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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

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16 レーゾン・デートル

寂光・・・レーゾン・デートル

 「うつ」の晴れ間なのに、すること無い
 そこで。
 一度整理したいと思っていた。
 ガキの頃から考え続けてた「己のレーゾン・デートル」について考察してみたい。

 だから。
 今日の日記は。
 非常に抽象的で観念的なものとなる。
 チットも面白くないので。
 ・・・読まなくて良いよ

 小学生高学年の時。
 夜中に不図「死」と云うものについて考えた

 今の意識ズッと継続していく
 そして、その果てには必ず「死」が待っている
 だから。
 「今、こうして考えている自分」「死ぬ直前の自分」との間には
 時間の経過があるだけで、意識繋がっている
 1秒後に「死」を迎えるのは酷く恐ろしい
 でも、例え「数十年後の死」だったとしても「1秒後の死」と如何違うのか
 「同じ自分の継続した意識」が感じるのだ。
 「その怖さ」は変らない筈だ。
 と思う恐ろしくて眠れなくなった
 仮想現実の中何度も「自分の死の直前」を疑似体験していたのである。

 でも。
 歳を取る「考える事」非常に増えていく
 そして。
 人の脳歳と共に「鈍って」いくのだろうか
 何時からか、「死」への恐怖余り感じなくなった

 それどころか。
 受験戦争に明け暮れる中学・高校生の頃など。
 「死の甘美な香り」誘われていたような気がする。
 「ズッと何もセズにこのまま眠ってしまいたい。」
 これが、中高6年間の私の「最高の夢」だった

 大学に入って受験から開放されると。
 「死」とは或る場面では、一種の快楽になる
 と考えるようになる。
 「幸福論」の考察からの結論である。

 「客船が難破して、『救命ボート』に避難する」
 「そのボートの縁には多くの避難者が群がって捉まっている」
 「でも一人でも乗せれば、満杯の『救命ボート』自体が転覆して、全員が死んでしまう」
 「冷たい海水に体力を奪われ、『ボートに捉まっていた人々』は、一人また一人と波間に消えていく」
 「最後は幼い少女一人になっていた」

 この危機的な状況の中
 「ボートに座る一人の男性が、突如、海の中に飛び込んだ」
 「その途端、ボートに乗る人々によって『気を失いかけていた幼い少女』がボートに担ぎ上げられる」
 こうして助かった女性『手記』読んだのが切っ掛けである。

 今、正に海の藻屑と消えようとしている少女助けるために、自ら海に飛び込んだ男性
 彼の行為は、『手記』では「英雄」として綴られていた
 
 でも。
 彼の「死」は、単なる「英雄的行為」だったのだろうか
 私の頭の片隅には、一抹の疑念が抑え切れなかった

 「幼い少女を見殺しにすること」「自ら死ぬこと」
 この2つしかない選択肢中から彼は「自らの死」を選んだ
 その選択基準「快楽の追求」ではなかったのか
 そう。
 は、「幼い少女を見殺しにすること」より「自ら死ぬこと」の方「快楽」が大きかった
 と結論した
 だから。
 「究極の快楽」である「幸福」も、「絶対的な存在」ではなく「単なる相対的な存在に過ぎない」直感した
 だから。
 私の中では、「自分の死」「絶対的な存在」から「相対的な存在」へと変異していった
 ・・・「快楽追求」のための「選択肢の一つ」に過ぎない存在として。

 「自分の死」を相対化した影響は、それまでの「私の思考体系の根本」変容させる
 「自分の死」「逃れられない絶望」と云う位置付けから、「自分の選択肢の一つ」と云う考え方になると、「総ての選択肢の主体は、あくまでも自己に起因する」と云う思考導くことになる
 こうして。
 総ての事は、自分の責任により判断することで、他人に助けて貰うことではない
 と云う「自己完結型」新しい思考体系形成されていく
 これが、二十歳前後に創られた「私の考え方の基礎」である。

 でも、そうすると。
 「自分とは」と云う疑問が生じる
 詰まり「アイデンティティ」の確立である。
 これは、簡単なことではない
 学生と云う立場は、非常に曖昧な存在許される

 でも就職すると。
 「職場と云う環境の中」で、己の「アイデンティティ」を確立しなければならない
 学生時代の生意気な思索は、無知蒙昧な職場環境の中木っ端微塵に粉砕される
 想像以上の「馬鹿の集団」の中では、「思索」より「幼稚な作業の効率」優先される

 そのため。
 己の「アイデンティティ」の確立どころか、「自分のレーゾン・デートル」すら失われそうになる
 その危機感から、己の「アイデンティティ」を守るため一時避難的行為として、「海外への独り旅」を選ぶことになる。
 現実逃避の意味合い大きかったが、取り敢えずは、それまでの「己のアイデンティティを守ること」だけには成功したようだ。

 でも。
 根本問題が解決した訳ではない
 「己のレーゾン・デートル」を求め、「己のアイデンティティ」を確立すること渇望するようになる

 「己のレーゾン・デートル」とは何か
 所詮は、「人から褒められること」なのか
 「人から認められる」なんてクダラナイことで、自分自身の存在価値確立しようとするのか
 そんな行為一切合財が「浅ましく」思えてしまう

 自分の選択の中から自分のレーゾン・デートルが産まれアイデンティティが確立していく
 今でも、そんな夢物語を追いかけ続けている
 だから。
 ニーチェ「超人」の考え方惹かれてしまう
 「超人」「自らの力だけ」「自らを最高の高見に導く」とする「思索」である
 私のような凡人実現できるはずもないが、夢を見るのは私の勝手である。

 いま
 大多数の人は。
 他人(ひと)から褒めて貰いたいたがっている
 他人(ひと)から認めて貰いたがっている
 でも。
 他人(ひと)なんて移ろい易いもの
 そんなもの「自己確立」が果たせるはずもない

 そして。
 私の周りの、そんな多くの人は。
 酷く「うざい」存在でしかない

 「うつ」になってタッタ一つ感謝したこと
 それは。
 「自分自身しか自分を救えない」って再認識できたこと
 「自分のレーゾン・デートル」なんて「自ら認める」しか方法(しく)はなく「アイデンティティ」なんて、そうやってモガイテ居る内確立されていくのだろう。
 そう。
 考えること出来たこと


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