栃木・那須において発生した前代未聞ともいえる雪中登山講習での痛ましい遭難死亡事故を追悼して、今、改めて、『トムラウシ山遭難事故調査報告書』を読んでみた。
この報告書の中で、生存者の証言:女性客G(64 歳)の証言のいう、「温泉宿でもらったタオルに穴を開け(後ろを長くして)、被れるように細工した。」このタオル着は、実は、登山初心者の菜翁が旨さんが昭和36年8月の6泊7日(車中2泊)の立山縦断登山でも愛用していたものと同様のものであり、その後の日常生活でも長い間愛用していたのである。
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2009 年7 月16 日、北海道・大雪山系において、10名の人々が低体温症に起因すると見られる死亡事故が発生した。特にトムラウシ山では、その内9 名が死亡するという、夏山シーズンとしては前代未聞の痛ましい遭難死亡事故となった。
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【遭難原因としての低体温症はその頻度は多くはなく、ましてや、真夏の遭難の原因として考えにくいため、一般に登山者の認識は薄い。しかし、気象条件によっては真夏で低体温症になり、死亡するケースがあることをガイドおよび登山者は認識しておくべきである(トムラウシ山遭難事故調査報告書(平成22 年3 月1 日トムラウシ山遭難事故調査特別委員会)報告書より】
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日本の近代登山の歴史はおよそ百年。その間に幾多の悲劇があり、その都度、傷みとともに我々は何かを学んできたはずである。
しかるに、時代が移り、人が変わるごとに悲劇は繰り返されてた。それでもなお、その負の連鎖を断ち切るために、我々は何を学び、どう対処すべきなのだろうか。
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1955 年、世界第5 位の高峰、マカルー(8470 m)に初登頂、しかも全員登頂という快挙を果たしたフランス隊の隊長、ジャン・フランコは記す。「山は根気強い勤勉さと、沈着と、頑張りの学校だ」と。それはまた、山という自然に対して「謙虚さを学ぶ学校」でもある。
ーーーーー中略ーーーーー
生存者の証言:女性客G(64 歳)
「主人から電話があり『こんな日でも行くんか?』と言われたが、『それはプロであるアミューズのガイドが判断すること。それが分かるようなら、いつも独りで行くわ』と答えた」
ーーーーー中略ーーーーー
生存者の証言:男性客F(61 歳)
「山はすべて自己責任が基本。雨になることが分かっていたのだから、その対策を各自が講ずべきだ。それをしなかったメンバーの対応の不備に、少々むっとした」
ーーーーー中略ーーーーー
生存者の証言:女性客A(68 歳)
「夜2 時ごろ、風雨が強かった。1 階は雨が吹き込むので、シュラフなどが濡れた。私個人としては1 日停滞しても、キャンセル費用は掛かるが、命には代えられないと思った。
ただ、私は用心のため8 食持ってきたが、ほかの方は6 食ぎりぎりではないか。最悪、皆でシェアすることになるな、と思った」
ーーーーー中略ーーーーー
生存者の証言:女性客G(64 歳)
「こんな天候の日に行くんか、と思ったが、ツアー登山では我がまま言ったらきりがない。
自分でセーブした。出発が30 分遅れたので、その間に温泉宿でもらったタオルに穴を開け(後ろを長くして)、被れるように細工した。フリースを着たかったが少し濡れていたので、その代用のつもりだった。そして、日本手ぬぐいを首に巻いて保温した。これらが命を救ってくれたかと思うと、帰ってからも、捨てるに捨てられなかった」
このとき、汗取りとしてタオルの真ん中に頭を入れる穴をあけて、不要になったタオルの端を切り取った紐を取り付けた、男性でも簡単に縫製できる、汗取りと防寒を兼ねた格安・絶妙の登山用品である。
これは、今でもパジャマの下に着けて愛用している。
特に夏は気軽な汗取りとして大活躍している。
そういえば、2009年7月のトムラウシ山遭難事故の折にも、テレビで「タオル一枚のおかげで無事生還」された老婦人(上記の生存者の証言:女性客G64 歳)として、これが紹介されていたことを、ご記憶のかたもあるかと思います。
ーーーーー中略ーーーーー
女性客B(55 歳)
「リーダーA(61 歳)さんが、『僕たちの今日の仕事は山に登ることじゃなくて、皆さんを無事山から下ろすことです』と言ってくれたので安心した」
なお、出発時のウェアリングは全員、雨具の上下を確実に着ていたが、スタッフは、各メンバーがその下に何を着ていたかは確認していない。
女性客H(61 歳)
「ガイドからこの日のウェアリングについて特段の指示はなかった。もし風雨が強まることを予想してそれなりの指示があったら、私はダウンを着込んでいたと思う」
ーーーーー中略ーーーーー
ガイドB(32 歳)
「もし引き返すという決断をするなら、結果論だが、天沼かロックガーデンの登り口辺りだろう。あるいはもっと手前のヒサゴ沼分岐で、主稜線に上がった段階でそうするのが現実的だろう。しかし、そこで、『ルートを変えて、下山します』と言えるほどの確証がなかった。それと、やはり前日に低気圧が通過して、この日は離れていくだろうという予報だった。それが、逆にあそこまで風が強くなってしまうというのは、全く予想外、想定外だった」
ーーーーー中略ーーーーー
女性客H(61 歳)
「過去の経験から言ったら、こういう日は歩くべきではないな、と思った。
等々、生存者の証言が生々しく語られている。
ーーーーー中略ーーーーー
本遭難事故要因の検証と考察・現場におけるガイドの判断ミス
の箇所では、
『明確な判断基準のないまま、「ひとまず出発してみよう」という決断に至ったと思われる。
しかし、「ひとまず出発してみよう」という判断は、途中で引き返したり、別のコースに避難する可能性も含んだ判断である。それであるなら、夜明けとともにリーダーは若いスタッフを稜線ヒサゴ沼分岐辺りまで、空身で偵察に走らせるという方法もあったのではないか。それにより出発遅延の30 分という時間も、有効に使えたはずである。経験不足から思いつかなかったのかもしれないが、偵察によってかなり正確な判断材料が取得できたことであろう。』と記述している。
【栃木・那須の雪中登山講習では、この「偵察」をスキー場への「問い合わせ・照会」と置き換えて読んでみることも出来そうである。(菜翁が旨さん記)】
検証と考察では、さらに・・・
それぞれのスタッフは登山歴やガイド歴はそれなりにあったと思うが、危急時における対応経験がどこまであったのか、また、危険予知能力(天候変化の予知能力、地図からの地形判断力、参加者の状況把握能力、時間経過の管理能力など)をどれほど持ち合わせていたのか、疑問が残る。整備された登山道での転・滑落や既往症など、主に参加者個人のミスに起因する事故や障害(一部、ガイドの不注意によるものもあるが)と違って、「気象遭難」は現場では主にガイドの責任である。したがって、対応次第で防げるもので、そのための適切な対応がガイドに求められている。
「山登りの実力」とは、危急時にどのような対応力を発揮できるかに懸かっている。そして、危機対応や危険予知能力の養成は、実戦とケース・スタディがすべてであり、一朝一夕で身に付くものではない。厳しい自然の中で活動する登山という行為において、それを導く登山ガイドとは、それほど重い責任を背負っていると認識すべきである。
以上。報告書より
さらにこの報告書では『2007 年2 月14 日、八甲田山でのスキーツアー中の雪崩による遭難例』なども紹介されている。
また、今回の遭難死亡事故ではあまり語られていないが
『ガイドのみならず、600 ~700 万いるとされ日本の登山人口の内、どの程度の人が低体温症の危険性を知っていることだろうか。低体温症は冬起こることを知っていても、・・・』
という注意喚起にもこの機会に、充分記憶にとどめておく必要があろう。
また、低体温症については、『行動中のどこかの時点で「震え」があったものと思われるが、行動していれば低体温症にならないということではなく、体温を作り出す「熱量」がなくなれば、「震え」がこずに体温が低下すると思われた。
酸素不足や低体温(冷たい脳血流)に最も影響されやすい脳、特に意識や機能、言語などの中枢のある大脳皮質の障害は、低体温によって思っているよりも早期に機能低下に陥っていくことが多くの証言から分かった。
「行動中に意識が飛んだ」「ストーンと落ちていくように意識がなくなった」という証言は、急激な意識喪失がきたものであるが、これは寒中の街で起こった低体温症の患者の例には見られない症状で、山で起こった偶発性低体温症の特徴的な症状とも思われる。』
など、夏山・冬山・雪中を問わず、また、ガイドや講師などの経歴や登山歴を過信せず、自分自身の情報収集力や判断力を高めることが肝要であろう。
栃木・那須の雪中登山講習での「山は謙虚さを学ぶ学校」ということを知らないのではないかとも思われそうな誰かさんが言ったような『絶対安全』は、山のみならず、この世に存在するはずはないと考えることを教えることこそ、登山講習の最重要課題に据えるべきであろう。
と、思うのは、山の素人の菜翁が旨さんのひとりよがりなのだろうか?