テーマ:大和朝廷の神々の設計図(30)
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元伊勢伝説ルート図
古事記に記述はなく日本書紀と他の神典に記された内容で、崇神天皇の時代の豊鍬入姫命から垂仁天皇の時代の倭姫命が天皇家の祖神アマテラスを祀るに良い宮処地を求めて倭国 笠縫邑 (檜原神社:から始まり近畿地方と岡山の地の3年から数十年以上留まり約27箇所を経て伊勢神宮内宮に至る各地を元伊勢と云う。 この元伊勢伝説も様々論じられ、伊勢信仰説、軍事行動説、架空説などの全てが論拠gがなく関係のない他事を例として論じる推論以下の想像論の妄想である。 ● 元伊勢には特徴的な関係がある、 1) 三輪山麓の檜原神社から出発し、同じ三輪山麓の大神神社や周辺地に戻り遷座する。 2) 伊勢神宮や他の元伊勢跡を意識した位置関係が多くある。 3) 全ての元伊勢跡は神社鎮座関係にある、 4) 丹波、木乃国、吉備を除くと三輪山を始点とし伊勢を終点とする逆U型の巡行である。 5) 出雲と富士、出雲と房総地域の間中に位置する関係が多くある。 6) 伊勢神宮と別宮と方位線関係が有る。特に元伊勢跡四箇所が明確に一方位に並ぶ関係は作為以外にない。 7) 丹波乃国 吉佐宮の元伊勢は一箇所だが、丹波に二箇所あり、丹後元伊勢二社を入れると四箇所になるが内三社は神社鎮座関係で重要な基点神社である。 8) 伊勢神宮の別宮と摂社の元伊勢跡を除くと丹波、木乃国、吉備の三カ所の内、二カ所は国一宮であり、吉備の伊勢神社は元伊勢の出発地と比定地三輪山麓の檜原神社本殿位置の方位先に興喜天満宮、伊勢神宮摂社大土御祖神社に至る二十七カ所しかない元伊勢の四カ所が一方位に正確に並ぶ作為関係がある。 9) 丹波、紀乃国、吉備を除く逆U型の軌跡は安土山、伊吹山、金華山を巡るように伊勢に向うが、藤原広嗣の乱が関わると学界で云われるが、『続日本記』には伊勢神宮奉幣が目的と書かれた聖武天皇東国行幸が似た順路である。伊勢神宮に参るのに大廻りする理由はないが、東国行幸に関して学界が推論する説には何も確証ある証拠がなく元伊勢伝説との類似性も論じていない。 10)丹波、紀乃国、吉備の三箇所が何故選ばれたのであろうか、他の二十数か所の巡行型から外れた地が選ばれた理由はなにか、 11)伊勢国内の北部の数箇所を除く元伊勢は伊勢神宮の別宮、摂社などである。 等、
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Last updated
2010/10/31 11:22:56 AM
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