おばあちゃんが逝った。大往生である。三桁は軽く越していた。(あと少しで人間国宝級)しかし、最後の12年間は病院暮らし。孫の私の認識があったのは10年前の96歳のころ、私の名前を確認認識した。その後は、まったくの屍。同居家族も複雑な心境だと察する。生きているが心がない。ホントに生きているといえるのかよくわからない。が、事実はちゃんと生きている。息をしている。親戚一同の心の支え、もしかしたら私も人生110、120才と思わざるを得ない事実。ただ、生きていれば、生かされていればそうなる。しかし、自我が消える、他人が確認できない。ただ生きている、生かされている。ホントにそれだけだろうか?人生とは?
やはり、目の前のことに精一杯頑張るしかないのでしょうね。結果として振り返らず、前を精一杯見る。進む。たまに戻る。自分自身をほめる。他人目線はやめる。自分で考え、決める。右か左か、上か、下か、後ろもある。どこでもいいのだ。正解は自分自身である。と認識できればOKでしょう。と思う。このごろ。以上
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最終更新日
2010.07.05 22:00:10
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