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上生的幻想

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2007/06/24
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テーマ:★お菓子★(2732)
  
070609 047.jpg

 青梅をかたどった上用。どことなく、桃(饅)にも見える。
 
 もっちりと腰があり、きめ細かい、コクのある皮。
 種は漉餡。甘く、小豆の風味の重み、ぶ厚みをひきだしている鶴屋吉信の、あのコクがある。
 餡は、口のなかではらはらととろけていく感じが面白い。
 
 青梅に、梅酒をつくったりすればそれなりに縁もできるのだろうが、僕の生活はほとんど縁がない。
 それが、この「すがすがし」を食べてから、この季節、スーパーなどで梅酒用の青梅が目につくようになり、その度に、「ああ、すがすがし、ね」と思うようになった。
 ただ、青梅そのものを「すがすがしい」と感じているかというとそうではない。
 それよりも、青梅を見て「すがすがしい」と感じる感性が息づいていたのだと、そんなことをしみじみとあたかも懐古でもするかのように思ったりする。
 鶴屋吉信が現に「すがすがし」と出しているのに「あった」という過去形はおかしいと思うかも知れないが、一応、上生菓子の歴史的蓄積というのを前提に、それに対する「今」の僕の「すがすがしい」と感じない感性を対比する意味で、過去形にした。
 
 あるものを、たとえば、「美しい」と感じるかどうか、ということに思いを馳せる時、いつも思い浮かぶエピソードがある。
 ある旅行の帰りの夜間飛行でのこと。
 着陸態勢に入った旅客機の眼下に広がる夜景を見てあるお母さんが、「きれいねー」。
 すると五六歳くらいの息子が、「どこどこ? なになに?」
 どうやら、彼の心にはまだ、夜景を美しいと感じる感性が育っていないということらしい。
 夜景を「美しい」「綺麗」と感じる人にとって「夜景」とはダイレクトに、そして何よりも、ごく「自然」に、「美しい」「綺麗」なものでしかない。が、それを感じない人にとっては、まるで何のことかわからない。
 そして大風呂敷を広げれば、「文化」とは、この「自然さ」のことだ。
 
 青梅を「すがすがしい」と感じるかどうかも、このエピソードと同じだ。
 この上用「すがすがし」を見て、また、青梅を見て、僕が懐古するのは、そのような感性であり「文化」のことだ。
 
 たいていは「名詞」の銘が多いなか、形容詞を銘とした、この「すがすがし」は個性的でもある。
 梅雨時の鬱陶しいこの季節、「すがすがし」という言葉の響きとそれが喚起させる清涼な感覚、その結晶としての青梅の姿なりといった風情なのか。
 とするなら、これは、普通の上生菓子とは、イメージの上でも逆を行っているということになる(まず、青梅の姿をした上用があり、次に、「すがすがしさ」を呼び込むような、しかし絶対「すがすがしい」という言葉ではない名詞の銘、そして、食べるものの心にやっと喚起される「すがすがしさ」というのが普通の順序だろう)。
 
 考えているといろいろ思いも広がるが、とにかく、これも面白い上生菓子といえる。
 
 
 ところで、今日はひどい雨。
 この「すがすがし」をアップしようと思い、あらためて写真を見てると・・・ほんのりと緑の薫るつややかな肌、どこからともなく漂ってくるような青梅の香り、そして「すがすがしい」という言葉の暗示にかかったのか、なんともすがすがしさが感じられるから、面白い。

***
 
 この季節になると、「ショウガ漬け」をつくってくれる奥さんが言うには、今年はあんまり青梅の香りがしない、ということだ。梅の量も少ない感じがする、とも。
 そういえば、いつもはスーパーで山積みになってる青梅を見るが、今年は見た憶えがない。香りも凄いが、今年はどうしたわけだろう?





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Last updated  2007/06/24 03:25:17 PM
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