「ナイフ男」【1】神戸行きを希望して入った会社だったが、ずっと内勤で、他の現場の話が出たり…囲ってしまったものは、会社の幹部連中の言いなりになってしまったようだ。 それでも、神戸行きの希望は捨てずに、時期を見て言い出そうとは考えていた。 ある朝、いつものように電車通勤のため、駅まで歩いていた。商店が並ぶ場所まで来たら、突然、右肩になにか当たったように感じた。その当たったようなものは、右前方に転がって行った。よく見ると、それはナイフだった。 俺はナイフを投げつけられたのかと呆然としていると、髪の長い男が落ちたナイフに向かって走って行くのが見えた。 咄嗟に、次は刺されるなと感じて、その男を追いかけて、右後方から近づいた。相手が右利きなら、ナイフを拾って左回りに振り向くと読んでの行動だった。 男はナイフを拾うと走って行ってしまった。 【2】 男が走っていくのを見て追うことはしなかった。俺を狙って失敗して、それで逃げてるんならいいけど、無差別にナイフを投げる男だとしたら、その後が危ない。 警察に通報しようとしたが、携帯がまだない時代だ。近くに洋服店があったので、電話を借りようと駆け込んだ。 その商店の店主らしい30歳代と見える男は、興奮した状態で 「今、警察を呼びました」と言っていた。 「そう、ありがとう。状況は見ていた?」 「はい、店の前にいたんで、全部見てました。それで、警察呼ばなくっちゃと思って…」 この街は、まだ社会が機能していると思った。安心して、会社に行けそうだ。俺は、目撃者になるんだろうか。いや、被害者か。 「俺は、会社があるんで行きますから、警察が来たら連絡してください」 と名刺を置いて行った。 【3】 会社に着いて 「今朝、知らない男からナイフ投げつけられた。警察から電話があるかもしれない」と言った。 「けがはなかったのか?」 「ええ、ナイフの柄のほうが当たったみたいで」 「なんで、ナイフなんか投げられたんだ?」 「わかりません。きっと気がおかしいんでしょう」 「そんなおかしい奴が、うろうろしてたのか?」 「すぐ近くの人が、110番してくれて、警察が取り押さえるでしょう。ナイフを持った汚い風貌の男だったから」 「それで、警察から会社に電話が来るの?」 「来るでしょう。俺、被害者だし、目撃者だし」 「警察から呼び出しがあるかもね」 【4】 電話がなった。お局様がビクっとして 「警察からかな。どうする?ヤマザキさんが直接出る?」 「いいよ」「はい、〇〇建設です」 「こちら、警察ですが、ヤマザキさんという方おられますか?」 「はい、私です」 「あ、そうでしたか…名刺から拝見してもっと大きな会社なのかなと思ってました」 「大きな会社ですよ。今朝の事件の話をしていて、警察から電話があるはずだって待ち構えてたんです」 「そうでしたか…それで、どうですか?おけがはありましたか」 「いえ、ナイフの柄のほうが当たったみたいで、けがはないです」 「そうですか。よかったです。それでどうですか?その気持ち的に落ち着いてらっしゃいますか?」 【5】 「気持ちは落ち着いています、事件当時から。それより、あの男が他でもナイフを投げて、人を傷つけないか心配だったんですけど」 「それは、だいじょうぶでした。あの男は、駅前で取り押さえました」 「それはよかった。ごくろうさまでした。やっぱり気がおかしかったんでしょう?」 「かなりおかしかったですね。で、どうしますか。彼に思い罪をかすべきとお考えですか?」 「いえ、あんな精神状態ですから、家族が引き取るか、施設に入れることでいいと考えてます。僕もけがをしたわけではないし」 「わかりました。ご意見は伺いました。適切に対処いたします」 「僕の事情聴取はおわりですね。ごくろうさまでした」 (終) 《 現場監督時代目次へ 》 《 目次へ 》 《 HOME 》 ジャンル別一覧
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