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ようこそ、ももちやん旅の部屋へ

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屋久島旅行記1

2002年11月
世界自然遺産の森のくに、屋久島に行こう!と突然決めたのは、10月くらいのことだった。かねてより「屋久島に行きたい」と言っていた、同僚(若い)のハラダに「屋久島いかな?」と誘ったところ、「いきましょう!」とよい返事。この時点では、ハラダは夫婦で行く予定だった。
アレンジは、いつも仕事で旅行をお願いしている旅行会社のサイトウさんに頼んだ。屋久島にはここ1,2年、毎月のように通っている屋久島通。
しかし、ハラダ奥様が、「同じお金で別のところに行きたい」「10時間歩けない」などの理由で、キャンセル。結局、私とハラダ、サイトウさんという男1熟女2のシブ~い3人組の旅が決まったのだった・・・。


朝8時のJASで鹿児島に向かい、そこからJACに乗り換えてお昼前には屋久島に着く。
JACは、ん十年ぶりに乗るプロペラ機。振動がすごい。しかも途中、気流の関係でゆれるゆれる!
しかも、ランディングができず、タッチアンドゴーのように再浮上するではないか!?風のやむのを待って2度目のランディングでなんとか到着。空港には、太田五雄さんという、屋久島をライフワークにしているという山岳ガイドのおじさまが迎えに来てくれていた。

屋久島は、雨だった。林扶美子が小説「浮雲」で「月に35日雨が降る」と書いたほど、雨の多い島。
まずは、太田さんの車に乗り込み、「屋久島自然館」を訪れた。すっごいスピードで、山道をグネグネ走る運転が、飛行機酔いのカラダに、堪える~!

自然館の売店で、うどんやトビウオ塩焼きの昼食を食べてから、自然館を見学した。

ここでは「屋久杉」の歴史を学ぶ。太田さんが説明してくれる。屋久杉は、400年前の江戸時代から伐採されていたこと。当時は、「平木」という小さな板に切って、背負子で背負って運び出していたこと。

明治になって、トロッコができ、昭和45年まで材木での切り出しが続いていたこと。

などなど。観光バスのオバサンがたくさんきていた。


自然館で、ざっと「杉の歴史」を知った後、実際に、近くの屋久杉を見に行った。
まずは、淀川(よどごう、と読む)近くの、名もない杉の巨木。樹齢3000年はありそうな、迫力ある杉だ。

そのあと、「川上杉」。道路から見る。
さらに、「起源杉」。ここは、観光地化しているようで、観光バスでも見られる巨木だ。推定樹齢3000年。ちゃんと見るための柵もあり、やはり観光バスが来ていた。
とにかく、でかい。
そして、道路にはときどき、屋久島のサル、ヤクザルが現れる。餌付けしていないので、襲ってきたり寄ってきたりはしない。人間をみると、逃げるようだ。また、シカ(ヤクシカ)も、道にでてくる!

杉を見学したあと、「ヤクスギランド」に向かう。紀元杉もヤクスギランドの一部らしい。ヤクスギランド。いろんな本やガイドブックでも「テーマパークみたいな名前だが・・」と書いているが、テーマパークではもちろん、ない。自然休養林になっていて、30分、50分、80分、150分など体力や時間に合わせてコースを選べる散策路が用意されている森だ。遊歩道も整備されているので、歩きやすい。しかし、森は森。大きな川が流れ、橋があり、森歩きを楽しめる。でも雨だったけどね。

これでこの日は夕方になったので、ホテル(グリーンホテル)に向かい、夕食は、太田さんも一緒に4人で食べた。

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トビウオ丸ごとから揚げを喰らうハラダ
oootasan
こちらが太田さん

太田さんは、40年前の23歳のときから、屋久島の地図を作りに屋久島に来ていた。登山家で、世界中の山をアタックしている。屋久島の山の地図を作ったのは太田さんだ。
新日鉄・八幡製鉄所に勤務していたが、定年を迎えてて屋久島に移住。山岳ガイド、ネイチャーガイドとして屋久島や世界の山を案内している。
「自分は運がよかった。ラッキーな人生だ」という太田さん。

明日は、この旅のメーンイベント、往復10時間の「縄文杉トレッキング」に出発する。集合は朝5時半。9時過ぎにはみんな寝ました。。。

■太田さんの会社・K2企画はこちら
二日目に続く


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