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春は花 夏杜鵑 秋はもみぢ葉

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はにお。

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2011.10.01
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カテゴリ:音楽
で、YouTube巡って、「いつも何度でも」を聴いて泣いたりしてたんだけど、そうしたら、ウクライナの人がこの歌を歌ってた。しかも完璧に詩の意味、深さを理解した上で、日本語で。


ナターシャ・グジーっていう女性アーティスト。ウクライナ、でピンと来た人がひょっとするといるかもしれない。彼女、チェルノブイリ原発の事故当時、原発の隣町(というか職員が住んでた街)プリピャチにいた。つまり事故の被曝者でもある。


彼女のプロフィールはグーグル先生にお任せするとして、数年前のNHK「視点・論点」で彼女が出演し、まさに8/6の放送だったのだが、ヒロシマ・ナガサキとチェルノブイリでの自身の経験を通して、「人は忘れることで同じ過ちを繰り返してしまう。どうか、ヒロシマやナガサキ、チェルノブイリのことを忘れないで」と訴えかけた後で、この歌を歌う。



いやもう、泣ける泣ける・゚・(ノД`)・゚・。 


元々泣ける歌詞で、特に「悲しみの数を言い尽くすより 同じくちびるで そっと歌おう」というところでいつも泣いちまうんだけど、この人が歌うとより一層心に響く…。



おそらく悲劇的な半生を送ってきたであろう彼女の言葉と、まるでその言葉を嘲笑うかのように起きてしまったフクシマの悲劇。彼女の思いを考えると、言葉にならない。そして、そんな中で、この人は東北で復興支援コンサートを開いている。なんか、たまんないっすよ…。(´;ω;`)


結果として、ヒロシマやナガサキ、チェルノブイリ、他にも第5福竜丸とかJCOの事故とか、そういったものから目を背け、同じ過ちを繰り返してしまったのは私たち日本人。全部東電のせいだ!となんでもかんでも東電におっかぶせることは簡単だけど、便利さにかまけて、原子力やエネルギーのことを深く考えもせずに、現状を受け入れてきたところに、私たち日本人は、やはり何らかの責めは負わなくてはいけないんじゃないか、そんな気もする。(だからと言って、東電の責任はいささかも減じられることがあってはならないとも思っているが。)


そういう意味でも、この人の笑顔を湛えた歌声に、はっとさせられるというか、何か気づかされた思いがする。なんて強いんだろう、この人は。粉々に砕かれた鏡の上にも、新しい景色は写されるんだ。確かにそうだ。



辛酸をなめてきた彼女、被曝からの恐怖におそらく今も耐えているであろう、この小さなウクライナ出身の詩歌いの気持ちに想いを馳せながら、今夜は眠ることにする…。




なんていうか、人はどこかで必ず繋がっているんだ、そう改めて思えた。







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Last updated  2011.10.02 02:48:58
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