ジミヘンの音楽性を受け継ぎ、日本を愛してくれたハイラム・ブロック 逝く
ハイラム・ブロックが 2008年7月25日に亡くなりました。喉頭がんに起因した併発症のようです。アメリカジャズファンクとジャズフュージョンの貴重なギタリストでした。Hiram Bullock "Funky Broadwayご存じない方が多いと思いますが、彼は大阪府堺市浜寺で1955年9月11日に生まれました。なぜなら彼の両親が在日アメリカ軍にいたからです。Hiram Bullock(右) with Stevie Ray Vaughan(左) テレビ番組『レイト・ナイト』はデビッドサンボーン(sax)が司会で日替わりでゲストが来るのですが、ハイラムブロックはそのハウスバンドのメンバーになりました。スティーヴィーレイボーンとのセッションもありました。ハイラム・ブロックの参画した仕事1977年 ビリージョエルの『Stranger』1980年 スティーリー・ダンの*Gaucho(ガウチョ)に参加 *昔のメンバーやジャズ界の大物勢揃い。約1億円の制作費をかけたという最後の超大作。1980年 ポール・サイモンの『ワン・トリック・ポニー』1987年 スティングの『Nothing Like the Sun』) (ジミヘンドリックスのLitlleWingのカバーソロ)彼はまたマーカス・ミラー、マイルス・デイビス、ギルエバンス達ともいい仕事をしています。24th Street Bandのメンバーとして1980年にアルバム『 Share Your Dreams』 1981年 Bokutachi 1982年 彼自身のデビューアルバム『First Class Vagabond』日本向け。JVCビクター後にCD化1986年 『From All Sides』 実質のデビューアルバム アトランティックレコード1987年 『Give It What You Got』1990年 『Way Kool』 1999年『カラー ミー』サンボーンやレイラ・ハサウェイをゲストに迎え、ジャズ、ファンク、R&Bなど自身のルーツを改めて攪拌した等身大の音楽を展開。常人なら批判されかねないやり口も、このひとならマル。試聴出来ます。すぐにアメリカにわたったようで、演奏で来日したこともありますが、日本語は片言です。この偉大なアーティストは日本でのライブで、前座の少女ギタリストグループの演奏を聴き、本番が始まると彼女たちの演奏をオペレートしてあげたというエピソードもあります。後にプロデビューを果たした安達久美さんです。彼女も大阪の岸和田(同じ阪南)だったですね。久美さんのコメントをもらいましたので下記に掲載しています。Jimi Hendrix vs. Hiram Bullock Spanish Castle Magic solos画像は2つですが動画はひとつです。比較はアーティストにとって失礼かもしれませんが、演奏は引けをとらないすばらしさです。ヘンドリックスと比較されることは無謀とも思えます。普通であれば誰もがヘンドリックスがいいとコメントするでしょう。ところがハイラム・ブロックが評価されていることに彼の偉大さがあります。それでは久美さんのコメントを掲載します。安達久美 談私の尊敬しているギタリストの一人であるハイラムブロックが7月25日に亡くなったと知人から聞きました。ジミヘンの流れを受け継ぎ、ワイルドでグルーヴ感溢れるプレイで魅了してきた人でした。7~8年前、まだクラブパンゲアの前世となるアマチュアバンドだった頃、西宮のライブハウス、イエロージャケッツ(もう閉店されました)で彼のバンドの前座をした事があります。憧れのハイラムブロックが見ているというだけで嬉しかったのですが、なんと!彼は演奏が始まって客席後ろのオペレーター席に掛け上がり、私達の演奏をオペレート(客席での音をバランスを取ったりして作る)してくれたのですそして演奏後「you guys play wonderful!」と声をかけてくれたのでした。その時に私はいつか一緒に…と思っていたのですが…残念です。大阪で生まれた偉大なギタリストハイラム・ブロックさんのご冥福をお祈りします。ブログの応援もお願いいたします m(_ _)mこちらもよろしければお願いしますm(_ _)m