5 天蓋天蓋私たちの精神は何処から与えられたのでしょう。 生まれながらに、経験を積みながら、精神は構成されていく。 そんなふうに考えていました。 私たちの精神は何故失われるのでしょう。 積み上げられた筈の経験は脆く崩れ去って。 生まれながらの気性も何時しか輝きを失って。 身体の一点の痛みにすら精神は立ち向かえず、 バランスを失った身体は精神を飲み込んで崩壊していきます。 『健全』な身体にこそ『健全』な精神が宿る。 『病んだ』身体には『病んだ』精神が宿るのでしょうか。 『健全』とは何なのでしょう。 『病む』とは何なのでしょう。 『健全』にしろ『病む』にしろ言葉が勝手に独り歩きしている感があります。 スポーツクラブでホルモン剤の投入により作られた『健全』な肉体を誇示する精神は『健全』なのでしょうか。 病院の待合室で『病んだ』身体を自慢しあう精神は『病んで』いるのでしょうか。 かつて小林秀雄氏が、山下画伯を評して、「病んだ精神からは本当の芸術は生まれない」と批判したと聞いたことがあります。 ニーチェ、ドストエフスキー、ゴッホなど晩年は精神を病んだ巨人です。 氏は同じように批評するのでしょうか。 『病んだ精神から生まれるもの』『病んだ精神からしか生まれないもの』もあるような気がします。 「高邁な『靖国の英霊』礼賛の声」よりも「『東京には空がない』と呟く高村智恵子のか細い声」に惹かれます。 『軍歌の勇ましい歌声』より『君死にたもう事なかれ』と哀しく謳う(当時官憲に拘束された)与謝野晶子に惹かれます。 社会が病んでいるのでしょうか、そんな私が病んでいるのでしょうか。 同じ天蓋の下、『健全さ』を誇ることもなく、『病む』ことを声高に叫ぶこともなく、ただ嫋嫋と生きていきたいと考えています。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|