日常の延長線上にあるか?否か?
否応なく 光回線を引くことになって、部屋の大掃除。 と言いますのも あたしの部家には、簡単な引き込み工事をするスペースすらない。 いざとなれば 開かずの「引き戸」の外側から脚立を立てかけて 曲芸さながらに工事してもらうのもアリ?かと思ったのですが。 さきに打ち合わせに来たオジさんに お願い、いや、相談したとき 彼の眼が、どこか宙を泳いでいたので まあ仕方ないか、と、大掃除をすることにした。 「引き戸」の内側は。 左に 冷蔵庫を最下層として、レンジ、スピーカー、ポット等々、うず高く積まれ。 きっちり右に テーブル下のゴミ、テーブル、その左半分にコーヒー・メーカーセット、ラック、加湿器。 右半分に、カラーボックス、ラック、DVDプレイヤーetc.etc…。 それが 隙間なく、本棚とTVラックに挟まれている。 こんなの どうすればいい? そもそも あたしの6畳くらいの部家には7棹(さお)の本棚があって 立錐(りっすい)の余地もない。 と言いつつ。 生き物は、あたしと部屋猫だけなのだけど。 とにかく 本棚はどれも、本やら何やら、はみ出しているし 本棚と本棚の間には、段ボールやら何やら、ぎっしり埋まっている。 部屋の入り口から、ベッドまでの導線。 それが あたしの部屋に、唯一、モノが置かれていない空間。 そういう状態で 引き戸前に、工事スペースを作らなくっちゃいけなくなった。 ほんと 勘弁して欲しい。 いやいや、心底勘弁して欲しいのは 工事しなくちゃならない職人さんの方でしょうけど。 と言うワケで。 前回ブログのアップから ヒマな時間は、ずっと、お掃除してました。 なんやかんやで工事も終わり 引き戸前を含め、部屋の1/5くらいに空間が出来た。 残りのスペースが より過密になっただけ、と言う説もありますが とにかく あたしは、よく頑張った。 ほんと、よく頑張った。 褒めて貰ってかまいませんよ。 真剣 すっごく大変だったんですから。 物を持たない暮らし、そう望むヒトを 世間さまは、「ミニマリスト」さんと言うらしい。 そういう人々をTVで見て ある種、精神病…失礼、流行病(はやりやまい)だと感じたのですが。 部屋の大掃除を始めてみると ランナーズ・ハイと同じ、かも知れないと思うようになりました。 脳内麻薬「エンドルフィン」等々の過剰分泌によって 異常にハイ・テンションになる、あれ。 なんだかんだで 「お薬」を注入・吸引するのも、マラソンするのも あんま変わらないと聞いた覚えもある。 高いお金や不相応の危険を冒すより、駆けっこ程度で収まるなら そのほうが、まし?と言いますか。 そもそも スポーツなんて、健康にいいワケがない? だって 日常生活で使わない筋肉を酷使して、過度に心肺機能を高めちゃうんだよ。 そんなの どう考えたって、身体にいいワケないでしょう? あたしが中学生のころ 体育の先生は、筋トレに反対だった。 不必要な筋肉を鍛えたって、意味がない、と。 反って、それを維持するため 心肺がムダに活発化して、身体がムダに損耗しちゃう? まして トレーニング・マシンで鍛えて、どうしたい? そんな筋肉、一生涯、どういう状況で使う? TVの奇人・変人ショーか何かで 自動車でも持ち上げたいの?飛行機でも引っ張りたいの? だから ジョギングでも何でも、日常の延長線上として頑張りなさいと習った記憶がある。 何でもかんでも 身体を鍛えりゃ健康にいい、ってワケじゃない。 そういう「勘違い」って 農村は、自然でいっぱい、ってのと似ている。 ちっとは考えてみなよ。 稲作の田園風景なんて、みんな人工物だ。 区画整理に、機械が植えて機械が刈っている。 きれいに植林された山々も、みんな、ヒトの手が入っている。 その どこら辺が、自然なの? 大昔 日本の田畑は農薬だらけ。 高校の先生が言っていたのですが。 欧州では 素足で畑を歩いて足裏がかぶれたら、農薬は禁止された。 日本では どれだけヒトが死のうと、農薬は禁止されたりしない。 けれど、美意識から オレは、クソまみれの大根より、農薬まみれの大根を喰う、と続いたワケですが。 それも 農薬の影響でしょうか? まあ、彼の場合 農薬でアタマがやられなくたって、今度は寄生虫がやっちゃった? ゴルフ場でも、お茶畑でも ふつうの田畑でも。 どれほどの除草剤・農薬を使っているのやら。 そんな場所で 精一杯、除草剤や農薬の残滓(ざんし)を吸い込んどいて。 やっぱ、田舎はいいね!とか、ここは空気が美味しいね!とか 健康維持にはゴルフが一番!とか。 ほんと アタマんなか、ウジでも湧(わ)いてんじゃない?と疑いたくもなる。 みんな むかし、むかしのお話です。 いまは、どうだか知りません。 なので 関係者のみなさん、面倒なので文句を言ってこないでくださいね。 お話を戻すけど。 実際の議論として エンドルフィンやドーパミンと、ヤバい「お薬」と どこが、どう違うのか?あんま、よく判っていない、とか。 極論を言えば 「まりふぁな」が身体に悪い、健康を害する、ってなら、マラソンを厳禁したっていい。 常習性も、似たようなモノでしょう? 東京マラソンでも何でも、抽選になるくらい応募者が殺到しちゃう。 あんなの みんな中毒患者…失礼、単なる「常習者」じゃないの? そうでなくて どうして、あんなにクソしんどいことを、やりたがる? それとも みんな、あたしと同じドMって、わけ? どちらにしろ 変なフラッシュ・バックを起こさないうちに 犯罪者予備軍として、早々に取り締まった方がいい、ような? そういう訳で(…どういう訳だ?) いまのあたしは エンドルフィンが分泌しまくっています。 デッド・スペースまで踏み入って 書籍を含め、何もかも処分したい、って欲望が抑えられません。 その行き着く果てが 「ミニマリスト」さんなのでしょうか? ロハスか何だか知りませんけど。 農薬まみれで いまだ身勝手なムラの掟が支配する我慾まみれの、田舎が好き!なんて キ○ガイ…失礼、ほんと、どうしようもない方々もいるワケで。 断捨離だか、「ミニマリスト」さんだか 中毒症状が嵩(こう)じて、物を持たない暮らしを渇望するヒトがいて不思議じゃない。 ただ、ね。 それが、日常の延長線上には有り得ないのなら それって、ある種、病気なんじゃない? その自覚が 在るのと無いのでは、大きく変わってくるような気がするのです。 自分は特別な存在である。 そう思いたいのは 厨二病(ちゅうにびょう)さんに限った症状ではない。 たぶん あたしたちダレもが、できるなら、そう思いたいでしょう。 けれど 哀しいことに、あたしもあなたも、ひたすらに平平凡凡で 他人(ひと)さまに優れることなんか、たったひとつも在りゃしない。 それを 段々に気付いていくのが、歳を取るということかも知れません。 ただ 特別な存在と、異常って 同じような言葉だけれど、どこかニュアンスが違って。 あんま 自分を異常だと認められるヒトは少なかったりする。 だから 単なる異常性を、流行のハシリと勘違いして、悦に浸っていたり。 ロハスにしろ、ミニマリストにしろ その滑稽さは それは、それで面白いのだけれど。 己が異常性を、きっちりかっちり異常だと認識していないから 他人に勧めちゃったりする。世間さまに誇ろうとする。 それが ちょっと、面倒くさい。 健康増進への妄想に ジョギングで抑えられるか?マラソンまでいっちゃうか? 腹筋・腕立て伏せで抑えられるか?ボディビルまでいっちゃうか? その境は ただただ日常の延長線上にあるか?否か?だと思うのです。 その判断を勘違いしちゃうと ムダな努力で、反って、寿命を縮めちゃったりする? 精神面も同じで 日常の延長線上を逸脱した、自然崇拝も、整理整頓も、健康にいいワケがない? そういうの ただ流行に乗せられていないで、一遍くらい自分で考えてみてはどうでしょう? まあ あたしの知ったこっちゃありませんが。 何にしろ。 あたしは、もう二度と、お掃除なんかしたくない! 今回は、ただ そういう、お話です。