テーマ:たわごと(26716)
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NEWSポストセブンさんの
『ネットに増加のデマ信者 ネットレフリー存在しないのが問題』って記事を見た。 有名人さんの「美談」が勝手に作られて いきなり、ネットで拡散しちゃう。 その現状に。 「自作のエピソードをあたかも実話のようにネットで披露し 多くの反響を得ることで満足する『釣り師』がいます。 感動する話に弱い一般大衆がフェイスブックなどで『いいね!』を押し あたかも真実であるかのように広がってしまうのです。 これらの情報はすべてデマだが、ネット上で、まことしやかにささやかれてきた。 なぜ、これほどまでに『デマ信者』が多くなってしまったのか。 評論家さんは 『インターネットに“レフェリー”が存在しないことが問題』だと指摘する。 新聞やテレビなど旧来のメディアは、記者が情報を精査しますが、それでも誤報がある。 ましてやインターネット上では、そのようなシステムは存在しない。 誤った情報でも、昔は少人数の井戸端会議で済んでいたことが 今はあっという間に1億人以上が知ることになる。デマが公的な言論になるのです。 ネット上の情報は整理され、精査されてはじめて『知識』になる。 今の日本人は、そこに気がつかなければなりません」 それで 「デマに流されないために、出典や根拠を確認する癖をつけたい」と結んでいる。 一見すると まことしやかで、仰る通り!と言いますか どうして、当たり前のことを、わざわざ?と言いますか。 あんま、疑問も持たんと こういう正論を、鵜呑みにしちゃうヒトが多い。 でも、さ。 「ネット上の情報」を整理する基準って、なに? で ジャッジやら、精査するヒトって、どういうひと? べつに サヨクさんが、どうの、ネト・ウヨさんが、どうの、と あたしは、言いたいんじゃない。 そういう 脳内妄想以前の問題として。 報道を含め、全ての情報は なんだかんだで、フィルターを通しちゃっている。 大昔。 お父さんブッシュが始めた湾岸戦争だったか? 最前線の戦闘のドンパチに 西側の商業放送カメラが入った。 乾いた銃声の音、混乱する現地住民の叫び。 あたしたちは 初めて知る前線の戦慄に、身震いした。 すこおし、あと。 アラブ、カタールのアルジャジーラさんが衛星放送を始めた。 いまだ、ネット社会全盛でなく。 地上波TVさんが、浮かれ気分で報ずる、その内容に なんだか、あたしたちは、首を傾げることになる。 だって、さ。 それまで無批判で観てきた、欧米・日本の報道と 価値基準が、全く違うのだもの。 あたしたちからすれば イラクに、イランに、独裁政権で苦しむ庶民が居て。 だから 湾岸戦争で、イラク戦争で、何としてでも、彼らの生活に安寧を!で。 けれど アルジャジーラで観るイラク・イランの民は、みんな笑って生活している。 どちらかと言うと 欧米の支援で溢れた銃器が、政府側、反政府側、共に広がって その交戦にこそ、現地住民が苦しんでいる姿。 銃弾を持って、ヒトを殺したり、殺されたり。 ダレが見たって、見間違いようのないセカイだって 西側のカメラと、アラブのカメラでは、映し出される光景が、まるで違っちゃう。 たぶん 西側の商業放送さんだって、アルジャジーラさんだって 依怙贔屓(えこひいき)して、報じたんじゃないと思う。 あたしたちは 民族としての、主義・主張としての、先入観・価値基準から どうしたって、離れることが適わない。 きっと、意識、無意識に関係なく。 何を見たって あたしたちには、自分が、見たい光景しか、見られない。 そして。 イラクが、イスラエルに向け放った、無数のスカッド・ミサイル群。 迎撃するパトリオットとが、空中で、交差爆発して 迎撃し損なったミサイルに、イスラエルの街が燃えた。 そこに居れば 宛(さなが)ら地獄に違いないのに あたしたちは、どこか、夢幻の美しさを感じちゃった? 後になって CIAさんの捏造と判明した?らしいけど。 イラク軍によって破壊された、クウェートの石油施設から漏れ出たオイルに。 海鳥(うみどり)が巻かれ、のた打ち回る、写真だったか? オイルに塗れた、幼女の写真だったか? たった、一枚の写真に 戦争開始に懐疑的だった米国議会が、いきなり憤って、開戦へと舵を切った。 捏造でなくたって たとえば、沢田教一さんの『安全への逃避』。 ベトナム戦争で、銃弾を避けながら、河を渡ろうとする母子の姿を撮影して ピューリッツァー賞を得た、この写真。 ダレが、どう考えたって、反戦でしょう? けれど 米国人の処刑を面白がる、イスラーム国?の動画は 米国市民にとって、開戦への片道無賃乗車券に他ならない。 紛れもない事実を、まんま、写し取ったとして それでも 伝わる感動のベクトルは、天と地ほどの差異がある。 紛れもなく真実たって その時々の社会風潮やら、伝えたいヒトの主義・主張やらで 全く、真逆に作用しちゃう。 それを どちらが正義で、どちらが良識なんて 一体全体、ダレが、どうすれば、判断できる? 報道自体、「誤報」やら、捏造やら、以前の問題として その本質に 社会の、取材者・伝達者の、思想・信条を孕んじゃう。 まして ネットに、「レフェリー」が必要って…あのね。 評論家さん。 貴方、アタマ、だいじょうぶ? たとえ、コンピュータだって プログラマーさんの思想・趣味が、第一義として反映しちゃうんだ。 なので 情報が「整理され、精査されて、はじめて『知識』になる」ってのは 理想ではありますが、空想物語に過ぎない、と あたしは思うのです。 真実ってヤツは 他人(ひと)が見るって時点で、必ず、フィルターが掛かる。 それが 赤なのか、緑なのか、知ったこっちゃないけど。 赤だろうと思って、その上から、緑のフィルターを被せたって 黒くなって、余計に見え辛くなる、だけ。 最初のフィルターの色合いは ダレにも、絶対的に、消せはしない。 それに。 たとえ、自分自身で目撃したって。 その日の、気分やら、心持(こころも)ちやら 同じ光景を 素敵に感じて微笑んだり、凄まじく鬱陶しいと吐き捨てたり。 あるがままってのは まんま、あるがままってコトでなく あたしたちの見たいように、見えるって、だけ。 それが 真実を知るってことだと、あたしは思うのです。 「出典や根拠を確認する癖をつけたい」たって そもそも、おバカなあたしに 原本やら、前提とする原理・原則やら、理解できるハズもなく。 フィルターが 赤だ!緑だ!って、いちいち、考えるのも、くそ面倒に尽きるワケで。 仮に あたしが「ネット・レフリー」さんだったなら 美人さん、イケメンさんこそ、正義!って基準で、判断します。 ネットに「レフェリー」が必要だ!なんて 寝言を仰る限り。 イケメン至上主義のあたしと、自称・有識者さんと あんま、違わないような。 いや、違ったって その差異なんか、どうだっていい、ような。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年11月17日 03時06分06秒
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