8 『北朝鮮問題』と『きれいごと』『北朝鮮問題』と『きれいごと』平成18年7月15日(土)の朝刊しか見ていませんので、その後、何か起こっていたらご容赦願います。 北朝鮮問題の国際連合安全保障理事会の決議について、日・米・英・仏などが提出した『今後の制裁や軍事行動の根拠となる国連憲章第7章に基づく』制裁決議案と、中・ロが提出している『制裁なし』の決議案との調整に難航していると書いてあります。 制裁決議案については、中華人民共和国は拒否権を発動させる心算だそうです。 制裁決議案が否決されるか、非常に緩やかな決議案になるか判りませんが、各国にバランスのとれた決定に終わりそうで安心しています。 『泰山鳴動して鼠一匹』 制裁を伴う安保理決議では、鼠一匹でも多過ぎますが・・・。 エターナル・ネーション5カ国の英・仏にとっては、所詮『対岸の火事』でしょう。 米国は、北朝鮮の『核』凍結に、『何等かの代償を支払わされる恐れのある二カ国間協議』には消極的で、どちらかというと『誰か面倒を見てやってくれ』という態度が見え見えです。 国境間の経済が活性化している中、既得権益に敏いロシアは、北朝鮮を敵に廻したくはないでしょう。 結局、旧来の関係から、拒否権を発動して制裁決議案を否決するであろう『中華人民共和国』が貧乏クジを引いて終わりという気がします。 非常任理事国でありながら日本国の積極的な外交を評価する声もあるようですが、率先してまとめた制裁決議案が否決されるのであれば、結局『ピエロ』の役回りでしかありません。 制裁については妥協しても、北朝鮮非難決議案を安保理で決議させて始めて外交手腕が評価されると考えます。 「『結果』よりも『過程』が重要だ」とする考え方には違和感があります。 開催当初のオリンピックではないのですから、結果を出して『ナンボのモノ』でしょう。 私が『経済制裁』などの可能性が殆どなくなった事に安堵するのは、『関係国が協力して、これ以上、北朝鮮を制裁するメリット』が全く感じられないからです。 完全に経済が疲弊して餓死者まで出ている国への経済制裁など意味があるのでしょうか。 通常であればCIAなど諜報機関が『金正日』を暗殺し、親米政権を樹立して終結するのでしょうが、今では遅きに逸した感があります。 『金正日』の統制下で教化され(洗脳され?)、飢えを耐え忍ぶ2千万人強の北朝鮮人民は、新たな政府を樹立するよりも、先ず、豊かな土地に逃げ出すのではないかと危惧します。 北朝鮮人民2千万人強の総難民化の始まりです。 先日にも書きましたが、『何処の国』が2千万人を超えて流入する難民に対応出切るのでしょうか。 今の北朝鮮は、『核』と共に『飢えた2千万人を超える国民』が極東の脅威になっていると考えてしまいます。 北朝鮮については、現在の体制のまま自然崩壊を待つしか方法はないと考えます。 ユックリと時間をかけて、各国が経済援助や技術協力を積極的に行い、北朝鮮人民が飢えることがなくなった段階で、初めて国際的な対策が有効になるのではないか。 短絡的な関係国共同の経済制裁や武力行使は何も問題を解決しません。 新たな脅威を生むだけです。 『きれいごと』に聞こえますか? 『妻』がポロリと言ったことがあります。 「『核』の発射に失敗して国民の半数以上を失えばいいのに・・・。」 本音です。 「自分が犠牲になって多くの人々が助かるなら、人体実験になっても良い。」 本音でしょう。 『人』は先ず『自分』が愛しい。 次に『家族』が愛しい。 次に『周りの親しい人々』が愛しい。 次に『祖国』が愛しい。 そして『人類』が愛しい。 当たり前のことですが、優先順位があります。 そこに『倫理観念』や『教育』が混入され、時として、優先順位に狂いが生じます。 『祖国のために』『人類のために』、自分自身や私生活を犠牲にして・・・。 美談で語られることが多いようです。 本当にそうなのでしょうか。 私には単なる『きれいごと』に聞こえます。 自分を愛せない人が、 家族を愛せない人が、 どうやって『人類全体』を愛せるというのでしょう。 『自己中心的』『個人エゴ』という言葉は、戦前・戦時中の『非国民』を彷彿させます。 この雑文も『自分自身が愛しい』ために書いている心算ですが、『きれいごと』と採られる方もみえるでしょう。 先ず、『隣人』よりも『自分』を愛せよ! イエスさんには叱られそうですが、自戒を込めてそう念じます。 |