テーマ:たわごと(26727)
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日本人の日常茶飯事が、実は、海外では…なんて。
相も変わらずな 海外の食事マナーには気を付けるように!って記事を見た。 中国に行ったなら 食事じゃ、必ず一口、残しましょう。 中国では 食べきれないくらい出すのが、ホスト側のマナー。 それを 全部食べちゃったら、哀しくなります。 たしかに そうかも知れません。 ただ 今は、どうだか知らんけど 大昔なら、お店とお客と、その区別すらなかったのが、共産主義って中国。 百貨店に買い物に行って ショーケースに、必要な品物を見付けた。 そこで すいませ~ん!って、お喋りに夢中の店員さんに声をかけたら いきなり、没有(無い)!って無視された。 仕方なく、あたしは ショーケースを蹴っ飛ばして、ここにあるだろうが!って、指をさす。 すると そのショーケースは、私の担当じゃない!って、お返事。 なんだかんだで、彼女は しぶしぶでも商品を取り出して、放って寄越したから。 あたしは ありがとう、って、紙くず…失礼、「元」を、彼女の前に放り投げた。 当時?は この、なんでもかんでも「放り投げる」って文化が、とっても重要だった。 施設の入場券でも、駅で切符を買うでも エクスキューズ・ミー?とか、对不起(すいません)とか 最初に言うと、言語道断で、没有!って、捨て置かれちゃう。 売り場の彼女らは ダレに売ろうと、いや、たとえ売れ残ったって、どうだっていい。 だって お店は国営で、売り子も、お客もない。みんな同志、均一に平等なんだもの。 そういう状況だから 売り子さんは、ワケの判らん異人さんに関わる時間が惜しい。 いやいや バカみたいに時間は有るのだけれど 面倒臭いことをしたくない。 どちらかというと あたしも、そういうタイプだから…判らなくもない? で 郷に入れば郷に従え、と。 中国人さんなら、どうするか?を見て、真似るようにした。 一个、二个と、人数だけ言って、後は、お札を放り投げる。 すると 無言で、入場券やら切符やらと、お釣りが放られて来る。 そんなで 売り子とお客の別はないと理解して。 中国人と間違えられて始めて 面倒じゃないと切符を売ってくれる。 お皿に、一口残すのは 確かに、中国のマナーに違いない。 ただ それがマナーで、中国人さんの「常識」って言うなら 食卓を、すっかり汚して、食べた骨を、床に捨てるも、彼らの「常識」。 それも すっかり、真似るんだね? 大事な客人が フィンガー・ボウルの水を飲むを見て すかさず、自分も飲んで見せた英国女王さん。 それは それで、スゴいと思うのですが。 食事マナーなんて 所詮、その程度のもの。 相手に不快な思いをさせない、恥をかかせない。 そういう思いが最初で なのに、いつの間やら、奇妙奇天烈な儀式みたいになっちゃった。 インドじゃ、右手で食べなきゃ!ってのも、いいさ。 そうして インド文化を堪能するも、勝手にすればいい。 ただ そんなあなたは、左手で、お尻を拭くの? だからこその 右手で食べるで、右手で握手するでしょう? 直にアレを…は、汚いでしょう!って? だったら それが前提の、右手で食べる文化に拘る理由は、なに? お手洗いでは、習慣に反して、紙やウォシュレットを使うなら お食事のとき、お箸や、ナイフやフォークを使って、どこが悪い? 茶番なんだよ。 一口、食べ残して、中国文化を語るヒトも 直に右手で食べて、インド文化を語るヒトも。 全部を全部、すっかり受け入れるでなく 都合のいい部分だけ、これ見よがしに受け入れて、得意顔。 所詮、己が常識から逃げきれなくて その「良識」とやらをベースにした、片手落ちな、異国文化への礼賛。 あたしやあなたが。 中国へ行って 一口残すも、すっかり食べ切るも、お店にとって、まるで手間は変わらない。 インドに行って 手で食べたって、お箸を使ったって、スプーンを使ったって それこそ、どうだっていい。 たとえ、どういう食べ方をしようと その文化圏に染まっていないヒトには、ダレも怒ったりしない。 あたしたちには それくらいの寛容度が有る。 重要なのは あたしたちの想像を超えた事態に直面したとき。 つまりは 商品や、お札を投げ合う文化を、「良識ある」と思えるか?どうかってこと。 そうされて 問答無用で、無礼だ!って、己が常識を盾に、受け入れないなら そうするが常識の社会じゃ、切符も買えなくなる。 あたしたちが 異質の、未知な文化に遭遇したとき。 自分の持つ「常識」を押し通して、不自由さ、不便さを味わうか? 現地の「常識」を、まんま受け入れて、利便性を確保するか? それを どう判断しようと、あなたの自由。 ただ、冒頭の記者さんみたく 己が「常識」も、現地の「常識」も、って どっかの国みたいな二股攻撃は、往々にして、どちらからも嫌われたりする。 法令で決まっていないなら、生理的に絶対にダメ。 常識って、食事マナーって せいぜい、それくらいが丁度いい? そもそも 他人(ひと)の嫌がることをしない!って発想が 根本的に間違っている。 だって そういう場合の、他人(ひと)って、だれ? きっと 超常現象研究会さんには、ビビッとくるのかも知れません。 ただ 凡庸で、おバカで、人並みの能力すらない、あたしやあなたに 少しは他人の気持ちを察したら?と言われたって、困ってしまう。 いやいや 大概のヒトは、自分のホントの心すら判っていなかったりする。 だから、エスパーさんを除いて、あたしたちには 他人の嫌がるコトは、すなわち、自分自身が嫌なコトに他ならない。 なんだか、同じみたいなトーンだけど このふたつは、本質的に全く違う。 だって 他人の嫌がるコトって、他人なんてダレも判らんから、比べようがない。 けれども 私が嫌いなコトなら、『ああ、あんたは、そうなんだ』って比較検証の対象になる。 そうなって初めて ごくごく一部の「他人の嫌なこと」が、実は、彼らの感性に過ぎないと判ってくる。 きっちり、かっちり、自分に基準を置いて 発言するなら、私はこう思う、そう思う、ってしないと議論にならない。 いやいや、言い争いにはなるのだけれど 自分のイヤを、他人のイヤと直結しちゃうヒトは、絶対的に自説を曲げようとしない。 それも、これも 自分の嫌なことはしない、でなく 他人(ひと)の嫌がることをしない、と教えちゃいがちな風潮にある。 そうして 法令の外に、身勝手にも「常識」ってボーダーラインを敷いて得意顔って風潮にある。 あなたが 中国の食事で、一口、残そうと、インドの食事で、右手で直に食べようと あたしには、どうだっていい。 そんな あなた基準の常識を、滔々(とうとう)と語りたいなら あたしは、黙って聞いてあげましょう。 ただ あたしにまで、そういうバカバカしいことを強いるのは、止めて。 あたしは、あたしで。 ワインに、つべこべ喧しい、バカ女…失礼、セレブな奥さま方へ 欧米人に、日本茶の良し悪しの区別が付くと思っているの?って聞いてみたい。 ワインを、ずっと日常使いして、遺伝子に刻まれて ようよう、究めて酸っぱい中に、彼らは、その良し悪しを見極めてきたワケで。 それは、あたしたち日本人が 日本茶の苦さや渋さの中に、その良し悪しを見極める文化と違わない。 つまりは たかだか十年や二十年かじったくらいで、物知り顔して、どうする?とか。 柑橘系を放り込んで 茶葉のいい香りをぶっ壊しちゃうレモン・ティって、まんま、外道でしょう?とか。 あたし基準では 極めて重要で、流言流布…失礼、主張・拡散したい常識なんて、腐るほどにある。 それを あなた基準の「常識」とやらで、邪魔しないで!ってこと。 なんでもかんでも、自分を基準に考えて行動しちゃうと 自己中とか、身勝手とか。 けれど。 他人(ひと)の心なんか、ダレにも判らんのに 他人の嫌がることをするな!って。 そうして 自分限りのイヤに、普遍性を持たせようとして、他人に強いる。 そっちの方が、よほどに身勝手で、無責任で、自己中と思ったりする。 あたしは 他人なんか、どうだっていいから。 とりあえず 自分がイヤなことは、他人(ひと)にしない。 他人の行為で すっごく、イヤな思いをしたら どうして、こう、果てしなくバカなんだろうね?って 心の中で、思いっ切り罵倒して、呪ってやる。 それが適って 突然、居なくなったら、心の中で、万々歳しちゃう。 あたしは、性格が悪いんだ。 あたし自身の言動で 他人(ひと)を、どうこうしたい、なんて、考えもしない。 気に入らないなら、自滅するを待てばいい。 可愛そうなら、ちょっとだけ、優しくすればいい。 それも、これも 堂々としてでなく、心の中で思って、やるなら、こっそり、やればいい。 あなたが居て、あたしが居て みんな仲良く、ってのは、あたしのガラじゃない。 あなたが居て、あたしが居て ともに、みんな無関心、ってのが、どちらかというと、あたしの好み。 なので あなたが何を考えようと、何をしようと あたしには、基本、どうだっていい。 ただ、ね。 あなたが、お尻を、直に手で拭う文化人さんなら ちょっとだけ…その、あんま、近付いて欲しくない、かも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月16日 16時30分11秒
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