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太陽の道

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2008.11.09
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カテゴリ:社会・人間関係
 皆さーん、おはようござまーす^^    ぽっ  ぽっ

今日も肌寒い日になりそうです。身体を冷やさないようにご注意下さい。
一昨日の7日にジャーナリストの『筑紫哲也氏』が肺がんで亡くなった。

筑紫哲也氏が亡くなったと言うことは、私にとって(世の中にとっても)
酷く残念なことです。何だか心に隙間風が吹いて、やりきれない気持ち

になる.. 私は筑紫哲也さんの話が好きだった。と言うより同じ意見の
時が多かったから『うん、うん、そうだね』と共感することが多かった。

今日のタイトル『異論反論オブジェクション』は、筑紫哲也氏が番組の
中で持っていた『多事争論』の副題です^^

追悼番組を見たが薄っぺらな綺麗ごとを並べるコメントと番組作りで少
しガッカリしていたが、そんな時コメントを求められた『姜尚中氏』は

穏やかな口調でそんな番組作りやコメントをいさめてくれた。  スマイル
厳しい姿勢で社会問題に取り組んだ筑紫哲也さんを冒涜するような気が

していたが、姜尚中氏の一言で凛とした空気が漂った..
そうなんだ!こういう雰囲気が大切なんだ.. ニュースもワイドショー

も同じような気楽さと馴れ馴れしさでやらないで欲しい.. 芸能人のス
キャンダルと社会問題を一緒のレベルで扱わないで欲しい。私はいつも

そう思ってきた。だから緊迫感を持って(社会問題を)報道してくれる
筑紫哲也氏が好きだった.. 私にとって最も素晴らしいジャーナリスト

とは『事実を正確に報道してくれること』そして『批判精神だ』と思っ
ています。 今の多くのニュース番組には、この二つがないと私は思っ

ています。批判をするということは非情な抵抗に遭うことをご存知だろ
うか? blogなら『荒らし』に遭う^^ 知人・友人なら『虐め』に遭う

だろう.. 利害関係者なら(言うこと、なすことに理を持たない人々)は
憎み、反撃するだろう.. だから筑紫哲也氏も多くの利害の反する人に

憎まれたと立花隆氏は話している。社会批判すると言う事が、どんなに
大変なことなのか(それも自分の利益の為ではなくて、社会の利益の為

にですよ?)理解して欲しいと思います。 実名で社会批判する場合、
本人だけでなく家族までも犠牲にしなければならない.. 本人なら命の

危険さえ無いとは言えないと私は思っています。だから、多くの番組は
中途半端な批判、結論を出さない批判になってしまうのかも知れない.. 

それに利害関係者からの圧力も有るでしょう.. それがスポンサーだっ
たり、政治家など権力と財力を持っていれば尚更です^^ 

もし日本が、政治批判も出来ない、社会批判も出来ない社会だとしたら、
それは日本国民が嫌う『独裁国家』と何処が違うのでしょうか??

昨日、NHKの番組を見ていた.. 金融機関の救済問題をやっていた..
アナウンサーに専門家のコメンテーター数人。視聴者からの質問を紹介

していた。公的資金を投入すると言うが“その資金”は何処に行ったの
ですか?と聞かれた。

コメンテーターのA氏は『質問の趣旨がよく分からない』と答え..
B氏は『金融バブルだったので、泡と消えたのでしょう』と答えた..

専門家と称する彼らでさえ、この程度の答えしか言えない..いや言わな
いのです。彼らは分からない訳じゃない..本当の事が言えないのです。

最後にまとめてくれた司会者のようが、遥かに分かりやすい解答(解答
のつもりでは無いのでしょうが..)をしていた。財界も公的資金投入を

金融機関にしたい、勿論、日本政府も公的資金投入をしたい..
そんな時に国民が『嫌だ!』と思うような真実を言うのは『得策』じゃ

ない.. だから支離滅裂な解答になり、司会者さえウンザリするような
解答をする事になるのです。そんなカッコの悪さより『真実』を述べる

方が遥かに(自分の立場が)悪くなる事を計算しての解答だと私は思って
います。   しょんぼり   しょんぼり

そうやって多くの人が権力(財力)に媚びて生きる道を選んでいるのです。
財界も政治家も脅している訳じゃない.. 何も言わなくても『意向』を

汲み取り、率先して発言しているのかも知れない.. 
そんな風潮の中で頑張っている人がまた一人消えた.. 本当に切ない..

筑紫哲也氏が『ニュース23』の収録で最後に残したメッセージが印象
深いです。『少数の意見を恐れないこと。 少数の意見を少しでも多く

登場させること(マスコミが取り上げること)。そして自由の気風を忘れ
ないこと。そしてそれを維持することが重要である』と言っていました。

私達は、ともすれば多数が正しくて少数が間違いであるかのような錯覚
を持つことがあります。もしそうだとしても、それで少数意見を抹殺し

ていい理由にはならない.. 
私達は民主主義の原則である『多数決』が正しいと長い間、教えられて

きました。多数決で決着をつけている内に、あたかも多数が正しいんだ
と錯覚してしまう.. その結果、多くの人は無意識の内に多数派になろ

うとする(正しい側に立とうとする).. 多数決と言う手段を使うとし
ても、それは少数意見の抹殺でも、正しくないと言う証明でもないこと

を忘れないで欲しい.. もし少数意見が常に抹殺される社会なら、その
社会を民主的な社会とは、到底言わないだろうと私は思う..

『自由の気風』..を、私達は次の世代に手渡せるのだろうか??

筑紫哲也さんのいない社会が寂しいです..ご冥福を心からお祈りします。












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Last updated  2008.11.09 11:36:34
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