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テーマ:心のままに独り言(8522)
カテゴリ:自分
昨夜マスカットの見切り品を購入。ここ数年、ぶどう類は甘くて一口でギブアップが続いていた。たまにぶどうを買ってきても大半は冷凍していた。(シャーベトみたいで美味しいのです)冷凍させるから、痛んでいるのは不向きだ。多少高くても状態のよいぶどうを購入、冷凍をしていた。
食後、この見切り品のマスカットを口に含む。大半はとても美味しいのだが時々腐りかけたマスカットがある。なんだか発酵したような変な酸味と奇妙な食感。これは口に含んだ瞬間すぐに吐き出す。でも、この腐りかけたマスカットを口に含んだ時に何かを思い出そうとする・・・ あまり思い出したくない思い出のような気がする… 小学校の頃、私は家の中でも学校でも四面楚歌だった。 私の支えは父親からたまにくる手紙だけであった。ただ一つの支え。顔の見えない支え。だが、手紙は家族の手によって常にに隠されていた。その手紙を家捜ししてとり返すたびに祖父に怒鳴られ、時には殴られる。母に平手打ちをされた。祖母が見かねて止めに入った。 手紙の返事を書き、父に送る。だが、大半は宛先不明で返送されてくる。当時の父は家を転々としていたから。その返送された手紙をみて、祖父は怒鳴ったり殴ったり、母はヒステリーになってしまい手も付けようが無かった。そんな時、弟は静かにしていた。(私の弟は無口であまり自分の主張をしない) 父から電話が来ても怒鳴って切っていた。終いには無言で電話を切っていた。当然だが、取次ぎされたことは一度も無い。 東京に住んでいた頃、私は両親がいて友達がいた。生活費がままならない我が家は2,3日ご飯が食べれないという日もたまにあった。その日の食事は給食だけとか。(私は日本人の日本育ちだ) だが、心にゆとりがあった。だが、それは小学校2年生の秋まで。 両親が離婚して母方の実家へ引っ越すことになった。それが札幌。小学校2年生の秋。 列車改札口で父が「一緒にすまないか」と最後に言われたのを覚えている。父親も大好きだったから、住みたかったが本能か。母親についていった。 (後に母親から「父は子供は不要といってたからあの時は心底腹が立った」と言っていた。) 札幌ではご飯だけは贅沢になった。離婚により母方の祖父母と同居を始めたから。 その頃、私は「四面楚歌」であった。それは上記の理由で。 学校では・・・先生をはじめとする、学校すべてのいじめと偏見が私にまっていた。 父からの手紙を探しても出てこなくなった。小学校4年生のとき、江戸川乱歩の本に出会う。それからは本だけが私の唯一の教科書であり、唯一の友であり、教師でもあった。 あの頃・・・よく全く見知らぬ場所にいることがあった。 突然気がついたら自分が「迷子」になっていることに気がついた。 当然だが、歩いてきた道のりなど全く記憶無い。 自分としてはSF小説のように、突然「ワープ」してきた様な錯覚になるのだ。 知らぬ間にバスに乗っていた時や知らぬ場所で座っていた時もあった。 真っ白な雪の中で凍えていたこともあった。足跡を頼りに自力で帰ってきた。 馬鹿みたいな話しである・・・・ だが、今さっきも書いたが、同じ事を昨日再び起こってしまった。 またか・・・と思う。 まぁ、今は大人だ。 なんとかなるだろう。 離婚すれば夫婦は大抵別居する。 まれに同居してる夫婦もいるが、9割以上は別居だろうと思う。 夫婦二人なら別居で住むが、子供がいる場合は厄介である。 「親権」の問題だ。 どっちかがあっさり親権放棄すればいいだろう。 だが、両方が親権を主張したり、両方が親権の放棄となると事態は違ってくる。 ただ一ついえるのは「子供にとっては親と別々に住む」という事実だけだ。 親が別々に住んだ場合、親権者となった親は子供を相手に合わせたがらないケースがとても多いという。私の家もまさにその一つだった。 父と接触させるんのはよくないという理由で会うことも電話することも手紙すら取り上げられた。電話も取り次いでもらえない。だが、私は大人になり、離婚その他の真相を知り、家族を今だ許せない。人間として一番いけない他人の権利を強奪したのだから。家族の前に人間だ。人間同士のルールを破ったのは家族だ。 「食わせてもらってるから、それが条件なのだ」と思うようになった。実際に「飯食わせてるんだから」といわれたことも多々ある。まぁ、だがそれも一理ある。私の中ではすべては「金」だと思う。金が無いからひもじい思いをした。金がなくて私は学校からさらし者にされた。金が無くて母はいつも稼ぐのに必死で、それは時には私に跳ね返ってきた。生きていくためには「愛」でなくて「金」だ。絶食などではわからない。本当にご飯が食べれない生活を送ってみればいい。病気になっても病院へいけなければいい。そんな生活をしてもまだ「愛情」だとか抜かす人がいれば本当に神の領域である。自分の子供を身売りする。世界各国に沢山ある。恋愛で悩んでる人が羨ましいと思うね、私は。食べることがあるから出きる悩みなのだと私は思っている。私は少なくとも、どんな時でも食べ物を確保する。食べ物と金。 金の亡者というのなら結構だ。 話が逸れた。戻そう。 そして、私が大きくなっても離婚の真相というのは明かされず、一方的に「父が100%悪い」とだけいわれた。 これは我が家に限らずとても多いケースなのだそうだ。離婚カウンセラーの人が書いた本にそんなことが書いてあった。 親は子供のため・・・と思ってわかれた相手に会わせないのだろう。 だが、それは親の勝手なエゴである。 どんなに小さいな子供でも「選択権」はあるのだ。 小さいから親が代理で判断しなくては…というが、だからといって相手に子供を会わせるか会わせないかの権利を親が剥奪するのは全くもって違うと思う。 それは親が「傲慢」であり「親のエゴ」だと思う。 どんな状況であれ、わかれた親が子供に会いたいというのなら、そして子供が「お母さん、お父さん(離婚した相手)に会いたいというのならばそれは会わせるべきだ。だが、このときにお互いの親が相手の親の悪口を決して行ってはいけない。 あくまで、将来子供が離婚の原因を理解し、父、母を許せるかどうかの段階の判断をつけるためにも絶対に相手の悪口をいっていはいけないと思う。 だから子供に会わせるのも、離婚相手がどんなに悪人だろうとも子供にとっては親だから会わせるべきだと思う。 「我慢させるのが大切」という人もいるだろう。 だが、そんな理由のわからない100%会えない我慢というのは単なる親の押し付けだと思う。 私の周囲にも結構離婚者は多い。同世代から4,50代までと幅広いが一ついえるのは…親権をとった親は「子供に会わせたがらない」「子供に分かれた相手の悪口ばかりを吹きこむ」人がやはり多いようだ。 これは・・・最低の行為だ。 どんなに別れた相手が悪人でも子供には親なのだ。 子供が理解出来ない年齢だから親が判断して離婚相手に子供を合わせないというのは「傲慢」だと私は断言する。どんな状況でも、子供が会いたい、分かれた相手が会いたいというのなら、きちんと場をセッティングすればいい。 だが、どうしても何らかの理由で会わせたくない、それはよくないというのなら「わかれた相手と子供を合わせない、会わないという同意を得る」をおこない、それが無理ならば「家裁」に持ちこんできちんと話し合えばいい。法の元でお互いが中調子、第三者に決めてもらうのが一番にいいことだと私は思う。 決して自分だけの判断や周囲の意見に惑わされないで欲しい。 子供は何もわからないから… なんて陳腐な言いぐさだろう。 腐りかけのマスカット。 東京にいた頃、何日かご飯が食べれないほど家は貧しい家だった。 だが、そんな家にもごちそうがあった。 それは果物。 特にこの時期はたまにぶどうを食べた。 私が大好きだったぶどう。 特にマスカット系は大好きだった。父も母も家族揃って一番好きだった気がするマスカット。だが、そのぶどうにも時々発酵したようなすっぱいような奇妙な味があった。ぶどうを食べると必ずそういう味が混ざっていた事を思い出した。 それは・・・見切り品だったのだな。 それでも当時の我が家にとってはとてつもない贅沢だった。 腐りかけのぶどう。 それは東京にいた頃の思い出だと気がついた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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