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カテゴリ:郷土の歴史と文化
浜松.豊町.服織神社(はたおりじんじゃ)
遠江国にも平安時代には、京都寺社などの荘園や伊勢神宮の御厨があります。 平安時代の遠江国、荘園と御厨(みくりや)
その一つの荘園.羽鳥庄(浜松市東区豊町)をご紹介します。 羽鳥庄(豊町)には服織神社(はたおりじんじゃ)があります。 延喜式神名帳に載っている式内社です。 服織神社の鳥居
祭神 「天穂日尊(アメノホヒノミコト)」
ここ羽鳥庄(豊町)は京都.新熊野(いまくまの)神社の荘園です。 京都.新熊野神社は1160年ころ後白河院が紀州の熊野権現本宮の祭神を勧請して、法住寺殿の鎮守としたところで、平清盛の造営です。 京都.新熊野神社の祭神 「イザナミノミコト」
祭神の関係を見てみます。 系図
「天穂日尊」は大日霊女貴尊(天照大神)の二番目のお子さんで、「スサノオ」が九州を平定して出雲に帰るとき出雲に連れて行ってもらった子供です。出雲では能義あたりに住み、生活に必要なゴザを織る芯にする麻(荒麻)の産地でしたから、出雲.隠岐186ヶ村の中でも裕福なほうだったようです。 その子供に武比良鳥尊(タケヒラトリ)がいて、その子孫に遠江国造(くにのみやっこ)がいます。 その関係でこの神社は創建されたのだと思います。 服織神社拝殿
また神社の名前が服織神社とありますのは、「天穂日尊」が出雲時代にゴザの織物に秀でていたからなのでしょう。この豊町あたりは織物が盛んだったようです。 拝殿前怖い石像
一方、京都の新熊野神社を見てみますと1181年の「新熊野神社文書」がありまして、そこに新熊野神社を創建するにあたり、関係する諸庄に対する雑役の賦課を一切永久に免除して貰いたいと申し出て、院庁がこれを認めています。 そのために、遠江国.羽鳥庄であります現在の浜松市豊町は名前の通り豊な町だったのではと推察しています。 現在でも羽鳥公民館として名前が残されています。 服織神社本殿
また京都.新熊野神社は室町時代、足利義満が初めて観阿弥.世阿弥親子の能を見たところでもあります。
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Last updated
2010.09.14 06:45:33
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