今年の2月から3ヶ月間オンエアしていたドラマ
「ロス:タイム:ライフ」の原作本を読みました。
1話完結編で、それぞれの回の主人公が死を迎えた瞬間、どこからかサッカーの審判のような格好をした男たちがやってきて、人生のロスタイムを宣告する・・・斬新な設定のドラマでした。
それぞれのロスタイムの長短は、主人公たちの生き様をあらわしていて、また人生最後のロスタイムの過ごし方も、主人公たちの人生への姿勢を感じ、毎回とても面白いストーリーでした。それぞれの回が、微妙なところで関連があって、特に温水洋一さんがどの回にも出ているのが、これまた面白くて、つい温水探しをしてしまうんです。(笑)
で、そのドラマの原作本を見つけたとき、あの面白かったドラマのストーリーをもう一度楽しもうと思って読み始めました。でも見事にその思いは裏切られました。
いいえ、失望したのではなくて、とても感じ入ったのです。
ドラマの原作本などではなく、1冊の小説として充分読み応えがありました。
外出先の喫茶店で読んでいて、思わず泣いてしまい、あわててしまったほど。
死はどんな人にも平等に訪れます。老若男女だれにでも。カネのあるなしにかかわらず。
そんな、突然やってくる死という経験に、だれしもとまどうのは当たり前のこと。
ましてもう死んだと思っている自分の前に、サッカーの審判の姿をした男たちが現れ、死んだ自分のロスタイムを宣告するのだから、驚くのも無理はないでしょう。
でもだらだらとロスタイムを過ごすのはいけません。自分がやり残したことと思うことを、残りの時間で精一杯やってしまわなくてはいけないのです。
報道カメラマンは、人生最後の写真を撮ろうとし、俳優は自分を殺した犯人探しをし、主婦は家族との最後の晩餐の用意をし、看護婦は失恋した相手に一発おみまいをし、そして老人は自分の遺産をどの子に渡そうかと考えます。
それぞれの人の数だけロスタイムがあり、その過ごし方も千差万別です。
主人公の逃れられない死は、読んでいて辛いものの、ロスタイムの間、疾走し続ける彼らを見守っていると、なぜか勇気が湧きます。
死は終わりではない、始まりなのだ・・・と。
自分に嘘をつかず、丁寧に生きること。
私もまた、自分の人生のロスタイムを迎えるまで、日々を大切にしながら過ごしていきたいと思いました。(あ、じゃあ、ロスタイムは短くなっちゃうか!?)