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カテゴリ:計量と計測を考察する「計量エッセー」
適正な計量の実施は国家と地方公共団体が共同して実現すべきもの
写真は本文とは直接連動しない挿絵です。 中央道を東京に走る。韮崎付近から見える富士山。 (タイトル) 適正な計量の実施は国家と地方公共団体が共同して実現すべきもの (本文) 斎藤勝男氏の回想である。国家主権から国民主権に転換した時代の息吹が聞こえる。 太平洋戦争の終戦の日の昭和20年8月15日の翌々の日、学徒出陣で軍隊勤務していた陸軍航空本部(立川航空隊)から生きて生まれ故郷に帰ってきた。虚脱状態の日々。父から弱き立場の人々にたって働くことこそ、敗れた日本のために一番大事なこと、と説得され役場にいた叔父からも県庁こそ働き甲斐あると強く役人になるべしと諭されて千葉県庁に職を得た。時は昭和21年6月13日、この日から長い公務員の生活が始まった。着任したのは経済部商工課。度量衡係が隣にあった。係長以下3人がいる筈だが、なにをしているかも知る由もない。係長は、そのうち復員して復職してくることまでは分かっていた。やがて復員してきた人が、小林義雄度量衡係長である。髭を生やして大陸帰りらしい風貌である。毎日席にいない。あるとき尋ねると「くる日も、くる日も、度量衡器の検定をしている」と短い口調で答えてくれた。 商工課長から、度量衡係を手伝ってくれとの命令だ。小林さんのところに行くと、開口一番「なにはともあれ、資格を持つことが先決だ。丁度良い。戦後第1回の度量衡講習が東京で始まる。大変でも、4カ月間東京通いをして欲しい。そこを修了してくれば、度量衡の仕事は、形式上なんでもできる。帰ってきたら度量衡取締もやれるようになる。米の供出米(農家から政府に生産した米は、自家用を除いて強制売渡命令)の検査のハカリを正しいかどうか検査をしてくれと食糧事務所から催促されている」。話をきけば、尤もなことで、最優先の仕事だ。度量衡の歴史も法の仕組みも仕事のあらましの説明もない。ときに、県庁勤めして2年の昭和23年6月1日のこと。度量衡講習は9月1日から12月25日までだった。 ここから、私の計量人生の文字通り第一歩となった。9月に入って講習が始まる。場所は商工省中央度量衡検定所というところで、銀座の木挽町にあった。ここに集まったのは全国、北は北海道から南は鹿児島まで40余名。千差万別の年令不揃い、服装は学生服から軍隊復員服まで。数日で仲間となり戦友意識が芽生えた。これが後に戦後第1回度量衡講習生(花の第1期生といわれる)の血縁的契りの起こりでる。 計量行政機関相互の交りと意思の疎通は計量行政の運営、施行の問題、法改正の問題、要望や論点の集約、首尾一貫した行動、一糸乱れない結束、阿吽の呼吸でやっていた。理屈以前の人間行動が計量人の人格形成の礎となた。神奈川県の齊藤総彦所長は「度量衡法時代は終わり、新しい法ができる。これからは、君たちの時代だ。歴史を見極めて、伝統をしっかり引き継いでくれ」と講義された。当時の講習内容と教えてくれた恩師にふれる。講習は、商工省中央度量衡検定所が全面に背負って進められた。商工省の度量衡係は手薄で多忙で殆ど顔を出さない。必然的に中検(当時の略称)の名だたる誇り高い専門官僚集団が勢揃いした。講習内容は持ち時間の3分の2は座学の専門学科と度量衡法令で、残り3分の1は基礎学科と検定の実施方法の実習である。商工省度量衡検定所の的場鞆哉所長による日本の度量衡行政の仕組みとメートル条約と中央度量衡検定所の内容と組織図の基本の講義がなされた。頭の毛が薄く横に少ない毛を揃えての風采も、諄々と技術論を説く次長にあたる玉野光男さんがいた。人懐しい温厚な学者風の珍しい技術役人(高等官)であった。 座学の筆頭講座は「はかり」である。担当は戦後の新型の「ハカリ」の生みの親とも称された、民間にも名が知れわたっていた岡田嘉信先生である。「てこ」の原理と応用を繰り返し教え込まれた。棒ばかりの単一のものから、上皿棹ばかり、台ばかりにと、さらに、バネを使った懸垂はかり、ロバーバルの定義とロバーバル機構とバネ式はかり(斜面型)と今でも記憶に残る名演説。岡田さんを支え補った二人の高橋さん。温厚な凱さんは座学と実習を分かり易く教授された。もう一人は照二さんで、コツコツと研究向きの方であった。度量衡の衡の代名詞は「はかり」と言える程、代表的な存在の講座が「はかり」であった。名高き有能な三先生に出会うことができた。 ほかの課目は、度量衡の言葉では範疇に入らないが、当時の度量衡法上は、歴とした法定の種類である温度計(ガラス製、金属製、光高温計)、密度計、比重計等の浮ひょう、圧力計、ガスメーター、水道メーター、ガソリン量器、化学用体積計(メートルグラス)。この辺が計量器の用語を当て込めていた。座学は機構学が基本で、講習生の大半は耳新しい講座。東京帝国大学出で若い加藤芳三さんの教え方は熱心だが授業時間が終わると分からないの声が続出。熱力学と温度は米田麟吉さんが受けもって、常にあらぬ方向を向いて熱弁。講習生は熱弁にしては、熱が上がらず、浮かぬ顔。米田さんの一人旅は続いて半分程度は合点がいく。光高温計はパイプを加えた酒井五郎さん。佐藤朗さんは博学のインテリゲンチア。圧力計の理論と検定方法を手をとり、足をとって根気よく伝授する若き中検のホープ蓑輪善蔵さんである。いつも笑顔で、何回でも説明し、実技を手解いた。 取締の章は、時の全国度量衡界の有名人である東京都の権度課長岩崎栄さんである。強烈な個性のある典型的役人の中の役人である。取締は国税反則者処分法を準用して処分する強い取締法規であった。教えられた数々の内容が、物事の判断上、多いに役立つことになった。 千葉県計量検定所長であった斎藤勝男氏の回想文章の抜粋である。 東京都権度課長岩崎栄氏は関菊治氏は物理学校に度量衡関菊治氏は物理学校に度量衡科がわずかの期間存立したときに5学期2年半の課程を修了した人だ。入学者に対して少量者はごく少数であった。度量衡科と度量衡器検定所大阪支所長を兼務する。中央度量衡検定所の度量衡行政部門の権限が関菊治氏に集中していた。ここから全国の度量衡器検定所に長になる者が選ばれていた。東京都権度課長の岩崎栄氏もこのようにして東京都の計量行政を担当した。度量衡器の取締りへの厳格な対応はもとをたどると関菊治氏の教えによるものだ。それに教化されたのが斎藤勝男氏であった。 民主憲法のもとでは適正な計量の実施は国家と地方公共団体が共同して実現すべきものである。その受益者は国民である。国民は確かな計量がなされている状態を受けたとる権利をもつ。また確かな計量の連鎖によってあらゆる物事が辻褄があうことは工業、商業、学術と文化の進行に寄与する。計量行政の重要な構成要素の計量士制度のもとでの計量士は確かな計量の実現のために大きな働きをしている。 2020-01-28-proper-measurement-should-be-implemented-jointly-by-the-state-and-local -governments-2019-08-25-article-editorial- (不適切な表現などについては意に反するものですのでご容赦ください) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年01月28日 17時53分06秒
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