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『「カレーハウス CoCo壱番屋」がカレーショップ顧客満足度ランク1位に』
これ 東スポWebさんの記事なんだけど。 1位が、CoCo壱番屋さんで 2位が、サンマルコさんで、って、さ。 こういう記事を見て みなさん、どうしたい、わけ? 今日は 家族揃って、カレーでも食べたいね。 じゃあ 一番人気の、CoCo壱番屋さんに行こうか?とか。 わたしは サンマルコさんが大好きだから 二番手に甘んじているので、毎日、毎日、通いましょう、とか。 ダレが、何を、どう、考えようと そのヒトの自由だけど、さ。 べつに どこにでも在って、千円程度で食べられるなら。 つべこべ、考えんでも その、ときどきに、食べたいお店に、行けばいいワケで。 そんなの 他人(ひと)の評判うんぬんでなく、自分で食べて、判断すればいい。 他にも 新味の、うまい棒を食べてみました、やら 新商品の、カップ・アイスを食べてみました、やら。 たかだか 百円以下でしょう? そんなの、自分で食べてみて げっ、すんげー不味かった!で、なにか、問題がある? あたしは、ここで。 なんでも、他人の評判ばかり、気にするより たとえ、悲惨な結果だろうと、自分自身で経験した方がいい。 なんて 口幅(くちはば)ったく、意見したいワケじゃない。 ただ、ね。 いま、直ぐにでも、自分自身で体験できて しかも、失敗したって、精々が、千円くらいの損害で済む。 そういうレベルの、お話を わざわざ、記事に書く神経が、判らない。 とう言うか そういうレベルの、記事を あたし以外に、好んで読む人種がいること自体、信じられない。 本人が 何を、どう、考えて記事にしたのか? 知らんし、知りたくもない、けれど。 こういう、どうだっていい記事を たぶん、親切の押し売りとか、お仕着せの優しさとか、言うのでしょう。 お買い物困難者さんに、政府が助成する、とか。 これも ほんと、「親切の押し売り」って気がしている。 そんなに 税金の使い道がない、のなら あたしが、いくらでも貰ってあげます、から。 僻村(へきそん)で スーパーが閉店したり、移転したり。 それで お買い物が出来なくなった、お年寄り。 その、救済措置って スーパーの跡地に、物流・集配センターを整備して 運営をNPOさんに任せ、その費用の一部を、政府が負担する、らしい。 それは、それで 誠に結構なことに違いない。 ナマボ受給者さんへの。 ナマボを貰って、どうして、物価の高い23区に住んでいる?って中傷に。 彼らに、何が何でも味方する、オバさんが 日本には、居住移転の自由が保障されている!って とんちんかんな回答をしていた。 それも、どうか?と思うけど。 とりあえず そう、日本国には、居住移転の自由が保障されている。 だから どこに住もうが、そのヒトの自由であり。 それは同時に どこに住もうと、そのヒトの自己責任ってこと。 なんだか お年寄りを、端(はな)っから社会的弱者と決めつける。 そういう 市民団体さんなんて、差別主義者がいるけれど。 亀の甲より年の功。 年金を貰っている高齢者さんは、あたしたちより、ずっと、ずっと 下手すりゃ、二倍も三倍も生きている。 ならば あたしたちより、ずっと賢くって、聡明で 世間さまの酸いも甘いも、みんな、ご存知の、はず。 お年寄りって とっても、とっても、偉いんだって、あたしは思う。 ただ 寄る年波(としなみ)で、すこおし、身体にガタがきて ヒトによっては、すこおし、ボケが出始めているって、だけ。 その時点だけ、切り取って見れば 確かに、すこおし、弱っているかも知れません。 でも、ね。 そうなる以前に。 亀の甲を凌ぐ聡明さで、どうとでも対応できたのでは? 申し訳ないのだけど。 お買い物に不自由なら 不自由しないよう、どうして、子どもと一緒に暮らさない? たとえ、子どもが居なくたって 市の民生委員さんとか、前もって相談していれば 市街の施設にだって、入居できたでしょう? 住み慣れた場所から、離れたくない。 慣れ親しんだ、ご近所さんと別れたくない。 そういう感傷は 判らなくもない。 けど、それって 見知らぬ他人を巻き込んでまで、優先しなきゃいけないこと? 税金で、支援するって そういうこと、でしょう? 自分の権利と、他人(ひと)の権利を、きちんと判じて。 そうして 身体が動けるうちに、脳髄が達者なうちに 人生の荒波を乗り切ってきた聡明さで、あらかじめ、手を打っていれば。 買物難民なんて、絶対に出ない。 そういう、個々人の自力救済が その努力の、経歴の「吟味」が この国には、決定的に欠けている。 ナマボ受給者さんでも、お年寄りでも 悲惨な、現状だけを見て とっても可哀想と、優しい手を差し伸べるのも、いい。 それで 報(むく)われる自己満足も、あるでしょう。 ただ、ね。 どうして、そうなったか? その原因を突き詰めないと、次の、悲劇は防げない。 ただただ、可哀想!って、対処療法では 日本全国津々浦々 全ての山村に、税金で、物流・集配センターを整備するハメになる。 今の弱者救済は、文学で。 それも、ただただ、悲惨さ漂う、純文学で。 その 原因から、結論を導こうとする、科学の対極にある。 だから、次の防御策を、何も打ち出せず ひたすら、同じ過ちを繰り返すことになる。 旧制高校の 遊蕩(ゆうとう)な学生が、文学に身を委(ゆだ)ねられたのは 彼らの親が、あくまで、富裕であったから、こそ。 日本国だって、裕福なうちは、いい。 どれだけ 自由奔放な文学に魅入られたって、どうにだって、なる けれど いま、あたしたちは。 それこそ 爪に火を灯(とも)すような気分で、生活している。 そんななか 思うがままに、手前勝手に生きてきて。 それで 暮らせなくなっちゃいました。 そう 臆面も無く、言い出しちゃうヒトまで 何の因果で、助けなくちゃいけない、わけ? いやいや べつに、助けたっていいんだよ。 ただ、それは そうしたいヒトだけが、そうすればいいのであって。 どうして、なんでもかんでも 端っから、あたしたちが払った税金を、当てにしているの?ってこと。 ナマボ受給者さんを、お年寄りを 何が何でも擁護したい、って、優しいヒトビトは。 あなたが、そうなったとき、そんなことが言える? とか、姦(かしまし)しい、けれど。 それは、全くの見当違い。 だって あたしたちが、そうなったとき、って なんでもかんでも、現状を肯定しちゃったなら。 あたしたちが困ったときには、財源が枯渇して 決まって、その給付を、受けられなくなる。 だから。 自分自身のコトと思って、弱者救済を! なんて、優しいヒトの言う通りにしていたら。 反対に あたしたち自身が困ったとき、給付されなくなって。 貧困・困窮に至った経緯を、明確にして 今後は、そうならないよう、すべからく、自助努力を! そういう 傲岸不遜なヒトの、言う通りにしていたら。 年金基金も、福祉財源も、身の丈に合った規模で維持されて あたしたち自身、ホントに困ったとき、給付が受けられる。 今の主義主張と そこから導き出される結論が、見事に矛盾しちゃってる。 それを、とりわけ、恥ずかしいとも思わないで ただただ、「もののあわれ」って、その自己欺瞞さえ、美しいと感じ入る? それが 優しさを騙る…失礼、語るヒトの弱者救済って本性で。 いかにも 文学って感じが、しませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月27日 04時33分05秒
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