが、「杉の花粉」は大満足です。

【ベルゲンでちょっと寄り道】
 予定通り27日にオスロに帰り、王宮やムンク美術館など市内観光をして今度は、高級ホテルに泊まることにしました。
 何故ならシーズンオフのため、料金が半額(約13,000円)で宿泊できるからです。
 「杉の花粉」の汚い格好を見てフロントは少し怪訝そうでしたが、トロムソで高級ホテルに泊まっていたことが判るとニッコリ微笑み、キーを渡してくれました。
 ロンドンへ行くまでには未だ2日あります。それに列車にも乗ってみたいとフィヨルドの街ベルゲンに行くことにしました。
 28日列車でベルゲンを目指します。
 ベルゲンは港湾都市というよりは、港町といった風情で「杉の花粉」を喜ばせてくれました。係留されている帆船やレンガ造りの倉庫など、すっかりこの街が気にいってしまいました。

 ホテルで1泊し翌日は、水族館に寄り、オスロに帰ります。
27日に宿泊したホテルには、29日には戻ってくるからと予め話をしておいたのでスムースに宿泊手続きが済み、部屋に入るなり爆睡してしまいました。

 旅程が1週間を過ぎる頃、急に疲れが出てしまいます。そこで1日ゆっくり休めば、疲れはすっかり取れるのですが、初めての旅行なので、そんなことは全くわからず、ただひたすら眠っていました。

【プレゼント?】
 ホテルを出て、早朝の凛とした大気に包まれながら、セントラルパークから空港へ向かうバスを待ちます。疲れが未だ抜け気っていないので、頭が少しぼんやりしていました。 
 そこへ『白タク』の運転手から「今日はバスは来ないから、乗っていかないか」と声をかけられます。バスが来ない訳がない。「バスを待つ」と不機嫌に断るとアッサリ車を出して行きました。

 30分待ってもバスが来ません。

 そこへ先ほどの『白タク』が再び現れます。身体も疲れているし、目的地は空港なので、法外な料金を要求されたら、喚き散らせば警官がやってくるだろうとその『白タク』に乗ってしまいました。
 気の良さそうな運転手で、「今日は日曜日だから、公共機関は動かない。」と教えてくれ、「オスロはいい所だろう」とか「日本の祭りはどんな風なのか」とか聞いてきます。乏しい単語を搾り出すように答える「杉の花粉」。
 そうするうちに、空港に到着しました。料金はと聞くと、食事をしようと誘われます。
 良い人のように感じていたので、ああ、やっぱりボッタクリかとちょっと残念に思いましたが、今更しょうがなく一緒に空港内のレストランに向かいます。
 未だ開店前でしかたなくレストランの前の椅子に座ると、彼は「プレゼント」「プレゼント」と繰り返します。いくらボッタクられるのかと、ちょっと緊張する「杉の花粉」。

 すると彼が言います「俺はこれから家に帰る。君を空港に送ったのが、今年最後の仕事だ。だから本当は一緒に食事をしたかったのだが、見ての通り未だ開いていない。そこで運賃は君へのプレゼントとする。」
「杉の花粉」は吃驚しました。
「それじゃ、良い新年を」と言い残し去っていく彼に、日本のタバコはどうかと声をかけると「いらない」と笑い返して行ってしまいました。

 身体中を一気に電気が走りました。そして、この瞬間「杉の花粉」は旅行中毒になってしまったのです。

【後書きにかえて】
 『どこの国にも良い人もいれば、悪い人もいる。貧しい国であれば人から盗まなければ生きていけない。だからといってその国は悪い人ばかりじゃない。先進国にだって悪い人は一杯いる。あくまで割合の問題なのだ。』
 「杉の花粉」の旅行哲学です。
 これで「初めての海外旅行」は終わりです。

 えっロンドンは?とおっしゃる方もみえると思いますが、ロンドンでは、買い物や観光地めぐりをしただけで、特に書きたいこともありません。

 「オスロで出会った『白タク』の運転手。彼が「杉の花粉」を旅に引き込んだ元凶です。」
 だから何年経っても忘れませんし、彼の去っていく時の後姿さえ瞼に焼き付いています。
 彼がいなければ。・・・昼飯は菓子パン1つにして、ボーナスや給料を全部つぎ込み、年に2回は旅行をする「杉の花粉」の貧乏生活もなかったことでしょう。
 そして、職場で「社会不適合者」の烙印を押されることも。

 長い間お付き合いいただきまして有難うございます。旅行編では、書きたいことが未だ一杯あります。この文章に懲りず、また読んでいただければ幸いです。



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