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2015.06.22
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カテゴリ:映画感想

ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
(原題 Mad Max: Fury Road)
(2015/オーストラリア・アメリカ/120分)



いやー最高ですね!!!結局夏の間に5回観ました。
過去シリーズからの小ネタや、膨大なフォロワー作品群への回答のような逆オマージュなど流れで語れる部分もたくさんありますが、今作から観ても何一つ問題ない内容なので皆さんとりあえずDVD借りてきて大音量(ここポイント)で観てください。

ストーリーすべて語っても映像そのものさえ観なければネタバレにならないのでは?と思います。

〜あらすじ〜

 核戦争により荒廃した火と油のみの世界。
 元警官のマックスは、旅の途中、荒くれ者たちに捕まってしまう。彼らのボスは、地下水脈を管理することで民衆を支配する「イモータン・ジョー」。わずかな勝者以外は人間さえも資源として消費されていく世の中で、マックスは髪をむしられ、猿ぐつわをつけられ「輸血袋:O型ハイオク」として、イモータン・ジョーの戦力である「ウォー・ボーイズ」の生命を支えるための燃料にされてしまう。
 イモータン・ジョーは近隣都市「ガス・タウン」と資源の取引をしようと試みる。交渉役に選ばれたのは片腕義手の大隊長フュリオサ。しかし彼女は「子産み女」と呼ばれるジョーの性奴隷たちを解放するため、装甲車ウォータンクに水と一緒に彼女たちを乗せて、自らの産まれ育った「緑の地」に向かおうと針路を変更する。早々にフュリオサの裏切りに気付いたジョーは、「子産み女」の一人が臨月間近であることを理由に、子供を取り返すため全隊に追撃を命令。マックスを「輸血袋」として使用しているウォー・ボーイズの一人ニュークスも追撃に志願した。
 追撃線、他部族からの攻撃、巨大な砂嵐を越えていくうち、ふとしたきっかけで道行きを同じくすることになるマックスと女たち、ニュークス。強者のみが自由に生きられる世の中で消費され続けた女たちと負け犬たちが、世界に対して反逆を開始するのだった。


特筆すべきはマッドマックス的世界観総決算とでも言うべき数々の外連味溢れるモチーフ。

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砦からクレーンで人や装甲車を下ろすとき、なぜ一緒に太鼓ドンドコドンドコ叩く係の奴らがいつもいるのか。戦意高揚にしても、戦いに行くときステージつき装甲車でエレキギターで演奏してる奴をつける必要性とは。いやそもそもギターが火を噴く意味、とは。特攻隊さながらに、万歳を唱えて死ねばヴァルハラに行けると信じて死ぬことに意義を求めるウォー・ボーイズがテンション上げるため口に銀箔をスプレーするのって説明あったっけ…?
最初はいちいちツッコミ目線で観てしまっていましたが、そのうちどうでもよくなってきました。ギミックの入れ方が巧いので何も気にならず、先にテンション上げた者勝ちだというこの世界の掟に自分自身がどっぷり浸かってしまうからです。

個人的には見終わって真っ先に「人食い男爵(People Eater)っていう三つ揃えのスーツの乳首部分だけが破けててそっから乳首ピアスチェーンつけてさりげなく自らの乳首をいじってるおっさんがいたんだけど!!最高なんだけど!?!?!?」とつぶやき、Twitter上で「マッドマックス 乳首」で検索したら自分以外は「子産み女たちの乳首透けてる!立ってる!」という話題でげんなりしましたが、今は半数ほどは同じ感想なので安らかな目で眺めています。

ちなみにこの人食い男爵については設定段階から乳首出っぱなしなので、その辺りミラー監督には詰め寄って問いかけたいところです。

ちくひ?1_voidstrider-d8wqdyx.jpg乳首3.jpg

あと山岳地帯をホンダのCB223sばりの自転車みたいに細っこいバイクで縦横無尽に駆ける奴らには牙一族(北斗の拳)を感じたし、フュリオサの出身民族である「鉄馬の女」たちは「バイクで疾走しガチで闘える中年〜高齢女性集団」が観たい人にはたまらないものがあると思います。戦うババアは最近割とよく見るけど、少し老けたくらいの女性が段階的に出てるのもいい。種籾を若いもんに託す老人ってネタにもニヤリとさせられますね。

さて、この映画にまつわるエピソードが一つあります。

アメリカの男性権利団体が「この映画はフェミニズム的である。男の世界だったマッドマックスシリーズなのに裏切られた」的なことを言って抗議を行ったというもので、理由は予告編でマックスよりシャーリーズ・セロン演じるフュリオサが目立っていること、マックスがフュリオサに組敷かれ、後ろでは軽蔑の目で彼を見つめる女たち…という構図があるから、マックスが女の指図に従うなんて!といったものだそうで、男性原理社会と家父長制の頂点で自分たちを苦しめている張本人(それこそイモータン・ジョーですね)ではなく同じ構造中で苦しむ女側に敵意を向けるところがあまりにもケツの穴が狭すぎるというか、そんなに具合がいいケツの穴なら男同士直腸で繋がるとかもっと有効活用しろよというのが個人的な感想です。

そもそもこの映画の構造は、貴種流離譚のごとく出発し、イニシエーションを終えて王者として生還するフュリオサの横で、マカロニウエスタンの「名無しの男」のごとくマックスが行動を共にし、共存と共闘を計るというものです。原題の「フューリー・ロード」にはおそらく「フュリオサの道」という意味もかけられているのでしょう。むしろ主人公のマックスを喰うほどにフュリオサが目立っていて当たり前なのではないでしょうか。

ただし監督がフェミニズムを意識し取り入れているのは確定的で、イモータン・ジョーの元から逃げ出す5人の「子産み女」たちキャストに対し『ヴァギナ・モノローグス』(女性が女性器を語ることで女性の性を取り巻く社会を描くフェミニズム的舞台作品)の作者、イヴ・エンスラーに演技にあたって性奴隷であることのコンサルテーションを依頼したとのこと。さらにアクション映画の編集は未経験の妻に編集を任せたとか、狙いは明白です。

貞操.jpg

ストーリー上でも、ジョーの子供を孕んでいる「子産み女」の一人が「悪魔の子よ。生まれてくる子はきっと醜いわ」と一人ごちるのに対し、鉄馬の女が「きっと女の子さ」と「なぐさめ」て、子産み女も笑顔になるシーンがあり、死産した胎児が男児だったことで悲しむジョー達と対照的に描かれます。私はここに「これだけ強者男が好き勝手して女性のほとんどが性暴力サバイバーの世界なら、女性のほとんどがミサンドリーを内包し男を軽蔑していた方が自然」という意味でのリアリティの追求を感じました。少なくとも彼女たちは一夫多妻の妻にあたるものの、定番の寵愛争いは起こしていない。どころか教育係の老婆はフュリオサと通じて「あの子たちはモノじゃない」と逃がすほど。ピストルを男性器に例えるときは、吐き捨てるように「小さい」と言う。鉄馬の女の一人は、子産み女の一人に種籾を託し遺志を継承させる。徹底して女性たちは連帯しており、そこに男性社会からこぼれ落ち最底辺に置かれていたマックスや、使い捨ての戦争の道具とされてそれを至上と信じていたのに脱落してしまったニュークスなどが加わって、ともに男性原理的な序列社会の強者イモータン・ジョーと彼の作った社会を壊しに行く。繰り返される「私たちはモノじゃない」という台詞とともに、敵を見誤るな、というメッセージは強烈に「フェミニズム的」です。

また、これだけ暴力によって荒廃した世界観を余すところなく表現しながらも、ポリティカルコネクトレス(PC)への配慮が行き届いていることも衝撃的でした。もともと子産み女として攫われたという設定のあるフュリオサ大隊長に対しても妻たちに対しても、戦いのシーンにおいて性暴力を示唆する台詞がない。それでいて彼女たちが、マックスと邂逅したとき暴力を危惧し、実際そういった危険性があることは映像の緊張感から伝わります。直接的に描写しなくても表現は可能である、ということのこの豊穣さはどうでしょう。

最初の段階でマックスがちらちらと子産み女たちの乳や腹や肌を見ているのは細かいショットで示されるけれど、ストーリーが進んで共闘路線に入ると、手の動きや表情にピントを合わせるようになります。flesh(肉体)として、つまり女体から一人の人格として認識の移る過程がここには描かれています。子産み女たちのひらひらした薄布一枚のセクシーな服装は、それこそが彼女たちの枷でありモノ扱いの象徴として撮られます。戦闘中彼女たちに概ね性暴力の危険性がないのは、序列最高位とされるイモータン・ ジョーの「妻」だからというのはあるものの、であるからこそ彼女たちは流れ者で序列から外れているマックスに対しては軽蔑と性暴力の危惧を持つのでしょう。前述した野放図すぎるケレン味の間に、こういった繊細な作り込みのあるところがこの映画の魅力を下支えしているのだと思います。

終盤、フュリオサが致命傷を負った際「はいはい戦功残した女は死なねばならないいつものやつね」などと思ってしまった自分が恥ずかしくなるほど、社会から踏みつけられた者たちが共闘して自由と権利を勝ち取る物語でした。

少なくともこれを観て、パシリムの時のように「女にはわからない男の映画!女は来るな」などと小便マーキングみたいなことを言っている一部の男性たち(残念ながら既に複数確認できています)は、自分のその姿こそがイモータン・ジョーの手下の心性であること、そういう男性たちがフュリオサや戦闘ババアやマックスによって殺戮される物語であることは心に留めておいて欲しいと思います。

当たり前のことですが、社会の構成員の約半分は女性、「シスヘテロ男体持ち以外」とするならば社会の過半数がそれに当たります。
この巨大なマーケットに積極的にアピールできる、かれらが快適に観ることができる作品こそが成功への近道である、というのは、1月に本邦公開となった『ベイマックス』を観れば一目瞭然ですが、これをバイオレンス映画の金字塔である『マッドマックス』シリーズがやってくれるとは思ってもいませんでした。

これまで数々の新しい試みをしてきたシリーズですし、個人的には、次回はアジア系を活躍させる形でさらなるグローバル化を果たしていただきたいなと思っています。(『メイズ・ランナー』のヒーローことミンホ君の人気を見る限り、客層は断然育ってきていると思うので)





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Last updated  2016.08.20 15:09:13



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