テーマ:たわごと(26727)
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女性自身さんの
『犬猫の殺処分ゼロ目指し…青森・農高「命の教育」が伝えること』って記事を見た。 「2012年4月に始まった『命の花プロジェクト』。 県の動物愛護センターを見学した動物科学科の生徒たちが 殺処分された犬や猫の骨が事業系廃棄物、ゴミとして捨てられることに衝撃を受け、 始めた活動だ。 愛護センターの担当者は、犬の骨を手にして、涙ながらに訴えた。 『殺処分は税金で行われています。 皆さんから集めたお金で、動物を殺しているんです。 殺す前に、皆さん一人一人ができることはありませんか』 愛護センターから、もらい受けた骨を、生徒たちが自ら砕き、肥料にする。 骨を混ぜた土に、花の苗を植えれば、遺骨は花という新たな命となって再生できる。 そんな祈りが込められている。」とか。 ウチには イヌさんも、ネコさんも、いて あたしは、一応、税金を納めているので。 税金で 犬や猫を殺すなど、以ての外、と言いますか どこか、釈然としない。 だからって 貴方の責任で、もう一匹、飼って貰えます?と言われれば エサ代も、バカにならなくて すこおし、困ってしまう。 それに ネコさんと、一緒に生活していると 近所のネコを怖れて、ウチに帰れなくなる子も出てくる。 その子が あたしを見付けて。 あたしの、虎?の威を借りて ウチに、飛び込んで来るなら、まだしも。 それすら、できないなら もう、どうしようもない。 飼うにしても、限界があって 飼っているにしても、限界があって。 そういう 二律背反の中で、あたしたちは、揺蕩(たゆた)っている。 そこで生じる、遣る瀬無(やるせな)さを 学校教育じゃ、ただただ、可哀想だけ、追求しちゃう。 多感な時期だから それも、仕方ないと思う。 けど 多感な時期だからこそ ただただ、可哀想だけが暴走しちゃっていいとも思えない? 国境なき医師団で活躍した「英雄」のドクターさんが ニューヨークで、エボラを発症した。 観光客で、ごった返す歩道橋やら、人気のお店やら、友達とボーリングやら 帰国後の、彼の自由な行動が、報じられ その時間、そこに居た覚えがあるヒトは、きっと、恐怖に震えている。 もちろん 空港の厳格な検疫検査に、引っ掛からなかった彼に、何の責任もなく 空港の職員さんにしたって、他に、どうすることも出来なかった、はず。 ダレにも、どうすることも出来なくて ダレの責任でなく、エボラがニューヨークに上陸した。 その、理不尽さを いくら、口幅(くちはば)ったく激論したって、ただ、虚しいだけ。 けれど…。 ニュージャージー州で 「シエラレオネから帰国した看護師を、病院内の簡易トイレ付きテントに強制隔離」して 親御さんが 英雄なのに、「娘が、犬みたいに扱われている!」とか、涙ながらに訴えた。 それで ニュージャージー州は、緩和策を表明したらしい。 まあ 緩和策ってのは、「隔離の撤回と外出禁止の導入」ってことだから それなりに、人権に配慮して、それなりに、感染防止効果がある? ただ、ね。 「観光客で、ごった返す歩道橋やら、人気のお店やら、友達とボーリングやら」と 「病院内の簡易トイレ付きテントに強制隔離」と 理不尽ってなら どちらも、理不尽に違いなく。 本人さんや家族さんに、肩入れするか? あたしたち、一般庶民に、肩入れするか?って違い、だけ。 ただ、考えさせられるのは より、広範囲な恐怖が、個人を抑圧できるか?ってこと。 申し訳ないけど あたしは、したって仕方ないと思っている。 本人さんには、長いかも知れんけど エボラの潜伏期間って、たかだか、3週間でしょう? 観光地に行ったり、美味しいお店に行ったり、ボウリングに興じたり それって その間に、どうしても、しなきゃいけないこと? どうにか、こうにか、我慢してもらって それで、恐怖を巻き散らかさないで済むなら、万々歳じゃない? それに 「娘が、犬みたいに扱われている!」って嘆くなら 何があっても 彼女を、家族揃って、大事に、大事に、お世話すればいい。 それで 家族さんが、発症したって、お望みの通りでしょう? たぶん、だけど 家族さんに、任せちゃったら 彼らは、お世話も、看病もしない。 アフリカで、エボラ治療に従事する息子さんが 家族から、帰宅を許されないと報道されていた。 あたし自身、家族が、そうなら 決まって、帰って来て欲しくない。 いくら、「英雄」だからって 自分が、受け入れないモノを、他人(ひと)に押し付けるのは、止めません? 言葉が悪いけど 他人(ひと)の生命と、家族の生命では、そりゃ、家族の方が重いでしょう。 けど、突き詰めて考えるべくは 自分の生命と、家族の生命の比較であって 自分は犠牲になっても!って、言葉尻は、美しいけど 実際に、そう出来るヒトって、けっこう、少ないと思う。 そういう 自分の生命(いのち)に対する、寝穢(いぎたな)さを あたしたちは、もっと、もっと、痛感したっていい。 そうして見て、初めて 赤の他人なら、どう感じるか?が、判るんじゃない? 広島への集中豪雨で 行政さんの災害危険地区?の指定が甘すぎると批判されたけど。 もし、貴方の家が、崖下に在って で、行政から、災害危険地区の指定を受けて、平気な、わけ? そうなりゃ 宅地価格が暴落して、どうしたって、売れなくなるよ? それで 挙(こぞ)って住民が反対して、災害危険地区の指定が出来ないんでしょう? それを なんでもかんでも、行政の不手際にして、お仕舞ってのは 片手落ちと言うか、沈没船の船長に、死刑を求刑しちゃう韓国司法と同類と言うか。 自分の責任を、その他もろもろの責任に、平気で押し付けちゃう。 それ いい加減に止めた方が、いいと思います。 極言すれば 自分じゃ、飼いもしないで。 犬を税金で殺しちゃいけない!と、ただただ、可哀想ぶって。 あげく お骨を貰って、肥料にして、花の苗を植える。 それで 「遺骨は、花という新たな命となって再生できる」ってのは、どういう宗教? あたしだけかも、知れんけど 母や父や祖母に、再生して欲しくなんか、ない。 ただただ あたしの想いに伴って、いつだって、身近に感じられて、いてくれればいい。 まして 親族や赤の他人の再生なんか、それこそ、どうだっていい。 あたしの望みは 西芳寺さんの写経で、お願いに書いた「色即是空、空即是色」で。 死んだら、「空」の存在になりたくて べつに、極楽往生したいワケじゃない。 というか あたしの悪行だらけの人生で、極楽に行けると思えんし そもそも、御仏のお傍なんて堅苦しさの極致で ただただ、ぼおっと座っていたくも、ない。 キレイごとは、キレイごとで、いい。 世の中 建前が消えちゃったなら、本音の暴走を、ダレも止められなくなる。 ただ キレイごとは、あくまで、キレイごとだと、自覚するのが肝要で。 なんでもかんでも、キレイごとだけが、進む道だと 自分に、他人(ひと)にまでも、押し付けちゃったら 世間さまは、とっても、窮屈になる。 だから 自分に出来ること、出来ないことを、きっちり、線引きして。 出来ないことは 決まって、他人(ひと)に、世間さまに、押し付けない。 多感な時期に そういう教育も、あっていいと思うのです。 と言うことで。 「空」に成れなくて 悪行が祟(たた)って、畜生道に落とされたなら。 あたしは 愛護センターの檻のなか、キャンキャン泣き喚いていると思います。 なので キレイごとが、大好きな、貴方。 どうか 来世の、あたしを救って、くださいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月28日 04時44分57秒
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