テーマ:たわごと(26725)
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近所のスーパーを出ようとしたら
学生さんらしき女のヒト、ふたりが ちんたらこうたら、歩いて、あたしの前を塞いだ。 サル。邪魔だから、どいて! と、言いたかったのだけど。 それを、言うと さすがに、言葉の暴力なワケで。 それに 聞いて怒った、おサルさん…失礼、オンナのヒトに 引っ掻かれても、困ってしまう。 こうして、あたしは 喉元で言葉を飲み込みながら、貴重な5秒を失った。 5秒早く、お店を出たって 何の用事もなかったワケだが。 それは、それ バタフライ効果ってヤツで 駐輪場に落ちていたかも知れない、100円玉を拾えたかも知れない。 こういう場合。 あたしの邪魔になる、おサルさん二人の行動と おサルさんに、「サル。邪魔だから、どいて!」って、言葉の暴力と おサルさんが、キーッとなって、引っ掻く行為と。 はたまた 言葉を飲み込んで、我慢する、あたしの心痛と おサルさんが、おサルさんたるを知らず、再び、他人(ひと)に迷惑を掛ける可能性と 駐輪場に落ちていたかも知れない、100円玉を拾えたかも知れない可能性と。 どこまでの なにと、なにが、等価なの? 因果律なら。 女のヒトふたりが ちんたら歩いてなければ、何の「果」も発生しなかったワケで。 かといって それで、サル!と痛罵され、キーッとなって引っ掻いて 緊急避難と、刺されちゃっていい、とも思えない。 結局。 ダレが、どの時点で、我慢するか?が、全てで。 あたしみたいな 心優しきヒト?が、言葉を飲み込んで、我慢して、心痛を重ねて それで、どうにか、世間さまは、廻っている。 だからって こんなコトくらいなら!って発想は、どうなの?ってこと。 あたしの学生時代の友達は 校内で、新品の靴を踏まれたって、反射的に、殴っちゃったり。 隣室で、サンマを焼く煙が、鬱陶(うっとう)しいと 包丁を握って、飛び出して行こうとしたり。 それは そうされたなら、こうしたって仕方ない!って、発想。 時と場合によって こんなコトくらいなら!って、安着な発想は そうされたなら、こうしたって仕方ない!って、安直な発想で、仕返しされたりする。 そういうのを あたしたちは、もっと、知っていたっていい。 一青窈さんの『もらい泣き』って曲がある。 「えぇぃやあ」やら、「たかたてぃ、たかたてぃ」やら、「ひゃぁ、ひゃぁ」やら すこおし、不思議な合いの手が、気になる、あれ。 それで ♪段ボールの中 ひきこもりきり あのね、でもね ただ、訊(き)いて、きいて、きいて♪って。 なんだか 我らヒッキーの応援歌って、感じ? それに 「愛をよく知る親友とかには 話せないし、夢みがち」とか 「言葉にすればするほど 意味がない、小宇宙」とか 「あげようと、決めた絵本だって とうに、流行(はや)り廃(すた)れちゃった」とか。 どこか リア充さんを、小バカにしていたり? だって、さ。 「愛をよく知る親友」さんなら いつだって、愛を語っているのでしょう。 そういうヒトが、喧(やかま)しい 正義だって、社会通念だって、良識だって 言葉にすればするほど、意味がない、お仲間倶楽部の自己完結(小宇宙)。 そんなもの どんなに、お気に入りの絵面(えづら)だって 泡沫(うたかた)の泡(あぶく)みたいに、流行り廃りを繰り返す。 だから 「身体で 教えて欲しい」で、「ふたりぼっち」なのでしょう? 結局、あたしたちって、さ。 ふたり、居たって それぞれ、ぼっち同士の、ふたりぼっちに違いない どうやっても越えられない、ヒトとヒトとの感性の隙間は ただただ、肌を合わせる、でしか、埋められやしない。 さすが 個人を、粘性がない、砂粒(すなつぶ)と見なして 十人いれば、十方向に飛散するって、中華クオリティ。 粘液でしか、体液でしか ヒトとヒトは、繋がっていられないし。 それにしたって 心まで繋がっている、確証はないと、判っていらっしゃる。 いい加減、気付きましょうよ。 あたしたちは 決して、ダレとも繋がれやしない、って。 間違っても 他人(ひと)と、心を通(かよ)わすコトなんて、ない、と。 それを 可哀想なヒトだ!と見下すのは、貴方の勝手だけれど。 そういう貴方の 優しさで、思い上がりで 確実に、日本社会は、病んでしまっている。 新品の靴を踏まれたら、速攻で、殴り倒したって、いい。 いつも、鬱陶しいヤツが、サンマを焼いたら ここぞとばかり、包丁を握り締めたって、いい。 肝心なのは あたしたちの迷惑になることを、するな!ってこと。 それは あくまで、自分基準の「他人の迷惑」だけど。 それを 自ら、やっちゃったなら どう、仕返しされても仕方ないって覚悟。 そういう 自分基準の「他人の迷惑」すら、考えられないなら それこそ、生きていたって、邪魔なだけでしょう? いつだって、他人(ひと)の顔色を、こそこそ、伺いながら こんなコトくらいなら!を、絶対に許さない社会の実現。 何にしたって みっともないから、正道の、ど真ん中を歩こうとしない。 そう みんなが、実践すれば。 息が詰まりそうな閉塞し切った社会に、風穴が開く。 それがイヤなら あたしみたいに、社会の片隅で、漂っていればいい? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年09月20日 09時34分17秒
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