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2004.09.19
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カテゴリ:Jimi Hendrix
ジミ・ヘンドリックス/ブルー・ワイルド・エンジェル

1970年8月30日、ワイト島ポップ・フェスティバ
ルの第3日。ジミ・ヘンドリックスは、最後の出演者と
して演奏することになっていました。チャーター機でロ
ンドンの南西100㎞の海上に浮かぶワイト島のベンブ
リッジ空港に到着したのが午後7時30分。シー・グロ
ーヴ・ホテルにチェック・インした後、ヘリコプターで
会場に向かい、バックステージの控室として用意された
小さなトレーラー・ハウスへ。2日前に知りあったばか
りのデンマーク人モデルのキアステン・ネーファと彼女
の友人カレン・デイヴィスが、ジミの到着を待っていま
した。

トレーラー・ハウスのなかで、ジミは、オレンジを基調
色にイエロー・ピンク・グリーンのサイケデリックな柄
の入った袖のたっぷりした貫頭衣とベルボトムのパンツ
という組み合わせのステージ衣裳に着替えましたが、
1969年2月以来、1年半ぶりのイギリスで、60万
人の聴衆の前に立つのを恐れていました。

8月31日(月)午前2時、ようやくジミの出番がまわっ
てきました。トレーラー・ハウスを出て、ブラックのフ
ェンダー・ストラトキャスターをかかえてステージにむ
かうジミに、フランスのラジオINTの女性ジャーナリ
ストがマイクをむけます。
INT「どうやってインスピレーションを得るのですか
?」
ジミ「from the people(聴衆からだよ)」

そうなのです。ジミは、出演前は「出たくない」と言っ
て、なかなかステージへ出ようとしないことが多いので
すが、一度ステージに立ち、聴衆を前にすると、何時間
も演奏してしまうのです。ジミにとって、聴衆の前で演
奏することは、人生で最も大切なことのひとつ。だから
、ビートルズが1967年に演奏旅行を打ち切った後も
、4年間にわたって、毎晩のように演奏する生活を続け
られたのでしょう。

司会者のジェフ・デクスターが「どのように紹介したら
よいか」とたずねると、ジミは、「ベースはビリー・コ
ックス。ドラムスはミッチ・ミッチェル。ギターは誰か
、わかるよね。バンド名は……ブルー・ワイルド・エン
ジェルだ」。ジェフのアナウンスが終わると、ジミは、
喝采をあびながら、ライトで浮かびあがったステージへ
向かいます。

最初の曲は、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」。ウッ
ドストック・ミュージック・アンド・アート・フェステ
ィバルの映画で一躍有名になった「スター・スパングル
ド・バナー」にならい、今夜は、イギリス国歌を、トレ
モロアームを動かし、フィードバックを効かせて演奏。
そのままビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロン
リー・ハーツ・クラブ・バンド」を演奏しようとします
が、ギターのハウリングがひどく、しばらくミッチだけ
が演奏を続け、ようやくギターが復活して歌いはじめた
ものの、ワン・コーラスだけ歌うと、「スパニッシュ・
キャッスル・マジック」に突入。

続いて「この曲は、俺たちが1883年に演った曲だ。
いまでもまだゾクゾクするぜ」と紹介して、ボブ・ディ
ランの「オール・アローン・ザ・ウォッチタワー」へ。
そして「この曲をバーミンガムやボンマスやロンドンや
ベトナムでたたかっているすべての兵士にささげたい」
と前置きして、「マシーン・ガン」。ビリーのベースが
一定のビートをきざむなか、ジミのギターは、ファズ・
フェイスやワウワウ・ペダル、ユニ・ヴァイブなどの装
置を駆使しながら、22分間にわたって、戦場でおこる
さまざまな出来事を音のイメージとして展開していきま
す。目を閉じ、口を大きく開け、ギターのサウンドに共
鳴して首や身体をくねらせながら、演奏するジミ。しば
らくするとアンプが警備員の無線をキャッチ。「セキュ
リティパーソナル、セキュリティパーソナル……」とい
う無線からの声が響きわたりますが、ジミは、それも曲
の一部に取り込むかのように演奏をつづけます。ミッチ
のドラム・ソロをはさんだ後、ビリーのベースのパター
ンが変わり、ジャム・セッションに突入。曲の終わりこ
ろ、今度はアンプが男性オペラ歌手の歌声をひろってし
まいます。ジミは、集中力を切らしたのか、「一晩じゅ
う演るから、しばらく時間をくれよ」といってショウを
中断します。

いままでの歩みをふりかえるように、2枚目のアルバム
で発表した「スパニッシュ・キャッスル・マジック」、
3枚目のアルバムで発表した「オール・アローン・ザ・
ウォッチタワー」、4枚目のアルバムで発表した「マシ
ーン・ガン」をたてつづけに披露したジミ。前半から、
聴きごたえ充分のヘビーなステージです。

特に「マシーン・ガン」は、この夜のステージを象徴す
る演奏でした。ジミは、以前から、さまざまなミュージ
シャンとジャムセッションを繰りひろげるなかから、新
しい音楽の着想を得ていましたが、このころになると、
ジミは、ステージでも、同じ曲を演奏しながら、その夜
、その夜で、新しい試みに挑戦していました。うまくい
くときもあれば、うまくいかないときもあったようです


ハリー・シャピロは、著書『エレクトリック・ジプシー
』のなかで「マシーン・ガンは、支離滅裂だった。素晴
らしいギターのパートもふくまれているが、ミッチとビ
リーは、ジミについていこうとするが、ジミがどこへ行
こうとしているのか、わからなくなってしまった」と書
いています。

クリス・ウェルチは、著書『ヘンドリックス』のなかで
「音楽は、方向性を失っているように聞こえた。新しい
ことは何も起こりはしないという確信が私のなかで強ま
っていった。夜は更けて、寒く、疲れきっていた私は会
場を出て、かなり遠くにあるホテルまで、月あかりの田
舎道を歩いた。畑を越えて何マイルか彼方から、ジミの
歌う声とギターのすすり泣きが聞こえてきた。近くの岩
壁に寄せる海のざわめきに似た拍手が、続いて彼にあび
せられた」と書いています。

しかし、それこそが、ジミの音楽の真髄でした。ミッチ
とビリーがきざみだすビートを舞台に、ときには、その
ビートに共鳴し、ときには、そのビートから大きく飛躍
してアドリブを展開しながら、その世界をふくらませて
いくのが、ジミの音楽の方法でした。いいかえれば、ジ
ミは、演奏しながら、ときには、聴衆と共鳴して聴衆の
共感をよび、ときには、聴衆から大きく飛躍して聴衆を
挑発していたとも、いえます。

ステージにもどってきたジミは、ギブソンのフライング
Vに持ちかえ、「ラヴァー・マン」の演奏に入ります。
音響装置の問題が解決されたことを確認したジミは、安
心し、気をとりなおして、ニューヨークに完成したばか
りのエレクトリック・レディ・スタジオで5日前まで録
音に取り組んでいた「フリーダム」を力強く演奏。続い
てブルース「レッド・ハウス」。8月24日にミックス
を終了し、次のシングルに決めていた「ドリー・ダガー
をビリーの弾むようなベースにのせて演奏。ジミは、
ギターをストラトキャスターにもどして、再びブルース
「ミッドナイト・ライトニング」。地を這うようなビリ
ーのベースをバックに「レッド・ハウス」よりも、ミシ
シッピ・デルタでブルースが生まれたころを思わせる、
ジミのかん高い歌声と、けだるい雰囲気をかもしだすギ
ター。いきおいのある新曲と、スローブルースを交互に
演奏するというメリハリのきいたステージ展開になりま
した。

いつものように「リンダにささげよう。そこにすわって
いる銀色の顔をした女性にも。それからキアステン、カ
レン、あそこにいる黄色いパンティをはいた4つくらい
の小さな女の子にも」という言葉をそえて歌ったのは
「フォクシー・レディ」。演奏の途中では、ふたたびア
ンプが複数の外国語のラジオ放送をキャッチ。ジミは、
雑音が一段落するまで演奏をやめ、ミッチとビリーはビ
ートを刻みつづけて、ジミが復帰するのを待ちます。

復帰したジミは、ひさしぶりに両足の間や歯でギターを
弾くパフォーマンスを披露したのでした。雑音で、ジミ
は集中力を切らしたものの、「もうちょっと、みんなの
知っている曲をやろうか。ここに来なけりゃ、みんなの
こともわからなかっただろうな。やっと来れた感じだよ
。本当にありがとう。じゃあ、おやすみ」と聴衆にあい
さつして、演奏を再開。

ショウの後半は、新曲とヒット曲をおりまぜて、メドレ
ーのように演奏を続けました。「メッセージ・トゥ・ラ
ブ」を激しく演奏すると、そのまま「ヘイ・ベイビー」
へ。曲が終わると、ミッチがドラム・ソロをはじめ、こ
れが新曲「イージー・ライダー」につながり、デビュー
曲「ヘイ・ジョー」につながり、ジミのイメージを決定
づけたヒット曲「パープル・ヘイズ」につながり、フィ
ードバックを効かせたギター・ソロにつづいて、聴衆が
お待ちかねの「ヴードゥー・チャイルド」へ。あのギタ
ーのイントロのリフが鳴りひびくと、会場から大きな歓
声が沸きおこります。ミッチのドラム・ソロの間に態勢
を立てなおしたジミは、最後の力をふりしぼって、ギタ
ーを垂直に立てて奏で、新曲「イン・フロム・ザ・スト
ーム」を熱唱。演奏を終えたジミは、ストラップを首か
らはずすと、ストラトキャスターを無造作に投げすて、
バックステージへと消えていきました。こうして、1時
間50分にわたったショウは終わり、フェスティバルは
幕を下ろしました。

ジミは、翌31日はスウェーデンのストックホルム、9
月1日はイェーテボリ、2日はデンマークのオーフス、
3日はコペンハーゲン、4日は西ドイツのハンブルグと
、ヨーロッパ各地で演奏。9月6日のフェーマン島での
「ザ・ラヴ・アンド・ピース・フェスティバル」への出
演が生涯最後のコンサートになりました。その後もツア
ーは予定されていたのですが、ビリー・コックスの精神
状態が異常をきたしたため、キャンセルされたのでした


ジミの音楽は、1970年に頂点を迎えた野外フェステ
ィバルに欠かせないものでした。1967年のモンタレ
ー・ポップ・フェスティバルで鮮烈なアメリカ・デビュ
ーを飾ったジミには、野外フェスティバルで聴衆と交感
しながら演奏することが無類の喜びでした。ジミを失っ
た後、ワイト島をはじめ多くのフェスティバルが開催中
止に追いこまれたことは、ひとつの時代の終わりを感じ
させました。





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Last updated  2019.05.17 17:01:34
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