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安土山と金剛山と日光東照宮
安土山は富士山と大山の間中にあり白山と金剛山の方位線上である、石見一宮物部神社とスサノオ伝説山船通山の同緯度上で、多くの霊山と重要な名神社と鎮座関係の方位線関係がある山である。日光東照宮はその位置性に注目してか、海神社と安土山、多賀大社の方位線先に日光東照宮を置いた。松平東照宮と総見寺を結ぶ方位先は正確に出雲神名火山茶臼山に至る。
出雲神名火山大船山-佐太神社- 日光東照宮 海神社 -安土山 -多賀大社- 日光東照宮 金剛山 -三輪山- 日光東照宮 富士山火口中心 -小室浅間神社-日光東照宮 七面山(京都) -金華山- 日光東照宮
徳川幕府にとって重要な日光東照宮の位置性を与えた安土山と金剛山は拠処としての大きな価値があると云えよう。修験道の祖、役小角の修験場として有名な霊場金剛山は巨大前方後円墳、墳長第二位の伝応神天皇陵の方位先の山である。金剛山と三輪山の方位先は正確に日光東照宮に至る。白山と金剛山の方位上の安土山に織田信長は安土城を築き、安土山と金剛山を拠処とする場所に祀られた。 安土山総見寺は織田信長が死去後、小大名となる織田家との関係は続くが、徳川幕府からの寺領を与えられ実質的に存続してきたと云えよう。檀家の無い総見寺に寺領を与えた歴史の由縁が東照宮との関係であろう。 徳川幕府は価値性が高い拠処との関係と江戸城との関係の神社鎮座関係に城を築く事を行う事ができ行っているが、最も大事な徳川家康を祀る日光東照宮の拠処に安土山と金剛山を選んだ。安土山は日光東照宮の拠処であるが松平東照宮と総見寺本堂跡との方位先に茶臼山に至る関係がある。茶臼山は御三家筆頭格尾張藩名古屋城天守閣や家康の孫の松平直政の松江城天守閣の拠処である。
出雲神名火山茶臼山‐安土山総見寺本堂跡‐三河松平東照宮 出雲神名火山茶臼山‐多賀大社‐ 名古屋城 松江城 -出雲神名火山茶臼山- 真名井神社- 六所神社
出雲国府跡に鎮座する六所神社と松江城天守閣の松平直政の父であり家康次男徳川(結城)秀康の福井城天守台の方位先は正確に日光東照宮に至る。
松江城 -出雲神名火山茶臼山- 真名井神社- 六所神社 六所神社-福井城- 日光東照宮
松江城天守閣は出雲大社本殿と出雲大社弥山の方位先にあるが、出雲大社八雲山と福井城天守閣の方位上が松江城本丸を方位線が通る。
出雲大社 -出雲大社弥山-松江城 出雲大社八雲山-松江城本丸-福井城
金剛山を徳川幕府が意識した事を示すのが、金剛山と上賀茂大社本殿群の方位上の徳川二条城天守閣跡の正確な位置である。そして、金剛山と三輪山の麓の若宮社の方位に名古屋城天守閣が位置する。名古屋城天守閣は日光東照宮の方位先に和歌山県竃山神社の方位上で、竃山神社と鹿島神宮奥宮の方位上に江戸城富士見櫓がある。 金剛山-生駒神社境内 -二条城-上賀茂大社 金剛山-大神神社若宮社-名古屋城 竃山神社-名古屋城- 日光東照宮 竃山神社-江戸城富士見櫓- 鹿島神宮奥宮
幕府が、神社鎮座関係を如何に重要視していたかは御三家や家門の城位置で推察でき、東照宮位置に神社鎮座関係の要の地である出雲の神社鎮座関係が出雲神名火山大船山と出雲二宮佐太神社本殿の方位先と関係がある。 江戸城天主台は。鹿島神宮と富士山山頂付近の浅間神社奥社の方位上、香取神宮と三河松平東照宮の方位上にあるが、熊野大社(出雲)の奥宮である天御山と国宝三仏山投入堂のある三徳山の方位先でもある。浅間神社奥社と松平東照宮の方位先に正確に徳川大阪城天守閣に至る関係がある。
国懸神社-富士山浅間神社奥社 -江戸城天守台-鹿島神宮 春日山 -三河松平東照宮 -江戸城天守台-香取神宮 戸隠山-四阿山-江戸城 天狗山(熊野大社奥宮)-三徳山-江戸城 徳川大阪城天守閣-三河松平東商宮-富士山浅間神社奥社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/10/16 01:38:03 AM
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