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フランス 旅の歓び

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佳子の旅

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vanillachocoo2@ Re:ノルマンデイー(10/11) ノートルダム地下聖堂 私が撮影した画像が…
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KK@ 真面目人間涙目wwwww 昨日工 ロ カッコイイ系?の子ゲトったん…
はなお@ これなんて魔法?www 昨日会った女の子、「舐 めまくりたい!…
のりお@ ちょwwwww ここの女ノリ良すぎwwwwwwwwww…

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2009.04.24
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 ブルゴーニュ・ブリオネ地方のロマネスク教会

緑豊かなブルゴーニュを旅行するとその田園風景の合間に小さな村や教会の尖塔が目に入ってきて心を和ませる。この地方は美味し国、ワインの産地、またロマネスク様式の教会の宝庫でもある。

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               2009_0414PhotosKeiko0195.JPG

10世紀から12世紀半ばにかけてフランス各地に生まれたロマネスク教会は素朴な建築様式と正面入口や柱頭の精巧な彫刻、圧倒させる壁画などで私達の目を楽しませてくれる。また教会堂の内部は私達を暖かく包んでくれる空間をもっている。

ブルゴーニュの南、ソーヌ・エ・ロワール県はなだらかなブドー畑の丘が広がり、数多くのロマネスク教会がある。
丘を越え谷間を越えていくといくつもの古い教会やかわいらしい村がありその魅力的な風景が旅情2008_1116PhotosKeiko0188.JPG を誘う。

そういうところにクリュニーの町はある。今ではブルゴーニュの辺ぴな場所になってしまったが、かつてクリュニーには栄華を誇った「西欧文明の母」といわれた「クリュニー修道院」があった。

クリュニー修道院は910年アキテーヌ公ギヨーム・ル・ピューによって建設された。クリュニー修道院建設は第一回、第二回、第三回とそれぞれの修道院長によって続行されたが1088年から修道院長になった大ユーグによって始められた第三クリュニー修道院は実に巨大で全長187mもあるロマネスク様式で16世紀にローマのバチカンにサンピエトロ寺院(198m)が建設されるまでキリスト教建築の最大の規模を誇っていた。

クリュニー修道会は学問研究に対する反対の気運が強く、西欧修道院運動の創始者ベネデイクトウスの戒律、その精神を復活させ、信仰を理性的、知的な探求によって明らかにする学問研究を嫌い純粋に集団の祈りによって神の栄光を称えようとした。そのために彼らは「神の家」にふさわしく聖堂を飾りたて金、銀、絹、ガラス、などの豪華な素材が用いられ贅沢の限りがつくされた。このような高貴に光輝く素材は神の栄光を称え賛美するのに最もふさわしいものと思われていた。

こうしてクリュニー修道院では華美、豪華絢爛な美意識、巨大なものに対する崇拝が重要視された。1095年10月25日教皇ウルバヌス二世によって主祭壇が奉納された時、教皇はクリュニー修道院を「汝は世の光なり」と称讃した。

クリュニー修道院は建築の領域と同様、彫刻でも大きな役割を果たしている。
豊かなものへの憧れ、溢れるような空想力、ブルゴーニュ地方独特な様式はクリュニー修道院で形成された。ここではこの時代のブルゴーニュの豊かな風土を反映するかのように最も美しく、壮大なロマネスク美術が開花しフランスの諸地方の中でも最も重要な流派が形成されていった。ここからブルゴーニュ地方におけるソーリュー、オータン、ヴェズレー等の優れた柱頭彫刻が生まれてくるのである。

こうしてクリュニー修道会はめざましい発展を遂げ、たちまちのうちに名声がヨーロッパ中に広まり各地に同派の修道院が創られてヨーロッパの精神的中心のひとつとなった。そして約200年の間にヨーロッパ各地に1200~1500の従属修道院からなる一大修道院連合を組織するまでになった。
またサンチャゴデコンポステーラを一大巡礼地として創りあげたのも彼らの努力であった。

2008_1116PhotosKeiko0216.JPG元は教会堂の正面だったところに民家ができているDSCF1406.JPG残っている建物の部分が上記の写真

かつて栄華を誇ったクリュニー修道院は今は見る影もない。16世紀の宗教戦争、フランス革命、そして革命後~1830年頃にかけて決定的な破壊を蒙った。
「VENTE de MATERIAUX de tout genre a JUSTE PRIX」材料売ります。あらゆる種類の材料を正当な価格で売ります」という広告がだされた。商人ヴァンサン・ジェニヨンは1790年、革命中に売られたクリュニー修道院を買い取り恐ろしく巨大な修道院を解体して石材を売り払つて金儲けすることを考えたのである。
フランス革命は多くの教会堂や王侯貴族の持つ城を破壊した。貴族はギロチンにおくられ聖職者や修道士が追い出された。その建物は国家財産として没収され無造作に売り払われた。教会に利用されている石は良質であったので商人たちが目をつけた。巨大、壮大であったクリュニー修道院も住民たちが悲嘆にくれる中で解体され、次第に姿を消していった。今では二基の塔をもつ南側袖廊を残すだけとなり当時の面影を偲ぶことはできない。

2009_0414PhotosKeiko0076.JPGパレルモニアルの正面、クリュニーの小型だと言われている。

クリュニー修道院の小型だと言われるパレルモニアルの聖堂はブリオネ地方といわれる南ブルゴーニュの中心にある。ブリオネ地方はヴェズレーやデイジョン、ボーヌに比べると旅行者はずーと少ないがロマネスクファンにとっては欠かせない興味深い教会が密集した地である。モンソーレトワール、アンジ・ル・デュック、スミュール・アン・ブリオネを始めとしてブリオネにはタンパン彫刻、柱頭彫刻などブルゴーニュ芸術の水準の高さを思わせる教会が散在している。

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   上・プレシーレフォルジュのタンパン彫刻、下・モンソーレトワール
       
私たちが訪れたのは4月中頃だった。天気も良くゆるやかな起伏の多いブルゴーニュは緑に溢れ白い桜やピンクの桃の花、黄色いれんぎょうやその他様々な野の花が咲き乱れていた。まだ旅行者も少なく、私たちが泊まったブランシヨンのホテルは丘の中腹にあり目の前にはブルゴーニュの豊かな景色が広がっていた。
旅の楽しみは食べることと美味しい土地のワインを飲むこと、そして私にとっては各地のロマネスク教会巡りをすることである。
この辺りはまたシャロレ牛の産地である。シャロレ牛と言えばブルゴーニュを代表する牛でそういえば牧場では沢山の牛がおいしそうに大自然の草を食べていた。
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Last updated  2009.05.26 20:54:14
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