半能 融 など 東北地方太平洋沖地震 義援能 2011/4/25
東北地方太平洋沖地震でなくなられた方がたのご冥福をお祈りするとともに、復興が一日でも早くすすむよう、心から切望します。 東北地方太平洋沖地震 義援能 が、京都観世会館で催された。 その午前の部を観てきた。 開演10分前たらずに到着して、一階正面に席はなかったので、二階の正面席で観ることにした。 開演時、驚いたことに、客席はほぼ満席。 ことに印象深かったもの。 舞囃子 絵馬 これは、天の岩戸のあの話。 天照大神が籠もった岩戸の前で、天鈿天命(あめのうずめのみこ)が舞を舞い、天照が岩戸に隙間をつくってのぞき見たところ、手力雄命(たじからおのみこと)が岩戸を押し開く、というあのあまりにも有名な場面が能になっていて、舞囃子もその場面。 いわば、能的な脚色による天の岩戸神話。 そういうことをまったく知らずに、観ていて、途中からそれに気づいた。 やはり、特に美しく、引きこまれたのは、味方玄ちゃんの舞。天鈿天命だった。 天照大神の出だしのところがよく聞きとれず、玄ちゃんの舞を観ていて、それが女性の舞であることに気づいて、そのあと謡が聞こえて、それで、内容がわかったという次第。 それにしても、二階正面から見てると、舞手の足の先から手指の先まで、しっかりと見える。 この舞囃子だけでも、入場料の価値はあったか。 とはいえ、やはり圧巻は、 半能 融 舞返 シテは、片山九郎右衛門 これが、お目当てだった。 はじめ、二階正面の二列目だったが、ラッキーなことに一列目の人が帰っていき、一列目の真正面に移ることができた! 半能とは、前場省略、といった感じのもの。 前場の冒頭、ワキが出てきて、名宣や道行きなどのさわりをしたあと、すぐに、後場に入る。 面、装束などは、能と同じ。 ちなみに、舞囃子とは、シテ・謡・囃子で、面や装束は着けず、紋付きと袴。 仕舞は、シテ・謡のみ。やはり、面や装束は着けず、紋付きと袴。 融は、源融、百人一首にも入っている、河原左大臣のはなし。 東六条院や河原院などに豪壮な邸宅を営み、河原院には、奥州塩竃を模した庭園があり、その塩竃庭の水は難波から海水を毎日汲んでこさせたという。 その融も亡くなり、庭園も荒れ果てて、そんな庭園を眺めて融を偲ぶ貫之の歌が『古今』のなかにあるが、能の舞台もその庭園。 例によって地方から物見遊山の僧が都にやってきて、融の霊の化身である尉につれられて河原庭園に行き(前場)、そこで融の霊にあう(後場)、といった感じだ。 融は、面は、中将か何か、だろうか。どっか、悩ましげ(お腹が痛いようにも見える?)だが、わかわかしさ、みずみずしさもある。 白地に、立涌と車、そして丸い有職紋が金の摺箔の狩衣。 浅葱(水色のような色)にやはり金の有職紋の摺箔の指貫。これは、以前、『蝉丸』(シテ 今の幽雪師)や『千手』(シテ 当時の片山清司師 ツレ 味方玄師。で、ツレの重衡が履いていた指貫かも)などと思いながら、観ていた。 この装束が、とても若々しく、みずみずしく、すがすがしく、高貴で、清らか、あでやか。 着付けは、朱色地に錦糸の紗綾形の織り柄のはいったもの。 舞返の小書きつきで、これは、舞いづくめ、というか・・・。 舞っているうちに囃子の調子がどんどん急になって、舞もテンションが上がってくる。 それでも、優美。ふわふわっと舞っている感じもして、その様は、融の幽霊か、とも。 しかし、あくまでも、高貴で、優美で、あでやか。幽霊がおどろおどろしい、なんて、歌舞伎以降の偏見? 観ていて、前の九郎右衛門(いまの幽雪)師の『小塩』を重ねたりしていた。 幽雪師の『小塩』の業平の舞は、陽明文庫などに伺われる江戸期の公家好みそのものといった感じで、それがモノではなく、今目の前に息づいているということに、ものすごく驚いた記憶がある。公家文化の本質に生で触れた気がした。観ていて、そういう舞を愛でた公家の感性が、幽雪師の舞に照りかえって、自分の中に芽生える、というか、宿る、というか、そんな気までしたものだ。 今回の、今の九郎右衛門師の融の舞は、ある意味、現代っぽい、という感じもした。そして、みずみずしい。 幽雪師の『小塩』の業平の舞は、優美だが、枯れたところもあり、それが、業平っぽくてよかった。どこか一筋縄でいかない、そんな歌を読む業平だから。 融は、みずみずしい、あでやかな、貴公子の舞だった。 それにしても、片山九郎右衛門(幽雪師と清司師)の真骨頂、って、翁は別として、神ものでもなく、修羅ものでもなく、女ものでもなく、鬼でもなく、こういう雅男の舞では? と思う。 囃子も謡も、舞と溶けあっていて、というか、舞に囃子と謡が溶けこんでいた。 また、ちょっと、笛にも注目していた。 たまたま、藤田六郎兵衛師の藤田流の笛のCDで、融のこの部分があり、何度も聞いていたから。 今回笛の森田保美師は、森田流で、藤田流とはかなり違っているように聞こえた。主旋律(?)は、大筋ではまあ、同じだけど、藤田流は力強い感じで、森田流は、より雅で、軽やか、華やかな感じがした。 幽雪師の仕舞は、さすがにお年なので足腰については仕方ないのかもしれないが、腕や上半身の動きは、優美だった。